第一話 一.手荒い歓迎
2011年6月中旬、今日は梅雨時期にも関わらず、太陽が照りつける暑い午後だった。
歩いている途中、オレは何度も立ち止まってミネラルウォーターで渇いた喉を潤した。
背中に背負ったリュックサックがやけに重い。リュックサックの中からタオルを取り出し、オレは額から流れる汗を拭き取った。
「しっかし、何なんだ、この暑さは・・・。」
白地のTシャツは汗びっしょりで、何とも不快感極まりない。少しでも汗を乾かそうと、オレはYシャツのボタンをすべて外していた。
新潟県の片田舎から、東京都の某所へとやってきたオレ。目指す先は「ハイツ一期一会」というアパートである。
降車駅より15分ほど歩き続けると、そのアパートは存在した。
「ああ、ここかぁ。じいちゃんのアパートって。」
ここ「ハイツ一期一会」は、オレのじいちゃん(母親方の祖父)が管理人をしているアパートだ。
このアパート名にある”一期一会”という四字熟語だが、両親から聞いた話では、じいちゃんの大好きな言葉らしい。人生に一度しか巡り合わない人、物、出来事といったことに最高のもてなしをする。それがじいちゃんの信念らしい。
オレがなぜ、この「ハイツ一期一会」に来る羽目になってしまったのか、それは一週間前に遡る。
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「すまんなぁ、マサ。わし、今入院しとるんよ。」
突然、オレ宛にじいちゃんから電話があった。”マサ”とは、オレのこと。オレの名前は、一桑真人。
見た目は、普通という文字をそのまま表現したような感じ。性格は引っ込み思案で、割と臆病者だ。とはいえ、いざとなったら、お節介と言われてもがむしゃらに物事に取り組む男である。
「大丈夫か、じいちゃん。何で入院なんてことに?」
ちなみに、じいちゃんの名前は八戸居太郎だ。健康だけが取り柄の人だったのに、まさか入院するなんて思いも寄らなかった。
「心配いらんよ。医者の先生曰く、ストレスから来る熱中症だそうだ。」
「ストレス理由に熱中症になるかな・・・。その医者、信用できる?」
じいちゃんは話を続けた。
「わしのアパートな、わしが入院している間、管理人不在になってしまうわけじゃ。」
「そういえば、じいちゃん、東京でアパートの管理人してるって言ってたね。」
じいちゃんはさらに話を続ける。
「そこでな、わしが入院している間、おまえに管理人をやってほしいんじゃ。」
「は?何の脈略が・・・!?」
オレは受話器を持ったまま固まってしまった。オレの反論など聞きもせず、じいちゃんはどんどん話を続けた。
「他に頼める人おらんのじゃよ。ほら、おまえはローニンだからヒマだろう?」
「浪人生はヒマだって決めつけないでよ!受験勉強もやらないとなんだから。それに、父ちゃんと母ちゃんがそれを聞いて何ていうか。」
実をいうと、オレは今年で二十歳となる。今年の大学受験に見事失敗し、現在二浪中である。
父ちゃんと母ちゃんからは今年が最期だ、と言われている。”最期”ということは、オレにはもう後がない思った方がよい。そんな父ちゃんと母ちゃんが、じいちゃんのわがままをすんなり受け入れるはずがない。
「安心しろ。おまえの父ちゃん母ちゃんには了解をもらってるよ。わしの頼みじゃ仕方がないってな。」
「え、あっさりと?」
オレは受話器を持ったまま凍りついてしまった。じいちゃんは止め処なく話を続ける。
「受験勉強ならアパートでもできるじゃろう。管理人の仕事をやりながらでも十分時間は取れる。予備校の入学手続についても、おまえの父ちゃん母ちゃんに頼んでおいたから、安心して上京しろ。」
どうやら、オレの知らないところでこの話は淡々と進んでいたようだ。オレの意思や気持ちって何のためにあるんだろうと、考えさせられる一コマだった。
そんなことで、オレはじいちゃんに指示されるがまま、東京にあるアパートへ行く羽目になってしまった。しかも、管理人代行という立場として。
