第七話 一.親友同士の絆
すがすがしく晴れた朝を迎えた。まもなく、7月になろうかとしていたそんな土曜日。
オレにとって土曜日の朝は、いつもの日課である管理人の仕事から始まる。動きやすい格好に着替えながら、オレは管理人室に掛けてあるカレンダーに目をやった。
「えーと、今日は・・・。ペットボトル系のゴミの日か。」
今日は、月に二回収集のあるペットボトル系のゴミの日だった。というわけで、オレはリビングルームにあるゴミ箱を片付けることにした。
共同利用しているためか、リビングルームのゴミ箱は結構溜まりやすい。しかも、不燃物系のゴミやペットボトル系のゴミに限っては、住人みんな、自室のゴミ箱ではなく、リビングルームのゴミ箱に捨てているのだ。住人みんな、自室のゴミ箱を分別するのが面倒なのだろう。
「さてと、ゴミはいっぱい溜まってるかな?」
リビングルームに入るなり、流し台のそばまでやってきたオレ。早速、流し台の隅に置いてある大きなゴミ箱を覗き込んでみた。
「うわぁ、いっぱい溜まってるぞぉ。」
流し台の戸棚から、オレは20リットルの半透明ゴミ袋を取り出した。
そのゴミ袋に、オレは無造作に捨てられたペットボトルを詰め込んでいく。ゴミ箱が空になった頃には、ゴミ袋ははちきれんばかりに膨らんでいた。
「やばい、これじゃあ口を塞げないぞ。確か、流し台の辺りに輪ゴムがあったような・・・。」
輪ゴムを探すために、流し台付近を見渡したオレ。ところが、輪ゴムを見つける前に、オレは違うものに目が止まってしまった。
水切りバスケットの中に、小皿がたった一枚だけ置かれていた。よく見ると、その小皿はまだ水が完全に切れていない。ということは、洗い終わったばかりということか。
「誰がこんな朝っぱらから洗ったのかな。それにしても、小皿たった一枚だけって何だか変だなぁ。」
住人の誰かが食事で使っていれば、小皿と一緒に箸があってもおかしくないだろう。もし、割り箸を使っていたとしたら、お皿だって使い捨ての紙皿で十分だったはずだ。オレは何となく、そんな違和感を覚えた。
「おっとっと。そんなことより、ゴミ捨てしなきゃ。」
調味料ケース付近で見つけた輪ゴムで、ゴミ袋の口をしっかりと塞いだオレ。よっこいしょと、ゴミ袋を抱えるように持ち上げて、オレはゴミ置き場のある非常口を目指した。
「住人四人とオレが捨てた二週間分のペットボトルだもんな。・・・重たいわけだよなぁ。」
それにしても、じいちゃんがいつも、これぐらいの量のゴミを運んでいたのかと思うと、オレは頭が下がる思いだった。
廊下の突き当たりにある非常口まで辿り着いたオレ。抱えていたゴミ袋をいったん下ろして、オレは非常口の扉を開放した。
「おお、今日もいい天気だなー。」
アパートに隣接する住宅の隙間から、わずかに暖かな陽光が差し込んでいる。いつもは薄暗く湿っぽいゴミ置き場が、今朝はいつになく明るかった。少しだけひんやりしていて、涼しさも感じることができた。
大きなゴミ袋を抱えて、オレはゴミ置き場の鉄扉に手を掛ける。すると、どこからか、小さな音色が聞こえてきた。
「鈴の音か・・・?」
オレは周囲を見渡したが、付近には誰もおらず、特に変わった様子もなかった。
気のせいかとつぶやきつつ、オレがゴミ置き場の鉄扉を開けた、まさにその瞬間だった。
「な、何だっ!?」
ゴミ置き場の中から、得体の知れない何かが跳び出してきた。オレはびっくり仰天で、思わずその場でのけぞった。
その何かが、素早くオレの横をすり抜けて、逃げるように走り去っていく。それは何と、白と黒の毛並みをしたぶち猫だった。鈴の音を鳴らして、ぶち猫は飛び跳ねながら壁の上へと上っていった。
「何だ、猫か、びっくりしたぁー。・・・もしかしてアイツ、ゴミ箱に閉じ込められていたのかな。」
常識的に判断すれば、ぶち猫が自分で鉄扉を開けて、ゴミ置き場の中に入るなんてまずありえない。住人やゴミ収集業者がこの鉄扉を開けっ放しにしてしまい、その隙に猫が入り込んでしまったところ、何かの拍子に扉が閉じてしまったと考えるのが妥当な線だろう。
そんなことを予想しながら、壁の上にいるぶち猫を眺めていると、オレのことを気にしていないのか、ぶち猫は壁の上でのんびりあくびをしていた。
