第七話 三.心優しい一人の男として
じいちゃんの見舞いを済ませたオレは、その足で小児科病棟へとやってきた。小児科病棟は、じいちゃんが入院している一般病棟のすぐ隣にあった。
窓からこぼれる日差しのせいか、小児科病棟の廊下はやけに明るい。廊下の壁にあるいたずら書きや、掲示板に飾ってある絵や習字を見ていると、小児科病棟らしい微笑ましさを肌で感じた。
病室から漏れてくる子供たちの笑い声を聞きながら、オレは病棟の奥へ歩いていくと、廊下の中央当たりでナースステーションを見つけた。
「医師がいるかどうか、ちょっと覗いてみよう。」
ナースステーションでは、数人の看護婦がおしゃべりしながら待機していた。
オレは控えめに、ナースステーション内を確認してみる。残念ながら、あの医師の姿は見当たらない。周囲を見渡してみたが、やはり彼の姿はどこにもなかった。
「診察中かも知れないな。一応、看護婦に聞いてみるか。」
楽しくおしゃべりしている看護婦に、オレは挨拶しながら小さく頭を下げる。
オレの存在に気付いた看護婦が、サンダルのかかとを鳴らしながら近づいてきた。小児科担当の看護婦らしく、子供受けしそうなかわいらしい女性だった。
「はい、何か御用でしょうか?」
「すみません。あの、小児科の担当をされているお医者さん、今どちらにいらっしゃいますか?」
オレの問いかけに、呆気に取られた顔をする看護婦。
「申し訳ありませんが、担当医師の名前を教えていただけますか?小児科担当は複数おりますので。」
オレは絶句してしまい、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしていた。この看護婦の言った通り、総合病院の小児科を担当する医師が、まさか彼一人のわけはないだろう。
また困ったことに、オレはあの医師の名前を知らないのだ。彼のことをどうやって尋ねたらよいかわからず、オレはしどろもどろになってしまった。
取り乱してしまったオレを見て、看護婦は怪訝そうな顔をしている。他の看護婦たちも、何の騒ぎかとこちらの様子を伺っているようだ。
「あの、小児科の医師で、背が高くて、凛々しい顔立ちで、30代ぐらいの人なんですけど・・・。」
あの医師の特徴を片っ端から並べてみたオレ。しかし、目の前の看護婦は首を捻るばかりだった。
「ダメか。ここは出直すしかないな。」
心の中でそう決断し、オレは敗走する思いで、その場から離れることにした。
看護婦に失礼しますと告げて、オレは一般病棟の方へと足を向けたまさにその時、オレの背後から、廊下を蹴りつけるような高らかな足音が鳴り響いた。
その足音は少しずつ大きくなっていき、オレのいるナースステーションのカウンターまで続いた。
「おい、キミ!521号室のベッドに、こんなものが落ちていたぞ!」
いきなり怒鳴りつけたのは、足音の主である一人の男性だった。憤慨しながら、割り箸の破片をカウンターの上に叩き付けると、その迫力におののいたのか、看護婦は恐怖のあまり縮こまってしまった。
「患者さんはまだ小さい子供だぞ。間違って飲み込んでしまったらどうなると思う?以後、病室のチェックを怠らないよう注意しなさい!」
その男性に激しく叱りつけられて、看護婦は体をくの字に曲げて陳謝する。その割り箸の破片を手にして、彼女は逃げるように奥へと引っ込んでしまった。
「生半可な仕事をするからこういうことになるんだ、まったく・・・。事故が起こってからでは遅いんだぞ。」
叱責しながら、いつまでも愚痴をこぼしているその男性。年齢は30代ぐらいで、背が高く端整な顔立ちをしているその人こそ、オレが捜し求めていたあの医師であった。
やっと巡り合えたものの、激情したその医師の威圧感に萎縮してしまい、オレは彼に声を掛けられずにいた。
すぐそばにいるオレに目を向けることなく、その医師はこの場から立ち去ろうとする。このチャンスを逃したらマズイだろうと、オレは怖気ついた感情を沈めて、縮こまっている体を奮い立たせた。