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そして、オレはこの「ハイツ一期一会」の管理人の代わりとして、はるばる新潟県の田舎から上京したのである。
「さーてと、さっさと中に入ろう。暑くてかなわないよ。」
オレの目の前にあるアパートは、築10年以上は経過しているだろうか。外壁には、黒ずんだ箇所やひび割れが多く見られる。玄関付近にある庭を覗いてみると、じいちゃんの趣味と思われる盆栽が飾られていた。
玄関のドアを開けて、オレはアパート内に足を踏み入れる。玄関口にある下駄箱には、いくつかのスニーカーやビーチサンダルが無造作に並んでいた。このアパートに住人が暮らしている証であろう。
玄関口に置いてあったスリッパを履かせていただき、オレはいよいよアパートの中へと進んだ。
「たしか、このアパートって共同アパートなんだよなぁ。」
じいちゃんの話によると、このアパートはリビングルームやトイレ、洗濯場や物干し場が共同になっているそうだ。住人が個別に利用しているのは、自室と風呂場となっている。ただ、風呂場はユニットバスとなっているので、トイレは個別と共同両方あるらしい。
玄関から廊下を左に折れて、オレはじいちゃんの部屋でもある管理人室へとやってきた。ドアノブを回してみたがドアは開かない。どうやら、カギが掛かっているようだ。
「あ、そうだ。そういえば、じいちゃんから病院へカギを受け取りに来るよう言われてたっけ。」
管理人室に入れなかったので、オレは仕方なく廊下を先へと進んでみた。すると、管理人室と同じ廊下沿いに、共同使用のリビングルームを見つけた。オレはゆっくりと、リビングルームのドアを開けてみた。
「へぇ、結構広いリビングだな。」
このリビングルームの特徴ともいえる大きな窓から、暖かく優しい日差しが入り込んで、照明を落としたリビングルームを明るく照らしていた。
リビングルームには、大きなテーブルとソファが一つずつあり、20インチ強のテレビが置かれていた。奥には控えめなキッチンもあり、電子レンジや小さめの冷蔵庫、それに食器棚もある。
オレが好奇心で冷蔵庫を覗いてみると、缶ビールとお茶のペットボトルが数本、飲みかけの牛乳パックが入れてあった。ついでに、食器棚も覗き見したら、洋風の小皿やグラスなどが乱雑に片付けてある。ここで暮らす住人の生活感が垣間見れた気がした。
「ふぅ、ちょっと休憩っと。」
オレはソファの上へと転がった。寝転がりながら腕時計に目をやると、オレが東京駅を出てから2時間ほど経過していた。
ここに来るまでの間、在来線の電車内では満員のせいでシートに座れず、電車から降りたら歩きっ放し。オレは心身ともに疲れ果てていた。
「あー、じいちゃんのいる病院に行って、カギ受けとらないとなぁ。面倒だなぁ。はぁぁ・・・。」
窓から差し込む日差しのおかげで、リビングルームは心地よい空間となっている。
朝早く出発したせいもあって、オレは激しい睡魔に襲われてしまった。うつらうつらしてはハッと目が覚めて、そして、頭を垂らすとうたた寝する。そんなことを繰り返すうちに、オレは不謹慎にも完全に眠ってしまったようだ。
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「・・・どうすル?」
「・・・うーん、とりあえず起こすぅ?」
「・・・逃げ出すといけないから、手足を固定しましょう。」
薄っすらとしたオレの意識の中に、誰かのかすかな声が届いた。誰かがオレに向かって話をしているのか?どうやら、話し声は一人ではないようだ。
オレは夢から醒めるかのごとく、ゆっくりと現実へ戻ってきた。
「どうやら起きたネ。」
オレの眼前には、一人の女性の顔があった。肩まで伸びた髪の毛が黄金色に輝き、コバルトブルーの瞳が異国さを物語っている。外国人だろうか?