普通なら、猫ほどの警戒心の強い動物なら、見ず知らずの人間が近くにいれば、見向きもせず逃げ出してしまうだろう。ところが、このぶち猫は逃げないどころか、足で耳を掻いたり、舌で毛繕いしたりと余裕たっぷりだった。
「あれ、あの猫、首輪付けてる。ということは飼い猫か。」
ぶち猫の首には、赤い色の首輪が巻きついている。その首輪に目を凝らしたが、名前や飼い主がわかるような物は見当たらない。ただ、小さな音を鳴らす金色の鈴だけがぶら下がっていた。
このぶち猫のことが気になってしまい、オレは呆然とぶち猫を見つめていた。すると、ぶち猫も負けじと、黄緑色した目でオレのことを見据えている。
しばらくの間、オレとぶち猫はにらめっこしていたが、ぶち猫の方が先に飽きてしまったようで、尻尾をゆらゆらと振りながら、どこかへ歩き去ってしまった。小さな鈴の音を響かせながら。
「近所に住んでる猫だろうか。アパートのゴミ置き場を荒らさないといいけど。」
そんな心配をしつつ、オレはゴミ袋をゴミ置き場へと投げ入れた。もう二度と、ぶち猫が閉じ込められないようにと、オレはゴミ置き場の鉄扉をきっちりと閉めた。
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その日の正午前、オレと麗那さんは日差しが降り注ぐ市街地を歩いていた。
紗依子さんのご厚意により、今日のランチをごちそうになるため、オレたちは彼女が指定したレストランを目指していた。
薄めの長袖ブラウスに、白のスキニーパンツで身を包んだ麗那さん。深めに帽子をかぶり、大きめのサングラス、そして、レースフリルの日傘を差して、彼女は紫外線の攻撃を防いでいた。
お肌を傷つけるわけにはいかない商売柄だけに、これぐらい日常茶飯事だからと、麗那さんは吹っ切れたような顔をしていた。
「あのレストランよ、マサくん。」
出掛けてから30分ほどで、オレたちは待ち合わせのレストランへ到着した。そのレストランは、全国にチェーン展開している馴染みのあるお店だった。
冷房の効いた店内へと入っていくオレたち。すでに待機していた紗依子さんが、そんなオレたちを笑顔で迎え入れてくれた。
「いやいやいや、二人とも、暑い中ごめんねー。」
今日の紗依子さんは、いつものようにエスニック柄のブラウスを羽織って、見た目も涼しそうだった。
「いいわよ、これぐらい。おごってくれるんなら、多少は我慢するわ。ねぇ、マサくん。」
そう言って、意地悪っぽく微笑んだ麗那さん。口元を尖らせている紗依子さんに、オレはありがとうございますとお礼を言った。
紗依子さんに促されて、オレと麗那さんは空いている席へと腰掛けた。
「好きなメニュー頼んでいいよ。特別サービスで、ドリンクバーもおまけしちゃう。」
紗依子さんのご厚意に感謝しつつ、オレたちは好みのメニューとドリンクバーを注文する。この暑さでバテバテ状態のオレにとって、ドリンク飲み放題はこの上なく嬉しいサービスだった。
「ドリンク何がいいですか?オレ、お二人の分も持ってきますよ。」
女性二人のドリンク注文を承って、オレはドリンクバーへと足を運ぶ。クラッシュアイスがたっぷり入ったアイスコーヒーを三つ、オレは二人が待つテーブルへと運んでいく。
「わー、ありがとうー。」
オレたち三人は、冷たいアイスコーヒーで渇いた喉を潤した。思わず、アイスコーヒーを一気に飲み干してしまったオレ。すぐにおかわりしたかったが、ちょっと恥ずかしいのでやめておいた。
紗依子さんは一息入れると、このたびの一件について、オレに改まって謝礼の言葉を述べた。
「マサくん、わたしのお見送り、ホントにありがとう。」
「いえいえ、そんなにたいしたことはしてませんから。」
それを横で見ていた麗那さんが、紗依子さんに冷ややかな視線を送っていた。
「紗依子。お礼もいいけど、まずは、マサくんに謝らないといけないんじゃないの?」
麗那さんからそう指摘されると、肩をすぼめてしまった紗依子さん。この騒動にオレを巻き込んでしまって、紗依子さんは切なげに謝罪する。
「ごめんなさい。・・・まさか、マサくんが、彼のことを知ってると思わなかったわ。こんな展開になるなんて、予想もしなかったから。」
