第一話 始まりの仮説
読んで頂いた36人の読者の方へ、感謝の意を込めて
マル害宅に入電――。
「ボリュームを上げろ」
‘百眼’が僕の声でそう言った。
車は既に動き出しており、ハンドルを握る桐谷警部補は、は、はいとインパネ周りを操作する。
「マル被と交渉役との会話を無線にのせろ」
助手席では真喜子が携帯電話に向かって怒鳴っていた。
「…―神の郷、アンエイブ、サイトウだ。我々の要求は二つ」
「真喜子っ!」
分かってる、と真喜子はボールペンを走らせている。
「…―なんだい?」
交渉役の声。
「…―一つ活動資金一億円」
「…―い、一億……」
「…―二つ、テドユウサクの釈放。以上だ」
「ちょ、ちょっと待って、くれ」
「…―二時間後また連絡する」
「…―お、おい」
ジッ、と無線が切れた。
ふん、‘百眼’はそう呟くと後部座席のシートに身を委ねた。ふうぅと真喜子もボールペンをジャケットに戻す。
「感想は?」
‘百眼’はバックミラー越しに真喜子に視線を合わすとシニカルに笑った。
「彼からの電話はこれで何回目だ?」
「二回目、いずれも神の郷、アンエイブ、サイトウと名乗っている」
「具体的な要求はこれが始めてか?」
「ああ」
「現状で分かったのは真の目的は、金、ということだけかな」
「なぜですか?」
桐谷警部補と同じ疑問を僕も‘百眼’に持った。「真っ先に金の要求。目的は金だよ」
「で、でも本当の目的を二番目にいうということも……」
「澱みなく会話していた。いや、会話をしてない。一方的に話していた。十中八九、斉藤は原稿を読んでる」
‘百眼’は煙草に火をつけた。
「原稿を書いたのはサイトウなのか、それとも他の誰かは分からないが、少なくとも私は二番目の要求は後付けにしか聞こえないな。覇気も感じられなかった」
「勘? それとも感、かしら」
真喜子も紫煙を吐き出しながら言葉を放つ。
「なんにせよ、仮説を立てて理を推していく。それが予想と推理の違いだ。頭の片隅で疑う事を消さない限り、この仮説は後でどうにでも撤回はきく。いいか、真喜子、桐谷警部補。自らの仮説に対して自身の身を委ねきるのは愚か者のすることだ」
「撤回する可能性の推理を言う事が私は恥だと思うけど?」
「それこそ話を局地的にしか見れていないな。いいか、真喜子? この場合の恥は事件を最悪の形で終焉する事だ。それ以外はどんなに的外れだろうが、なんの問題にならない」
「じゃあ、現時点では何も分かっていないのと同じじゃないですか!?」
そう――後部座席の灰皿に‘百眼’は煙草を押し付けた。
「それは確実な仮説だ、桐谷警部補。そう我々は犯人側の事を何も分かって無い。忘れるな、何も分かってないのだ」