広島1
恋人と過ごす一時間と、焼けた鉄板の上で過ごす一分は、同じ長さの時間らしい。どこかの偉人さんが言っていたことを思い出す。もちろん時間という概念の上では異なるのだが、人間の体感時間の話だ。僕は交友関係が広くないから、盛り沢山のイベントを楽しみに待つ人々の姿を眺めながらコンビニでアルバイトをする。時の流れがのんびりしすぎてやしないかとも感じる。
そりゃあ、僕だって混ざりたい。お酒の席の勢いで女の子とイイカンジになったり、男同士のむさ苦しいが、どこか爽快なバカ騒ぎだってしてみたい。
だけど僕の気質はそれを許さない。いや、修行をしているとか、苦行が好きだとか、そういう話じゃあないんだ。ただ、みんなどこか上辺だけで、心の壁が厚いと感じるから。女性の厚化粧と一緒だ。表面だけ塗りたくって、素顔を隠し、素顔を飾る。それも一つの礼儀なのかもしれないけれども。
しかしながら、僕も人一倍その性格が強い。外を出ると常に仮面をかぶっているような心地でいる。人と接するのが苦手なんじゃなくて、むしろ上辺だけのやり取りは、そういうスキルを学べる気がして、面白いとすら思う。だから僕は仮面を被り、舞台に上り演技をする。つまり僕も厚化粧なんだ。
十二月。先生が走り回るほど忙しい月。書類整理、決算、大掃除、忘年会、クリスマス、年越し。僕はそのどれにも関与しない。交友関係が広くないとは言ったけれど、誠実に心と心を通わせられる友が少ないだけ・・・というか、一人だけで。そいつは今僕の住居とは遠く離れているから、たまにメールや電話をするくらいだ。アルバイトについても、もう三年もやっているから、店長からの信頼も厚い。だからそこそこ責任のある仕事を任されることが多いのだけれど、十二月だけは僕はすべてをお断りしている。疲れてしまうからね。仮面を被ると息苦しい。苦あれば楽ありなんだけれど、そこまで僕は我慢強くない。ありていに言えば、十二月は僕にとって憂鬱な月だから、一人でじっと身を縮めてやりすごすんだ。
だけれど、今年は違った。
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「いらっしゃいませーこんばんはぁ」
同僚の気の抜けた声が店内を通過する。オーナーや店長はどうかしらないけれども、僕らアルバイトは基本的にやる気がない。店番をして、した時間分だけお金がもらえる。売り上げが上がったところで昇給もなければ賞与もないから。だけどただ一人、やる気に満ち満ちていて、視認できるほど輝き溢れるオーラを纏う者がいた。
「いらっしゃい。今晩はよく冷えるから、私が仕込んだおでんでもどうだい? 味はそこそこだが値段は安いからね。というのも、セール中だからさ。全品30円引き。是非購入を検討してくれたまえ」
アデレイド・エルフィンストン。僕の隣に引っ越してきた吸血鬼。あの晩餐の翌日に職場に来たら、店長が紹介してくれた。まあ、仰天もしたし、絶句もした。けれど、僕は彼女に好意を持っているから、すぐに気をとりなおして仕事を教えた。まあ、形式上なのだけれど。年齢から察するに、彼女の人生経験は常人の十倍程度だろうから、言ってしまえば慣れているのだろう。どう転ぼうと彼女は新人にありがちな、ぎこちない動きや喋りはしないし、何より似合わない。しかし、やはりあの語り口は変わらないようだ。彼女らしいと言えば彼女らしい。
僕は彼女のことをアデレイドと呼ぶことにした。さん付けはお気に召されなかったから。そして僕と同僚とアデレイドで回すコンビニは盛況と言わざるを得ない。本当にコンビニなのかと疑うくらいに。ごった返すという表現が適切だと僕は思う。だから、憂鬱な月のアルバイトも、光陰矢のごとしだ。
「やあ、お疲れ様。コンビニバイトとはいえ、忙しいものだね。全く。私は疲れなど溜まらない性質なんだけど、君はどうだい? クタクタだろう?」
「そうですね。クタクタと言う他ありません。コンビニだというのに・・・」
もはや会話をする余裕は無いのだが、アデレイドとの会話は不思議と僕の身体に活力をもたらしてくれる。さながら神仏にお祈りして、スッキリした顔で帰っていく信者達みたいに。
「年末はどう過ごすんだい? 君は日本人だ。やはり実家に帰って、炬燵にみかん、お鍋に特番かな?」
「いえ、僕は実家には帰りませんよ。もういい歳です。親の顔を見ると甘えたくなってしまうから、自粛してるんですよ。両親は寂しいみたいですけれど」
ちょっとだけ、嘘をついた。実家・・・つまり地元には僕の同級生、まぁ、顔見知り程度の面識しかないけれども、彼らがいる。彼らは年末、楽しくバカ騒ぎしているらしく、それに出くわした時のことを考えると、やはり地元に戻る勇気はない。せっかくこちらで楽しませてもらっているから、無理に戻る必要は無いと思う。少し、寂しいけれど。
「それならば、私と一緒に旅行でもしないかい? 私にとって身寄りというべき存在はいない。日本の大晦日は風流で趣があるとは思うが、流石に孤独では辛いからね」
驚いた。僕がアデレイドに気に入られてることは薄々感じてたとはいえ、彼女から独りが寂しいなどという言葉が飛び出すなんて。
「私は寿命が長い。無限なのかもしれない。するとやはり近しい友人は皆、逝ってしまう。少々意外だっただろう? まぁ、老人というものは得てしてそういう存在なのだよ。移り行く時代に取り残され、自由の利かない身体で余生を過ごす寂しさは、万国共通さ。私も元々は人間だった。まぁ、人の心が残っているということだろうね」
誰にともなく話すアデレイド。もしかしたら独り言なのかもしれない。あるいは手記を声に出して読んでいるのか。僕の想像し得ない、教科書でしか知らない長い年月は、彼女にどのような影響を与えたのだろうか。
「いいですよ。行きましょう。むしろ、是非に」
先ほどの問いに僕は答える。
「年輩には優しくするものですからね」
冗句を言ったつもりだった。しかし、僕は後ろめたさを覚えた。だけれど、気にしない。
「そうかい。ありがとう」
微笑むアデレイド。また一つ、僕は彼女を知った。