これ以上内緒にしても仕方がないと思ったのか、紗依子さんは騒動の発端を語り始める。
「モデルのお仕事辞めてからね、ほら、わたし、両親の看病もあったでしょう?その頃から、あの病院に行く機会が多くなってね。彼、今は小児科医なんだけど、その頃は内科医だったの。それで、わたしの両親の主治医となってから、彼といろいろお話をしてたら、だんだん親しくなっていったというか。」
そんな色恋沙汰を口にしながら、紗依子さんは照れくさそうな顔をしていた。
「その後、彼の方から告白されちゃってね。わたしも、彼の雰囲気が嫌いじゃなかったから、とりあえずいいお友達からってことで、交際を始めたの。デートとか数回重ねて、お互い、そろそろいい感じかなって思った昨年の今頃かな、ちょっとしたことから、お互いの認識のズレというか、食い違いというか。結局言い争いになっちゃってね・・・。」
紗依子さん曰く、昨年の今頃、彼女たちの関係に亀裂を生じる事件が勃発したそうだ。それは、次のようなことだったらしい。
内科医だった彼と順調に交際を続けていた紗依子さん。看病していた両親の体調もよくなったこともあって、彼女は彼に大きな夢を打ち明けたそうだ。
それは、アフリカ大陸の遺跡に祭ってあるという、触れると幸運を呼ぶ”ヌカベの石”を見つけることだった。その遺跡は、密林のジャングルを越えた先にあるので、かなりの危険を伴う探検になるという。
ところが、彼はそんな紗依子さんを痛烈に批判した。そんな下らない夢のために、そこまで危険を冒す必要があるのかと。
「そんな彼に、わたしはムカッと来ちゃってね。わたしのことを理解できない人とは付き合えないって、一方的に決別を切り出しちゃったわけ。・・・彼にしてみたら納得いかないでしょうね、こんな別れ方。」
紗依子さんは、あっけらかんとそう告白した。その別れ方に腹を立てて嫌悪感を膨らませた結果、彼は付きまといという行為に行き着いたのではないか、ということだった。
呆れたような顔をしている麗那さん。そんな紗依子さんに、麗那さんは苦言を呈した。
「前々から言おうと思ってたけど、その、わけのわからないものを追い求めたり、見に行ったりする趣味、何とかならないの?」
麗那さんの忠告に、ムッとした表情をする紗依子さん。
「ちょっと麗那。わけのわからないものって失礼じゃない。あなたにとってはそうかも知れないけど、わたしにとって遺跡探検は人生そのものなんだから。」
何を言っても無駄だと思ったのか、麗那さんは呆れ果てた様子で溜め息をついていた。
紗依子さんの気持ちが理解できなくもないオレだったが、騒動の発端がこれだとすると、黙ってやり過ごすわけにはいかないだろう。
「紗依子さん。オレが紗依子さんたちのこと、どうのこうのと言える立場じゃないけど、もう一度、話し合ってみたらどうですか?決別してから一年ほど経過してますし、また話し合えば、あのお医者さんも、紗依子さんのことわかってくれるんじゃないですか。」
オレがそう提案しても、紗依子さんは戸惑いの表情を浮かべるだけで、うつむいたままアイスコーヒーの氷をかき混ぜていた。
「うん・・・。でもね、こういう状況になっちゃうと、どう彼と接したらいいのか、わたし自身、よくわからないのよね。」
話を続けながら、グルグルと氷をかき混ぜ続ける紗依子さん。
「浜木綿まで顔を出したり、自宅付近にも様子を見に来たりしてるけど、彼、何も言わないし、何もしないで帰っちゃうの。今の彼が、わたしに何を望んでいるのか、何を期待しているのかもわからなくて・・・。」
誰とでも気さくに触れ合える紗依子さんだけど、挙動不審な行動をする彼にだけは、さすがの彼女も怯えているようだった。
すでに、紗依子さんから相談されていた麗那さんは、その心中を察していたのだろう。語ることもなく、紗依子さんの話に耳を傾けていた。
「あの時、つい冷静さを失って、突発的な感情で別れを告げちゃったけど。今思えば・・・わたし、大人気なかったなぁって。もう少し、彼の気持ちを理解してあげればよかったなぁって思った。」
そうつぶやきながら、紗依子さんは天を仰いだ。彼に一方的に別れを告げてしまったことを、今になって反省していたようだ。
そんな紗依子さんを見るに見兼ねて、オレはつい生意気な忠告をしてしまう。