「あの、すいません!」
オレの呼びかけに、その医師はピタリと足を止めた。
ムッとした表情のまま、オレの方へ顔を向ける医師。ギラッとした鋭い眼光で、彼は噛み付くようにオレを見据える。蛇に睨まれた蛙のごとく、オレは身動きが取れなくなっていた。
「君は・・・。」
オレの顔に見覚えがあると気付いたのか、その医師は顔を強張らせて絶句している。
「お忙しいところ申し訳ありません。・・・もし、お時間があれば、少しだけお話できませんか?」
勇気を振り絞って、オレがその医師に話し合いを申し出るも、彼は険しい表情のまま黙り込んでしまった。
「ダメ・・・ですか?」
オレの問いかけに答えることなく、その医師は静かに歩き始めると、立ち尽くしているオレのもとへ向かってきた。
一歩、そしてまた一歩と、その医師は足音を響かせながら、オレのそばへと歩み寄ってくる。近づいてくる彼の凍りつくような表情に、オレは足を動かすことすらできない。
オレとその医師との距離が、ついに目の鼻の先まで迫ってきた。彼の威圧的な空気に、オレの鼓動が激しく高鳴る。
「・・・。」
その医師は立ち止まることなく、オレの横を素通りしていく。そして、すれ違い様に、彼は囁くような小さな声で話しかけてくる。
「午後から診察だから、今なら話せる。ここでは何だから、屋上についてきてくれないか。」
その医師はそれ以上語ることなく、屋上へとつながる階段を上っていく。怯えを押し殺しながら、オレは返事一つすると、彼のなびく白衣を追いかけていった。
===== * * * * =====
「胡蝶蘭総合病院」の屋上は、眩しい日差しに照りつけられていた。この病院は七階建てとあって、駅周辺の商業ビル群が見渡せる高さだった。
雑音すら届かない静寂の屋上で、オレと小児科の医師は黙ったまま佇んでいた。
この炎天下にも関わらず、病院内の冷房に慣れていたせいか、オレは暑さに鈍感になっていた。とはいえ、オレの背中は驚くほどに、汗でグッショリと濡れていた。
屋上を囲む手すりに手を宛てて、その医師は呆然と青空を見上げている。そんな彼の後ろ姿を、オレは口を閉ざしたまま見つめていた。
「それで、話とは何だね?」
冷静を装うように、その医師は落ち着き払った態度を見せる。オレも緊張を解きほぐそうと、大きく息を吸い込み、そして、力強く吐き出した。
「もうご存知だと思いますが、浜木綿の紗依子さんのことです。」
あらかた、オレの台詞が予想できていたのだろう。その医師は顔色を変えず、あくまでも冷静さを装い続けていた。
「紗依子さんは、オレの友人を通じて知り合った人です。だから、浜木綿にもよく行くから、彼女にはお世話になってます。・・・紗依子さんから、あなたのことも伺いました。以前、交際していたことも。」
微動だにせず、オレの話に耳を傾けている医師。彼の真っ白な背中に届くように、オレは話を続ける。
「あの夜、オレは紗依子さんから、アパートまで見送ってほしいとお願いされてました。その時、借りていたDVDを彼女の友人に返してと頼まれて、オレはそのDVDを受け取るために、彼女の部屋の前まで行ったんです。・・・これが、あなたの目撃した真実なんです。」
あの夜の出来事を、オレは包み隠さず正直に話した。それは、少しでも誤解を解きたいというオレの願いでもあった。
ところが、そんなオレの願いが届かなかったのか、その医師はオレを蔑視するようにせせら笑う。
「フフフ、この後に及んで何を言うのかと思ったら・・・。彼女から頼まれて、わたしのところまで来たというわけか。これ以上、付きまとうのはやめてと伝えるために。」
「違います!ここには、オレ自身の意思で来たんです。お二人がこのままじゃよくないから・・・。だから、ちゃんと話し合いをして解決してほしいと言いたくて。」
