第一話 二.管理人代行の心構え
駅東口にある「胡蝶蘭総合病院」へは、アパートから歩いて25分ほどかかるそうだ。面会時間に間に合わせるため、オレたち一同はタクシーで向かうことにした。
オレたちは、アパートから細い路地を抜けて大通りに出る。まもなく夜を迎えるというのに、大通りは行き交う自動車の群れで混雑していた。
「わたしたち五人だから、ニ台に分かれて行こう。」
自動車のヘッドライトの光に目を覆いながら探すこと数分、”空車”を表示したタクシーがニ台こちらへ向かっていた。
オレとおしゃれな女性が、片手を挙げてタクシーを呼び止める。そして、一台目にオレと彼女が乗り込み、ニ台目に他の女性たちが乗り込んだ。
「胡蝶蘭総合病院までお願いします。」
行先を聞いて、気のない返事をする運転手。車内プレートを”乗車”に切り替えて、彼はゆっくりとタクシーを発車させた。
タクシーの後部座席に腰掛けたまま、オレは車窓から見慣れない景色を眺めていた。大通り沿いに並ぶ郊外型レストランや家電量販店のネオンが、オレのまぶたに焼きつくほど眩しかった。
タクシーに乗車すること10分ほど。オレたちの目の前に大きな病棟が姿を現した。病院施設内のタクシー乗降場所に停車すると、おしゃれな女性がワンメーター料金を支払う。
「後で割り勘ね。」
小悪魔のような、かわいい笑みを浮かべるおしゃれな女性。そんな彼女の茶目っ気に、オレは思わず苦笑した。
「わたしね、少し前まで、この病院にお友達が入院しててね。何回かお見舞いに来たことがあるの。」
おしゃれな女性曰く、胡蝶蘭総合病院はこの付近で一番大きな病院とのことだ。内科や外科はもちろん、放射線科やリハビリテーション科に、なんと別棟には歯科もあるという。
おしゃれな女性の友達とは仕事仲間で、交通事故による怪我で入院していたとのこと。従事する医師や看護婦も人当たりが良く、お見舞いの際はとても親切にしてもらったという話だった。
「そのお友達はもう退院されたんですか?」
「・・・ん、まぁね。」
オレたちがそんな会話をしていると、ニ台目のタクシーも到着した。
タクシーから出てきた女性たちは、何やら言い合いをしている。どうやら、タクシー料金の割り方で揉めているようだ。今月はピンチだとか、カードの返済が滞っているだとか、そんな下らない言い争いを繰り広げていた。
「ほら、そんな話は後でいいから、早くいらっしゃい!」
おしゃれな女性は、騒いでいる女性たちの仲裁に入ると、早く病棟へ向かうよう促した。
オレたちは早足に、病院の正面入口まで駆け込んだ。病院の正面入口の自動ドアをくぐると、”面会時間は午前11時から午後7時まで”と書かれた看板が掛けてあった。
オレは慌てて腕時計に目をやる。時刻は午後6時30分、面会時間終了30分前だった。
「間に合った。よかったー。」
安堵の表情を浮かべるオレ。おしゃれな女性は、そんなオレに優しい笑顔を向けてくれた。
ひと気が少なくなったロビーを通り抜けて、オレたちは、受付窓口にいる女性職員に病室番号を確認する。
「あの、すみません。八戸居太郎さんの病室はどこでしょうか?」
「八戸さん、八戸さん・・・。あ、五階の512号室ですよ。面会時間あと少しですからお早めにどうぞ。」
エレベーターへ乗り込んだオレたちは、病室のある五階へとやってきた。
乳白色の長い廊下を進んでいくと、オレは512号室のプレートを見つけた。入室患者の欄には”八戸居太郎”の文字が刻まれている。どうやら、この病室はじいちゃん一人だけのようだ。この時間に押しかけるには運が良かった。
「失礼しまーす・・・。」
ドアを軽くノックし、オレは静かにドアノブを回す。木目調のドアをゆっくり開くと、真っ白なカーテンと敷布が目に眩しかった。
病室内のベッドには、新聞紙を広げてくつろぐ年老いた男性の姿があった。
「じいちゃん!」
オレの呼びかけに、その老人はゆっくりと顔を起こす。この人こそ、オレのじいちゃんであり「ハイツ一期一会」の管理人である八戸居太郎本人だった。
「おお・・・!」
久しぶりの再会だった。オレとじいちゃんは、電話でこそ話はするものの、こうやって顔と顔を見合わせるのは八年ぶりだった。
「・・・あんた誰だっけ?」
じいちゃんの大ボケに、思わずズッコけるオレ。女性たちは、チラッとオレの方へ怪訝な視線をぶつける。
「み、みなさん、違います、違うんです!ホントにオレ、孫なんですって!じいちゃん、ボケるのやめて。冗談じゃ済まなくなるから!」
頭を撫でながら、満面の笑みを見せるじいちゃん。
「ひゃっひゃっひゃ、すまんな、マサ。少しからかってみたかったんじゃ。」
「じいちゃんがそういうボケするとさ、ホントにボケたんじゃないか?ってビックリするから、もうやめて。お願いだから。」
ケタケタと笑うじいちゃんの細い目に、オレの後ろにいる住人の方々が映ったようだ。
「おお、住人のみなさん、お見舞いに来てくれたんじゃね?いやぁ、わし、嬉しいなぁ。」
じいちゃんの姿を見た女性たちは、オレの横を颯爽とすり抜けると、じいちゃんのベッドの周りに群がった。
「Oh!ハッチャン、大丈夫?」
「びっくりだよぉ、ハッちゃんが、まさか入院なんてさぁ。」
「でも、元気そうでよかったわ。」
じいちゃんは、年甲斐もなく照れくさそうに笑っている。住人たちに心配されているところから、じいちゃんの人柄のよさが見て取れた。