「紗依子さん。反省しているなら、勇気を出して、あのお医者さんと話し合いましょうよ。このままじゃ、何も解決しないし、お互い、中途半端な気持ちで決別しちゃったわけだから。ここでもう一度ちゃんと話をして、お互い理解し合えるのか、それとも理解し合えないのか、ハッキリと結論を出しませんか?」
それなりな理解を示したものの、紗依子さんは首を縦に振ろうとはしなかった。
「マサくんの言う通りだと思うの。・・・でもね、話し合うためのきっかけが見つけられなくて。もしかすると、彼の方もきっかけを求めているのかも知れない。・・・ダメね、わたしたちって。このままじゃ、平行線のままだもんね。」
煮え切らない紗依子さんに苛立ったのか、麗那さんは声を荒げてまくし立てる。
「紗依子。あなた、いい加減にしなさいよ!いつまで、マスターやマサくんに迷惑を掛けるつもりなの。わたしだって、あなたが親友だから、あなたのことを心配しているからこそ、こうやって相談に乗ったり、助言もしてきたけど。あなたがこのままじゃ、何も解決できないわ!」
麗那さんの窘めるような説教に、紗依子さんは押し黙ってしまった。
オレたちのいるテーブルに緊迫した雰囲気が立ち込める。それに気付いた他のお客が、オレたちを訝しげな目で見つめていた。
そんな雰囲気の中、オレたちの注文した食事メニューがテーブルに出揃った。少しでも嫌な空気を変えようと、オレは無理やり明るく振舞う。
「お二人とも、食事しましょうよ。ほら、すごくおいしそうですよ。」
麗那さんと紗依子さんは、そんなオレに向かって小さく頭を下ろした。気を取り直すように、二人は目の前の食事に手を付け始めた。
楽しいおしゃべりをすることもなく、オレたち三人は料理を口にする。フォークと食器がぶつかる音だけが、オレたちの心に空しく鳴り響いていた。
「・・・ゴメンね。わたしのせいで、こんな感じになっちゃって。」
弱々しくそう囁くと、紗依子さんはテーブルの上に箸を置いてしまった。箸が進んでいなかったところを見ると、彼女はかなり思い悩んでいるようだ。
「仕方がないですよ。紗依子さんにしてみたら、いろいろと悩む部分もあるでしょうし。オレたちのことは気にしないでください。」
「マスターにマサくん、もちろん麗那にも、これ以上迷惑を掛けないよう、わたしもよく考えてみる。だから、もう少しだけでいいから、こんなわたしを見守って。」
そう言いながら、テーブルの上に頭を擦り付ける紗依子さん。そんな紗依子さんを前にしても、麗那さんは無言のまま食事を続けていた。オロオロしながら、オレは二人の様子を伺っていた。
数秒間の静けさがゆっくりと流れていく。麗那さんはナプキンで口元を拭い、ナイフとフォークをそっとテーブルの上に置いた。
「紗依子、もう頭を上げて。わたしの方こそ、さっきは、ひどいこと言ってごめんなさい。」
麗那さんは優しく微笑みながら、紗依子さんの手にそっと触れる。
「紗依子、わたしたち親友同士でしょう?こんな些細なことで、あなたを見捨てたりしないわ。あなたの結論ゆっくり待ってあげる。だから、二度と後悔しないように、自分自身の決断を誤ったりしないでね。」
「・・・麗那、ありがとう。」
友情の絆を深めるように、麗那さんと紗依子さんは互いに手を取り合っていた。そんな和やかな二人を見つめながら、オレの気持ちも穏やかになっていった。
オレたち三人はその後、いつも通りの明るさを取り戻した。雑談めいた話題で盛り上がり、賑やかなランチタイムを満喫することができた。
「やっぱり、親友がそばにいるっていいなぁ。」
じゃれ合うように触れ合う二人を眺めながら、オレは心の中でそう実感した。
単身、東京にやってきたオレには、親友と呼べる人は近くにいない。一緒に遊んだり、騒いだりする親友はここ東京にはいないのだ。
だからといって、オレはその寂しさに悲観したりはしなかった。なぜなら、麗那さんやアパートの住人たちが、オレのことを親友として迎え入れてくれたからだ。
この親しみ深い友情も大切にしなくてはいけないと、オレは心の中で堅く誓うのだった。
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