オレは首を大きく振って、紗依子さんの指示ではないことを訴えた。
「話し合いをして解決してほしい?・・・とんでもないお節介だな。」
そう言いながら、疑ってかかるような目つきで、その医師はオレを睨みつけてきた。
「そんなこと無関係の君に言われたくない。あの夜のことはこれ以上咎めないが、彼女に対することで、君に命令されたり、指示されたりする筋合いなどない。」
その医師は苛立つように言い放った。彼は少なからず、オレと紗依子さんの関係を疑っているようだ。このままでは、オレがどんなに誤解を解こうと弁解しても、彼の心まで伝わることはないだろう。
「すまないが、こんな茶番な話を聞くために時間を割いたわけではない。これで失礼させてもらう。」
その医師はそう言葉を吐き捨てて、この屋上から立ち去ろうとする。
踏み止まらせようと、オレは無我夢中で説得を試みた。ここで終わらせてしまったら、すべてが元の木阿弥になってしまう。
「待ってください!紗依子さんは、あなたに一方的に別れを告げたこと、すごく反省しているんです。申し訳ないと思ってるけど、彼女はどうしてよいかわからず戸惑っているだけなんです。紗依子さんが悩んでいることも、辛くて苦しんでることも、オレにはそれがわかるんです!」
オレが必死になって訴え続けるも、それが逆鱗に触れてしまったのか、その医師は怒気を含んだ大きな声で叫んだ。
「・・・いい加減にしないか!」
怒りに満ちた表情をしている医師。体を小刻みに震わせて、彼は絞り出すような声を上げていた。
「わかっているだと?ふざけるな!紗依子のことは、わたしが一番知っている。他の誰でもない、わたしが彼女を一番理解しているんだ!!」
その医師は鬼の形相で、オレに憎しみの視線をぶつけている。あまりの彼の豹変ぶりに、オレは極度の緊迫感で身動きが取れなくなってしまった。
「わかったような口、二度と叩けないようにしてやろう・・・!」
白衣のポケットに手を差し込んで、その医師は尖った何かを握り締める。脅しを掛けるように、彼はその尖ったものをオレに向かって突き立てた。
「わたしは今、手術用のメスを握っている。このメスの切れ味は相当なものだ。軽く触るだけで、サクッと肌を切開できる代物さ。・・・これが何を意味するか、わかっているかね?」
荒い息遣いで、そうつぶやく医師。ついに彼は、このオレに憎悪の牙を剥き出した。
身の危険を察知して、オレは無意識のうちに後ずさりし始める。一歩一歩下がるオレを見ながら、その医師は不穏な笑みを浮かべていた。
「・・・言っておくが、逃げようと思っても無駄だよ。この病院の屋上はね、外側からも施錠ができる仕組みになっているんだ。ここへ来た時、君に気付かれないように、カギを掛けておいたよ。信用したくなければ、信用しなくてもいい。・・・フフフ、それとも、振り返って確かめてみるかね?」
迫りくる恐怖に背筋が凍りつくオレ。額から汗が滴り落ちて、オレの両足は震え上がっていた。
ここから逃げ出したくて、オレはすぐにも振り返りたかった。だが、じわりじわりと追い詰めてくる医師に、オレは背中を見せることの方が怖かった。
「もし、怪我をしたくなければ、金輪際、紗依子に近づかないと誓いたまえ。これまでのことは、すべて水に流してもいい。だから、二度と彼女に近づかないと誓うんだ!」
紗依子さんから身を引けと、その医師は半狂乱で攻め立ててくる。すでに彼は、冷静さを失いつつあった。
もし、オレが身を引くと誓ったとしても、結局、この医師と紗依子さんの関係は何も変わらない。いや、むしろ悪化の一途を辿ってしまうだろう。
「・・・落ち着くんだ。・・・落ち着くんだ。・・・落ち着くんだ。」
オレは心の中で、冷静になるよう自分自身に言い聞かせる。この医師をここまで凶行させてしまったのは、紛れもなくオレの責任なのだ。彼と対話できるようにするためにも、まずは自分が落ち着かなくては・・・!