それにしても、じいちゃんが元気そうで何よりだ。電話で声を聞いた限り、心配するほどではないと思ってはいたものの、如何せん70歳代のご老体のため、こうして会ってみないと不安だったからだ。
「みなさん、わしがいない間、ここいる孫のマサがみなさんのお世話をしますからよろしく頼みます。」
女性たち三人はオレを一瞥すると、猫なで声のような奇声を上げた。
「OK、OK!もちろんヨ。ハッチャンの孫、大歓迎ヨー。」
「今日もねぇ、あたしたちみんなで歓迎したばかりなんだよぉ。」
「そうです。少なからず会話したりして、交流を深めてますわ。」
随分と手痛い歓迎だったような気がするけど・・・。ここまでに受けた仕打ちについて、じいちゃんに報告しようとした瞬間、隣にいたおしゃれな女性がオレの肩に優しく触れた。
「まぁそう怒らない、怒らない。ここはわたしに免じて許してね。」
そう言いながら、ウインク一つしたおしゃれな女性。そんな彼女の振る舞いに、なぜか、怒りとか悔しさといったオレの感情が吹き飛んでしまった。
「管理人さん、わたしたちのことは心配しないで。お孫さんしっかりしてそうだし。だから、安心してお体休めてくださいね。」
おしゃれな女性の労いに賛同する他の女性たち。彼女は、オレにも相づちを打つよう求めてきた。
「そうだよ、じいちゃん。とりあえずアパートの管理人ってよくわかんないけど、がんばってみるよ。だから安静にして、のんびり休むといいよ。」
オレがそう言うと、じいちゃんはホッとしたような表情を浮かべていた。
思い出したように、じいちゃんは備え付けの戸棚から何かを取り出す。それは、アパートのマスターキーと、一冊の大学ノートだった。
「ねぇ、じいちゃん。このマスターキーはわかるけど、このノートは何?」
「管理人としての心構えじゃよ。」
オレは首を傾げる。じいちゃんは話を続けた。
「別名、管理人への道じゃな。そこには管理人としてやるべきことが書いてある。まずはそのノートを読んでみるといい。そして、明日から管理人代行として、ここにいる住人のみなさんに安心して過ごしてもらうよう心掛けることじゃ。」
管理人への道と言われても、オレは管理人になることが将来の夢ではないのだが。
それはさておき、そういったマニュアルがあるのはありがたい。管理人への道という別名だけに、これさえあれば、管理人として迷うことなく、よき道しるべになってくれるだろう。
オレはありがたく、じいちゃんから引継ぎ道具を受け取った。
「がんばれよ、マサ。」
それから数分後、看護婦が面会時間終了を知らせに病室へとやってきた。オレの腕時計の短針は、いつの間にか夜7時を告げていた。
「マサ、また見舞いに来るんじゃぞ。住人のみなさんも、気軽に来てくださいね。できれば、手土産持って。」
名残り惜しさに後ろ髪を引かれながら、オレと住人たちはじいちゃんの病室を後にした。
すれ違う看護婦や病院関係者に挨拶しながら、オレたちは静まり返った病棟を出ていくと、外はすっかり暗闇に包まれていた。
上空を見上げてみたら、夜空にはいくつかの小さな星が輝いている。オレにとって、東京で見る初めての星空だった。
「う~ん・・・。お腹空いちゃったね~。みんなは?」
おしゃれな女性が、大きく伸びをしながらそう問いかけた。女性たち三人はすぐさま答える。
「お腹ペコペコよ。」
「うんうん。あたしも空いたぁ。」
「そうね。もう時間も時間だし。」
おしゃれな女性は、オレにもお腹が空いたかどうか尋ねてきた。
そういえば、東京駅に向かう新幹線で昼食を済ませていたことを思い出したオレ。あれから、随分時間が経過しているので、空腹状態であることは間違いないけど、ここまでいろいろな出来事があったせいか、お腹を空かせることすら忘れてしまっていたようだ。
「空いてきました・・・。ようやく。」
ここに来て生まれた安心感が、引っ込んでいたオレの空腹神経を刺激した。
「それじゃあ、食べて帰ろうよ。」
おしゃれな女性の一声に、拍手しながら賛成する女性たち。
女性たちは、どこで食事をするのか討論を始める。和食、洋食、中華、フレンチ、イタリアン、アジアン料理といった選択肢が飛び交う。オレは黙ったまま、なす術もなくその場に立ち尽くすだけだった。
しばらく討論を続けていると、外国人っぽい女性が何かを思いついたのか、弾んだ声を張り上げた。
「あ、そうだワ。今日のディナー、浜木綿にしヨ。」
茶髪の女性は驚いたような顔をした。
「えー、浜木綿ってぇ、日曜日お休みじゃん。」
「大丈夫ヨ。マスター、今日営業するって言ってたワ。今月ピンチで、特別営業らしいヨ。」
討論の結果、今日の夕食は「浜木綿」というお店に決まった。名前からして和食タイプのお店だろうか。
和食派のオレにしたら嬉しい選択だった。今は亡きばあちゃんから、和文化を重んじる作法や料理を教わっていたオレ。その頃の影響もあってか、オレは今でも、和食を中心とした食事をしているのである。
「そうと決まれば、浜木綿に向けていざ出陣よー!」
病院の玄関前にも関わらず、大盛り上がりで元気よく歩き出した女性たち。そんな彼女たちの後ろをついていくオレ。
女性たちの話によると、「浜木綿」は駅の西口側、つまりアパートのある方向にあるそうで、駅から歩いても5分ほどとのこと。オレたちは街灯が照らす道路を闊歩しながら、一路駅舎方面へと足を向けた。
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