「あれ?」
オレは、ある違和感を覚えた。何と、両手両足を紐で結ばれているのだ。手足を動かしてみたが、結ばれた紐はまったく弱まらず、むしろ窮屈になっていく。
「ありゃ、これどうなってんの?手品の縄抜けか何か!?」
オレが素っ頓狂な声を上げると、二人目の女性が語りかけてくる。ふわふわの茶色い巻き髪パーマ、小麦色の顔と肌がギャルっぽく、首からぶら下げた大きい輪状のネックレスが印象的だった。
「あんたさぁ、今の状況、わかってないみたいだねぇ。」
「え、状況・・・って。」
さらに、三人目の女性が話し始めた。黒髪と漆黒の衣装の中で、化粧気のない色白な顔が際立っている。冷ややかな目つきが、オレに恐怖心を抱かせた。
「空き巣のくせにリビングのソファーで昼寝とは、随分とのん気者ね。」
「あ、空き巣!?」
どうやら、オレはアパートに忍び込んだ泥棒と勘違いされているようだ。ということは、この女性たちはこのアパートの住人だろうか。
オレは汗を吹き飛ばしつつ、怪しい者ではないと弁明した。
「オレ、空き巣じゃないですよ!このアパートの管理人をやることになった者です。・・・正確には管理人代行だけど。」
慌てるオレを見据えながら、呆れ顔をしている三人の女性たち。
「はぁ。あなたネ、ウソつくならもっとマシなウソつきなさいヨ。」
「そうそう。管理人代行ってぇ、めっちゃ不自然じゃん?新しい住人っていうならともかくねぇ。」
「管理人さんからは、新しい管理人が来ることも、新しい住人が来ることも何も聞いてないわ。」
管理人のじいちゃんが入院したこと、退院までの間、管理人の仕事を任されたこと、そして、週に三回以上、手土産持ってお見舞いに来いと言われたことなど、オレは目の前の女性たちに、これまでの経緯をすべて打ち明けた。
しかし、女性たちは冷め切った視線でオレを凝視している。オレのことを信用していない様子だった。
「シャラップ!ウソだめヨ。管理人のハッちゃん、入院なんて聞いてないネ!」
「そうだよぉ、ハッちゃん丈夫そうじゃん。病気なんて無縁って感じだしぃ。入院した証拠でもあるのぉ?」
じいちゃんが入院している証拠と言われても、オレだって、じいちゃんが入院していることを電話でしか聞いていないぐらいだから、そんなものあるわけがない。
睨みつけている女性たちに動揺するオレ。それもそうだが、じいちゃんが住人たちに”ハッちゃん”と呼ばれていることにも、動揺を隠せないオレであった。
黙り込んでしまったオレを見て、茶髪の女性が呆れた顔で声を掛ける。
「あんた、ハッちゃんの代わりだったらさぁ、アパートのマスターキーとか持ってるんじゃないの?」
「・・・マスターキー。」
オレの頭の中に、ある記憶が蘇る。管理人であるじいちゃんから、アパートのマスターキーを受け取らなければいけなかったことを。
「あ、じいちゃんの入院先に行って受け取ってなかった。ははは・・・。」
オレは自分の犯した失態に呆れつつ、ただせせら笑うしかなかった。
「やっぱりドロボー、決定ネ。ポリス呼ぶヨ。」
「コイツさぁ、まさか、あたしの部屋とか忍び込んでないよねぇ!?痴漢だったりしてぇ。」
「いや、むしろこの男は変態と呼ぶにふさわしいわね。」
それにしてもひどい言われ様だ。泥棒ならまだしも、痴漢や変態呼ばわりまでされるとは思いも寄らなかった。
このままでは、オレは犯罪者として警察に突き出されてしまう。そんな事態に陥ってしまったら、一桑家代々の恥である。
「お願いだぁ、じいちゃんと話をさせてくださーい!そうだ、じいちゃんの入院先で遭えたら、オレのことを証明してくれるし、マスターキーも受け取れる。」