「・・・ど、どうした、なぜ黙っている?は、早く、紗依子の前に二度と現れないと誓うんだ!」
焦りの表情を見せ始める医師。白衣のポケットにある腕がガタガタと震えている。
この医師も、オレと同じく一人の人間なのだ。脅迫という行為に及んだ時点で、彼もまた、恐怖という危機感に全身を支配されている違いない。
同じ人間同士ならば、暴力ではなく言葉だけで解決できるはずだ。オレは全身全霊をかけて、対話という名の死闘を繰り広げることにした。
「こんなこと、もう止めにしませんか?こんなことをしても無意味だということを、あなたが一番わかってるはずですよね。」
オレの問いかけに、その医師は苛立ちを募らせている。うだるような暑さのせいか、それとも精神的に余裕がないのか、彼の顔は汗でびっしょりだった。
「オレにはわかってます。あなたは、人を傷つけたりできる人じゃありません。」
「な、何だと・・・!?この期に及んで、わたしを諭すつもりか・・・!」
唖然とした顔をしながらも、その医師はまだ一歩も引こうとしない。オレを怯ませようと、彼は尖った何かをオレに突き出したままだった。
「そのポケットの中にあるものって、本当はメスじゃないですよね?」
「・・・!」
その医師が一瞬たじろいだように見えた。しかし、心の中を探られまいと思ったのか、彼は平然を装うように表情を切り替えた。
「な、何を根拠にそんなことを言っている?」
「根拠っていうか、これはオレの推理だと思ってください。」
そう答えると、オレは自分なりの推理を展開し始める。
「あなたは小児科担当ですよね?小児科の先生って、気軽にメスなんて持ち歩かないと思うんです。だって、小さい子供に接するわけですから。・・・ついさっきも、子供のいる病室のベッドに、割り箸の破片が落ちていただけであれだけ憤慨していた。そんなあなたが、メスのような危険なものを白衣にしまっているとは思えないんです。」
尖ったものをオレに向けてはいるが、その医師はある程度、落ち着きを取り戻しつつあった。
「・・・なるほど。なかなかの洞察力のようだ。」
一定の理解は示してくれたものの、その医師はオレの推理を受け流すように否定する。
「君の言う通り、わたしは小児科担当だ。手術をすることもないから、メスは普段持ち歩かない。だが、わたしは医師であり、病院関係者であることも事実。メスを気軽に手に入れて、ポケットに忍ばせることは十分に可能だと思うが?」
「ええ。確かに、可能でしょうね。」
オレに正論を突きつけて、不敵にあざ笑っている医師。しかし、オレはそんな彼の矛盾点を指摘する。
「あなたの言うことが正しければ、今日のあなたはメスが必要だったということですよね?もし、オレを脅すためだけに、わざわざ危険を冒してまでメスを忍ばせていたとしたら、ちょっとおかしいことになりませんか。」
真意を理解できなかったのか、その医師は疑問を抱くような顔をしている。オレはその真意について解説していく。
「今日のあなたは、オレと会うことは想定してなかったはずです。だって、あなたから声を掛けたんじゃなくて、オレの方から声を掛けたんですから。」
「・・・そ、それがどうしたと言うのかね?」
若干動揺しつつも、強硬姿勢を崩さない医師。オレはさらに話を続けていく。
「さっきあなたは、普段からメスを持ち歩かないって言ってましたよね?ナースステーションの前から屋上に来るまでに、メスを手に入れることができなかったのに、今のあなたはどうしてメスを持ってるんですか?それって矛盾していると思いませんか?」
「・・・!」
オレの指摘が的を射ていたのか、その医師はオレから目を逸らしていた。悔恨な顔色をしながらも、彼はすぐさま、開き直ったように攻撃的な口調で言い返してくる。
「そ、それは、あくまでも君の推論だろう。わたしの言葉の矛盾点を突いただけで、根拠となる確たる証拠は何も出てきていないじゃないか!と、とにかく、紗依子に近づかないと言えばいいんだ。これ以上、わたしを怒らせないでくれ!」
その医師は語気を強めて、強硬な姿勢を貫こうとする。しかし、彼は強気に出ながらも、気持ちの迷いを隠すことはできなかった。
