第1章 2話 不死者、吸血鬼拾う
「はぁ、今日はなんとも言えんかったのォ」
老人は一人で何もなくなった地平線で立ち尽くしていた。
暗闇で覆っていた森の一部分はすでにきれいさっぱりになくなっていた。だがそのおかげで雲ひとつない夜空に浮かぶ満月が大地を見下ろしている。
木の根が根元から消し飛ばされてきれいに更地になった所もあれば地形が地面からえぐられるように削られ、魔法で嵐が吹き荒れた中心には螺旋状にえぐれていた。深さは約一〇〇メートル程あるだろう。
もしここに人がいれば誰がどう見ても一目でこの地帯に台風か災害があったのだと考えるかもしれないがこの光景をみればそうでないことはわかる。
だがこの老人にとってはそんな事はどうでもいいらしく口から溜め息を漏らした後に、
「しょうがないわ、まいどのことやねんし」
と、一人で気の抜けた言葉をつぶやいていた。
先ほどの吸血鬼を殺気溢れる顔で追い詰めていた同一人物とは思えないくらいにあっさりとした答え方であった。この老人はどうやら微塵も気にしてないらしい。
これ以上ここにいても仕方がないのを判断したのか興味を失った老人は踵を返してそのまま歩きだした。
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すでに夜は太陽が出始めていた。
日の出が向こう側の山から光が空を淡く青で染め始めようとしている。
しかし今度は夜にはなかった雲が太陽を覆い隠すようにしていたため朝というよりもまだ夜に近いという印象だった。
一応この森にも人工的に作った道が存在する。
しかし山奥に近づいていくたびに落石が斜面から落ちてくる場合もあるので決して安全とはいえない。
この山道は崖沿いで落石が多くて事故が多発しているため通っていくにはそれなりの注意が必要だが幸い死傷者はいない。
怪我を負っても運が悪ければせいぜい重傷程度だ。
丸太でできた階段も幅が狭いので上り下りするときはゆっくり行かなければならないので、大きい荷物を持っている者は慎重に行かなければならない。
曲がりくねった道は地面にびっしりと石が落ちているので足を痛めるだろう。
しかし今の山道の状態はあまりにもきれいすぎた。
転がり落ちてくるには一片たりとも落とす気配がない斜面は見ればまるで一流の細工士が磨き上げたのかの如く表面が滑らかなのだ。
さらに大量の石が転がり落ちていた山道は小石も砂粒も一つ残らずなくなっており、凹凸のすくない歩きやすくて真っ平らな地面へと変わっていた。
階段も丸太から石畳に変わっていたため、段差が低く歩幅が三メートルくらい広くなったためか馬でも通れるほどに作り直されている。
長さ数十メートル・ロープが今にも千切れそうで木が足場できていて川へ真っ逆さまに落ちそうな吊り橋はどこにもなく、立派な石橋が聳え立っていた。
両端には手すりが付いているので落ちる心配はもうない。
「なんでこうも山道は不便やねんか、少し工夫したらええのに」
と、石橋の向こう側にあの老人が愚痴をこぼしていた。
しかし当の本人は自分にとっての不便というより町の人間達がちゃんと作らないことに対する不満のほうが大きい。
「ふぅ、感謝せえよ? おどれらの変わりにこのわしがやったんやからな」
そう、この老人は山道・地面・階段・つり橋のすべてを自力でこなしてきたのであり、ものの見事に短時間で済ましてしまったのだ。
この作業を一時間もたっていないのにも関わらず!
石橋を通り過ぎたところで老人が「おっ?」と言った。
老人の視線に何か動く影が道に伏せていた。
「う……うう……」
影はうめき声を出してその場から動く気配はなかった。
弱った声はどうやら少女のようだが老人は見えていた。
なぜこんな所に少女が倒れているのかは知らないがあの様子からして相当弱っているらしい。
現に人間一人で来るべきではないというのに。
そんな様子を見た老人は好奇心をうならせているようだった。
彼は少女へとゆっくり近づいていく。
そして老人は少女に近づいて歩みを止め、しゃがみこんだ。
「よォ嬢ちゃん。 こんな所で何しておるん?」
「見……ての…通り……です…」
少女はうつぶせをしたまま話した。
どうやら話せる力は残っているようだ。
そのとき老人は驚くべき事実を口に出した。
「何があったか知らんけど嬢ちゃん、吸血鬼やな?」
「え……?」
少女は一瞬、それを聞いて頭の中が真っ白になったようだ。
「わしはなんぼもアンデッドを始末しとるし、感知できん奴らなんかおらへんよ。
それに嬢ちゃんはいつまでも下向いておるからな。
人としゃべる時は顔、見せなあかんよ。」
「……はい」
少女は老人の言ったとおりに上半身を起き上がらせて顔をあげる。
口元は吸血鬼の代表とも言うべき牙が生えていた。
年齢は十八ほどに見える。
身長は一七〇を越すであろう。
肩まで届くセミロングの黒髪、倒れていたため髪こそボサボサになってはいるものの幼さを残す顔は誰もがはっきりと認める美少女であった。
体つきは全体的に細いが肉付きはよく、肌は色白で破れかけた服から覗かせる豊満な胸は熟した果実のように大きく覗かせていた。
こんな姿をさらせば山賊に襲われること間違いなしだろうが吸血鬼ということも考えれば片っ端から殺してしまえる身体能力を持っているのでありえない。
「あの……私を…どうするつもり……ですか?」
「なあに、別にどうこうしたりはせえへんよ。
嬢ちゃんが倒れているのを見て気になったから近づいただけや。
わしは必要以上に殺したる理由があらへん。
化け物は化け物らしく生きていけばええんや。」
「……そうですよね。
私は化け物だから……血を吸う化け物だから遠ざけたくなりますよね」
「わしが言いたいのはそんなんじゃないで」
「え?」
「嬢ちゃん、アンデッドなんてのは元から人間なんやで?
ゾンビやスケルトンみたいな奴らを除けばずいぶんマシやぞ。
わしも今じゃ何されても死なんけど」
その言葉を聴いて少女は驚きを隠せないでいたようだ。
「あなたも……?」
「ん? ああ、わしは別に吸血鬼ってわけじゃないで。
少なくとも嬢ちゃんなんかよりもずっと上やと思うけど。
まあそんなことはどうでもええ。」
どうでもいい---しかしそれは吸血鬼である少女よりも遥かに強いアンデッドだということ。
先ほどの言葉からして敵意はないようだが何されても死なないというのは基本的にありえないことだ。
そんなことをしているうちに少女の体が震えだした。
「これからどうするつもりや? 嬢ちゃん」
「私は……生きたい………です…けど……どうす…れば」
必死で踏ん張っている少女は心の底から生存することを選んだようだ。
そんな少女を見た老人は、
「嬢ちゃん、名前は?」
「……え?」
「『え?』やない、名前は?」
「ジ……ル」
老人は笑っていた。
まるで退屈した子供が新しい玩具を手にしたかのように。
老人は少女を背中に背負い、落ちないようにしっかりと掴んだ。
それに合わせて少女は離れないように背中にしがみついた。
「わしはアーロンちゅーねん、よろしゅうな」
老人---アーロンと少女・ジルは次の瞬間、ぱっとその場から光りだしたかと思うと森からその姿を消していた。