この窮地を脱しようと、じいちゃんとの面会を懇願するも、女性たちは、オレのお願いなど気にも留めずに話し合いを続けている。
幾度となく、女性たちの口から飛び出す悪態にも似た言葉に、オレの自尊心は跡形もなく崩れ去っていった。
リビングルーム内にこだまする悲痛なオレの叫び。余程耳に障ったのか、色白な顔をした女性がギョロリと目をむいた。
「あなた、ちょっとうるさい。近所迷惑よ。」
色白な顔をした女性は、リビングルーム内の戸棚からガムテープを取り出す。一切れ切り取ると、彼女は声を張り上げるオレの口へテープを貼り付けた。
「ねぇ、警察へ連絡する前にさぁ、先輩に相談した方がよくない?」
「Oh、そうネ。彼女、もうすぐ帰ってくると思うワ。」
「それじゃあ、いったん部屋へ戻りましょう。」
女性たちはそう言いながら、各自の部屋へと戻っていった。手足を紐で縛られて、口までもガムテープで塞がれたオレをリビングルームに一人残して。
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どれぐらい時間が経過したのだろうか。リビングルームに、琥珀色の陽光が差し込んでいるところから、時刻は夕暮れ時なのは間違いない。
オレは身動きが取れないまま、リビングルームの生暖かい床の上に転がっていた。しばらくの間、床の上に寝転がっていたせいか、手足が恐ろしいほどに痺れている。口までテープで塞がれて、これでは完全に人質扱いである。
「・・・。」
このままじっとしていたら、オレはあらぬ罪を着せられて警察に連行されてしまう。ここは行動を起こさずして、解決の道はない。オレは意を決して、この窮地からの脱出を試みることにした。
体を捻ってうつぶせの格好となったオレ。全身を伸縮させながら、まるでイモムシのような姿勢で、オレは出口を目指して這い出した。
「・・・そういえば、小学生の頃の運動会で、こんな感じの競技があったっけ。・・・あの時、オレ確か二着の青いピン帯をもらったような気がするなぁ。」
そんな懐かしい思い出を振り返りながら、オレは一歩また一歩と進んでいった。
体を動かすたびに、オレは激しい疲労感に襲われる。額から汗がにじむと、その汗は顔へと滴り、一滴ずつ床へと落ちていく。
あともう少し、あともう少しだ・・・。萎えそうな気持ちを奮い起こし、やっとの思いで、オレはドアのそばまで辿り着いたのだった。
「!」
その瞬間だった。白色の明かりがリビングルームを照らした。暗がりに慣れていたせいか、オレはあまりの眩しさに目を閉じてしまった。
「・・・あなた、何やってるの?」
透き通るような女性の声がした。オレをこんな目に合わせた、さっきの女性たちとは違う声だった。
オレがゆっくりと目を開けると、そこには、ちょこんと床の上にひざを付いた、愛らしい笑みを浮かべた一人の女性の姿があった。
「もしかして、手品の縄抜けの練習か何かかな?」
口をガムテープで塞がれていたので、オレは救いを求めようと、頭を横に振り続けていた。
「あら、口がそれじゃあ、答えようにも答えられないわね。」
その女性はそう言うと、オレの口元へ手を宛がいガムテープをはがし始めた。ベリベリという不快音がオレの耳に残った。彼女のおかげで、オレは長かった無言状態からようやく解放された。
「はぁ、はぁ。ぜぇ、ぜぇ。」
オレは大きく息を吸い込み、そして、大きく吐き出す。
息を切らせながら、テープをはがしてくれたお礼を言うと、その女性は微笑みながら、柔らかい物腰で受け応えてくれた。
「辛かったでしょう。わたしたちみんな、伝えたい気持ちを言葉で伝えられないって、これほど悲劇なことはないもの。」
その女性は感傷的にそうつぶやいた。そんな彼女を見つめるオレ。