「あなたがポケットに忍ばせているものが、本物のメスだったとしましょう。・・・でも、そうだったとしても、あなたは人を傷つけることなんて絶対にできません。」
「な、何が言いたいんだ!?」
精神的に追い込まれていく医師。顔中汗びっしょりで、彼は少しずつ後ずさりしていく。
「一般病棟のエレベーター付近の廊下で、しゃがみ込んで泣いていた女の子に、あなたは優しく接して、穏やかな表情で手を差し伸べてくれた。・・・オレ、そんなあなたの姿を見かけていたんです。小さい子を大切に思って、泣いている子を放っておけない心優しいあなたが、人を危めたり、傷つけたりなんてこと、絶対にできるわけありません。」
呆然とする医師はついに、オレに何も言い返せなくなっていた。手すりまで後ずさりして、彼はふらつきながら手すりに寄りかかってしまった。
「あなたは医師として、傷を癒す立場の人です。そんなあなたなら、人が傷つくことの怖さや、痛さを知り尽くしているはず。ポケットの中身は何でもよかった。あなたはオレを傷つけることなく、脅しだけで解決しようとしていたんですよね。・・・だから、あなたはいつまでも、ポケットから手を出せなかった。」
力なく肩を落として、うつろな目をしたままの医師。もう食い下がったり、反論することもなく、彼は黙ったまま頭を垂らしていた。
「子供たちに見せてくれる優しくて穏やかな笑顔で、本来のあなたのままで、紗依子さんと真剣に話し合ってみてください。あなたの想いは、きっと彼女に伝わると思います。」
オレの切なる願いは、その医師の心まで届いてくれたのだろうか。彼は重々しく上空を見上げると、澄み切った青空を見つめていた。
「・・・負けたよ。見事な推理だった。」
スローモーションのように、その医師はゆっくりとポケットから手を出した。彼の手に握られていたのは、一般によく見る、ごく普通の黒いボールペンだった。
疲れ果てていたのか、その医師は手すりからすべり落ちると、崩れながらその場に座り込んでしまった。
強張った緊張感から解放されて、オレは深呼吸一つして安堵の息をついた。そして、崩れ落ちた医師の前へと近づいていく。
「紗依子さん、どうしていいのかわからず迷ってるんです。あなたが何も言わず、ただ黙っているだけだから。こういう時こそ、男性であるあなたの方から、積極的に打ち明けるべきなんじゃないですか。お店で黙り込んだりせず、アパートの前でうろついたりせず、誠心誠意を込めて、紗依子さんと向き合ってください。」
座り込んだまま、その医師はうなづくように頭を下げてくれた。
「すまないが、警察を呼んでくれ。・・・わたしの行為は、明らかに脅迫罪だ。罪を償うよ。」
「必要ないでしょう?ボールペン突き立てられて脅されましたって、そんなこと、恥ずかしくて警官に言えませんよ。」
オレがさわやかな表情でそう黙認すると、その医師は頭を地べたに擦り付けて、ひたすら謝罪の弁を述べていた。薄っすらと涙を浮かべながら。
太陽が眩しく輝いている上空を見上げたオレ。心までもが澄み渡り、オレはすがすがしい気持ちでいっぱいだった。
「・・・ここ暑くないですか?早く中に入りません?」
頭を下げ続ける医師に、オレはそっと手を差し伸べる。彼は穏やかな笑みを浮かべて、オレの手をしっかりと握り返してくれた。お互いにわだかまりなく、気持ちを分かち合えた瞬間だった。
「・・・そうだね。このままじゃ、わたしたちが患者になってしまうね。」
オレたちは笑いながら、炎天下の屋上から逃げ出した。そんなオレたちを見送るように、灼熱の太陽もギラギラと笑っているかのようだった。
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「何事もなくてよかったけど、これからは、こんな危険なまねはしないようにね。」
「ごめんなさい。オレ、何とかあの二人の手助けがしたいばかりに。もうこんなマネしないよう気を付けます。」
アパートのリビングルームで、オレは麗那さんにお叱りを受けていた。負い目を感じつつ、ただ頭を下げるばかりのオレ。叱られている理由は、今更言うまでもないだろう。
あの医師はというと、あの出来事の翌日には、紗依子さんのもとを訪ねたそうだ。誠心誠意を込めて、彼は優しく穏やかな気持ちで、紗依子さんと向き合ってくれたに違いない。
オレの身勝手な行動が、あの医師から紗依子さんへ、そして、紗依子さんから麗那さんへと伝播していき、数日経過した今日、オレはこの場で、麗那さんから説教される羽目になってしまったというわけだ。
「・・・でも、ありがとう。紗依子のこと、真剣に考えてくれて。」
麗那さんはオレを諭しつつも、感謝の気持ちも伝えてくれた。最悪の事態とならず、誰も傷つかなかったことに、彼女は心からホッとした様子だった。
「フフ、紗依子には、今度はランチじゃなくて、豪勢なフランス料理のディナーでもごちそうしてもらいたいね。」
そんなジョークをこぼしながら、麗那さんは愛くるしく微笑んでいた。その時、ごちそうする羽目になった紗依子さんの困った顔が、オレの脳裏にふわっと思い浮かんで、オレは思わず失笑してしまった。
「人の色恋沙汰に首を突っ込むのもどうかと思ったけど、結果オーライになってよかったわ。あの二人、順調に進んでいってくれるといいね。」
「そうですね。もともとは嫌いな者同士が別れたわけじゃないですから。お互い譲歩し合えれば、昔のような関係に戻れるんじゃないですか。」
テーブル椅子に腰掛けたまま、リビングルームの窓から外の景色を眺めるオレたち。緩やかに吹いているそよ風が、庭木の青葉をかすかに揺らしていた。
麗那さんがふらっと立ち上がり、締め切っていた窓を開け放つと、リビングルームに心地よい涼風が流れ込んできた。
「いい風だねー。日も沈みかけてきたからかな。」
オレがふと、リビングルームの壁掛け時計に目をやると、時刻は夕方6時を過ぎていた。
「もうこんな時間だ。麗那さん、そろそろ準備しないと間に合いませんよ。」
「あら本当、もうこんな時間だったのね。早く支度しなくちゃ。」
壁掛け時計を見ながら、麗那さんは慌てて窓を締め切った。
何の話をしているかというと、今日の夕方7時から、前々から企画していた奈都美の再会パーティーを執り行うことになっているのだ。会場は奈都美本人にも了解をもらって、住人たち御用達の「串焼き浜木綿」である。
参加者みんなの都合上、開催日が日曜日となってしまったが、浜木綿には特別営業してもらうよう配慮してもらっていた。
「それはそうと、他のみんなは?」
「みんな、直接現地へ行くそうですよ。ジュリーさんはバイト帰り、潤は遊び帰り、あかりさんは原稿の届け帰りに、それぞれ現地へ行くって言ってました。」
「そっか。それじゃあ、マサくん、一緒に行こうか。着替えるから、ちょっと待ってて。」
そう言うと、麗那さんは身支度のために自室へと向かっていった。
すでに着替えを済ませていたオレは、麗那さんが戻ってくるまでの間、リビングルームでのんびり待つことにした。
「今日も暑かったなぁ。梅雨明け前なのに、もうすっかり夏本番って感じだもん。」
そう言いながら、オレはリビングルームの窓から遠くの青空を見上げる。黄昏時が近づいているせいか、空色が薄っすらと琥珀色に染まりつつあった。夜が来るのを待ち望むかのように、空の上には宵の明星が小さく輝いていた。
これからアパートはもぬけの殻になるため、オレはリビングルームの窓をきっちりと施錠し、たたんでいたカーテンを目一杯に広げた。
「お待たせー。」
そうこうしているうちに、身支度を整えた麗那さんがリビングルームに戻ってきた。薄めのブラウスに、細めのスキニージーンズを身にまとって、彼女らしいおしゃれな着こなしだった。
「それじゃあ、行きましょうか。」
「はい。」
夕暮れ時の空のもとへ、オレと麗那さんは肩を並べて歩いていく。オレたちの晴れやかな気持ちを映し出すかのごとく、今日の夕焼け空はこの上ないほどに美しかった。
第七話、そして第一章はこれで終わりです。
物語は第二章へと続きます。
ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。