さらっとした艶のあるストレートヘア、くっきりとした目元の端麗な顔立ち、微笑みが似合うおしゃれなお姉さんタイプの女性だった。
そのおしゃれな女性につい見惚れてしまい、オレは口を開けたまま硬直してしまった。
「ところで、キミは誰?このアパートの関係者かな。」
「え!あ、はい。じ、実は・・・。」
ここまでの一連の出来事について、オレはおしゃれな女性に洗いざらい説明した。彼女は真剣な眼差しで、オレの話に耳を傾けてくれた。言いたくはないが、さっきの女性たちとは大違いだった。
「ふーん、なるほど。それじゃあ、彼女たちが勘違いしているというわけね?」
「そうなんですよ。あの人たち、オレの話、ぜんぜん聞いてくれなくって・・・。」
おしゃれな女性は、しっかりとした足取りでリビングルームから出ていくと、リビングルームの正面にある階段の前で、ニ階に向かって大きな声を張り上げた。
「おーい、みんなぁ!ちょっと降りてきて。」
おしゃれな女性の透き通った声が、アパート中にこだましていく。
その数秒後、ニ階の方から話し声が聞こえてきた。いくつかの足音が、ニ階から一階へと鳴り響いてくる。おしゃれな女性の一声で、さっきの女性たち三人が階段付近に集合した。
「センパーイ、お帰りなさーい。お仕事お疲れでぇーす。」
「ただいま。今日はみんな揃ってたんだね。日曜日だもんね。」
おしゃれな女性は、茶髪の女性と仲良さそうに会話している。他のニ人も会話に入り、和気あいあいな雰囲気が展開され始めた。
「ねぇ、リビング内のあの状況を説明してくれる?」
リビングルームで寝そべっているオレの方を指差したおしゃれな女性。彼女の問いかけに、外国人っぽい女性が答えた。
「あれネ、このアパートに忍び込んだドロボーよ。だからポリスに連絡まで監禁してるのヨ。あなたに相談してから連絡するつもりだったのヨ。」
さらに、茶髪の女性と色白な顔した女性が続く。
「アイツ、あたしたちの下着まで手出そうとした痴漢なんだよぉ。」
「あの男の大胆不敵な行動からして、どう見ても、明らかに変態よ。」
オレは何を言われても反論せず、この場はおしゃれな女性に任せることにした。どうせ騒いだところで、オレの話などまともに聞いてはくれないだろう。
「泥棒に痴漢に変態かぁ。罪重そうだね。」
「でしょー。というわけで、110番した方がいいよねぇ?」
備え付けの電話機に向かう女性たち三人を、おしゃれな女性は両手を広げて制止した。
「ちょっと待ちなさい。あなたたち、あの人の話をちゃんと聞いた?話をちゃんとに聞かないで、いきなり人を疑うところ、あなたたちのよくない癖よ。」
そう言うと、おしゃれな女性はB5サイズほどのノートを取り出し、女性たち三人に差し出した。
「あれ、コレ回覧板じゃなイ?」
「ほんとだぁ。回覧板なんて、最近回ってなかったよねぇ。」
外国人っぽい女性が回覧板を手にすると、ペラペラとページをめくる。どうやら、文章が書かれた最後のページを目で追っているようだ。きっと、そのページに最新の回覧内容が記載されているのだろう。
「あ、これだよぉ、きっと。」
回覧板を覗き込んでいた茶髪の女性がそう叫んだ。同じく、回覧板に見入っていた色白な顔した女性が、そのページに書かれた文章を読み上げた。
「・・・住人のみなさんへ。八戸居太郎クンより。本日はお日柄もよく、みなさんに置かれてはいかがお過ごしでしょうか?素敵な一日になることを心よりお祈り申し上げます。」
じいちゃんは回覧のたびに、こんな手紙のような挨拶を書いてるのだろうか。自分のことを”クン”付けしていることに、孫として戸惑うばかりだった。
さらに、回覧板の読み上げは続く。
「・・・本日回覧にてご案内差し上げます事は、わたくし自称管理人こと八戸居太郎は、不本意にも熱中症という難病に蝕まれてしまう事態と相成りました。誠に、誠に遺憾であり、心中穏やかではおれない想いであります。」
熱中症って、そんなに難病ではない気がする。しかも自称ではなく、じいちゃんは自他共に認める立派な管理人のはずだったと思うが。
さらに、回覧板の読み上げは続くのである。
「・・・このような結果のため、わたくし管理人業務遂行に支障をきたすことになり、やむを得ず、しばらくお休みをさせていただくことになりました。その間、わたくしの孫が管理人代行として任務に就くことになります。孫は年中遊び呆けているため、この話を気持ちよく快諾してくれました。」
そんなに遊び呆けていたように見えていたのかと思うと、オレは内心ショックが隠せない。それに、今回の話を気持ちよく引き受けた記憶もない。
そして、回覧板の読み上げはまだ続くのだった。
「・・・近々、孫がアパートへやってくると思いますので、みなさん、かわいがってあげてください。それではまた遭う日まで。ちなみに、入院先は駅東口そばの胡蝶蘭総合病院です。お見舞いに来てあげてくださいね。・・・以上」
回覧板を読み終えた女性陣一同は、ゆっくりとオレの方へ顔を向ける。
「これでわかってもらえました?オレが、その孫です。思いっきり、かわいがられちゃいましたけど。」
負けを認めたくないのか、それとも事実を受け止められないのか、女性たち三人は、オレから疑惑の目を解いてはくれなかった。
「チョ、チョット待ってヨ。まだ、あなたが孫かどうかわからないワ。孫になりすましているドロボーかも。」
「そ、そうだよぉ。孫が来ることを知って、その前にここへ忍び込んだ痴漢かもしれないしぃ。」
「そ、そうね。変態ならそれぐらいしでかすかもしれないわ。」
この女性たちは、是が非でも、オレのことを泥棒と痴漢と変態にしたいみたいだ。もし、それが見た目で判断されていたとしたら、かなりショッキングな現実だろう。あまりの悲惨さに、オレは涙目のまま口をつぐんでしまった。
呆れた顔をしているおしゃれな女性が、女性たちの止め処ない悪態に割り込んだ。
「ねぇねぇ、そこまで疑うならさ。彼と一緒に管理人さんの入院先に行ってみたらどう?」
目を丸くする女性たち三人。互いに顔を見合わせながら、ウンウンとうなづき合っている。
「それナイスアイデア。そうすれば、ウソかホントかはっきりするわネ。」
「だよねぇ。何でこんな簡単なこと、もっと早く気付かなかったんだろう?」
「この男がはっきり言わないからよ。ただ、やかましく叫ぶだけだったもの。」
オレは弱々しい口調で囁いた。
「あのぉ、オレそのこと、はっきりとこの口で言ってましたよ。・・・随分、前から。」
オレは逃げ出さないという条件付きで、ようやく雁字がらめから解放された。手足に残った紐の模様が、何とも生々しくて痛々しかった。
手足にまだ痺れが残っていたせいで、オレは自分自身の力でうまく立ち上がれない。そんなオレに、おしゃれな女性が優しく手を差し伸べてくれた。
「す、すいません、何から何まで。おかげで助かりました。」
「こちらこそ、ごめんなさい。彼女たちの早とちりで迷惑掛けちゃったね。」
女性たちは身支度を整えるため、いったん自室へと戻っていった。オレも、汗びっしょりのTシャツを着替えるため、誰もいないリビングルームで着替えさせてもらった。
「よし、それじゃあ病院へ行こうか。」
オレの身の潔白を証明するため、オレを含めた女性たち一同は、じいちゃんの入院先である「胡蝶蘭総合病院」へと向かった。
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