愛の使者
はっとなって、顔を上げる。
そこにいたのは――ギャルだった。
高いヒール。タイトなミニスカート。
ヘソの出たタンクトップ。
そして、アッシュブロンドのポニーテール。
目尻にラメを煌めかせながら、ギャルは僕の目を真っ直ぐに見つめる。
「憎しみに飲まれるな! 君が抱いていたのはそんな感情じゃなかったはずだ! 思い出せ、君の本当の気持ちを!!」
言葉が鼓膜に響く。
僕の、本当の気持ち……
思い出そうとするけれど、思考が黒く霞んで、ぼやけてしまう。
「チッ……来たわね、お邪魔虫。あと少しでイけそうだったのに」
ツバメの声がする。
聞いたことのない、性悪な声だ。
「ツバメ……いい加減にしろ。こんなことをして何になる?」
「決まってるじゃない。アメノ様が支配する素晴らしい世界に変えるのよ。人と人が、傷みで繋がる世界……憎しみの本質を皆が知る、"哀"に満ちた世界にね」
「それは間違いだ。"愛"なら既にある。生きとし生けるものすべてに等しく愛を与える神、ニナヨがいる」
「ハッ。何が愛の神よ……五百年前、アメノ様を封印した張本人のクセに!」
これは一体なんの話だ?
神? 封印?
「まぁいいわ。興が削がれたし、リィトの憎しみが育つまで待ってあげる……またね、お姉ちゃん」
そのセリフを最後に、彼女――ツバメは、消えた。
彼女だけじゃない。白いベッドも、男たちも、真っ暗なその空間ごと、すべて消えた。
気付けば僕は……あの廃工場に戻っていた。
「……やはり、幻影を映していたのか」
ギャルが吐き捨てるように言うが、それに反応する余裕が僕にはなかった。
内臓と脳を黒い虫にじわじわ食われているような不快感に、うずくまることしかできなくなっていたから。
「安心しろ。君のことは必ず助ける。学院へ運び、治療してやるからな」
そう言って、ギャルは僕を背負い……駆け出した。
* * * *
そうして僕は、国立ライゼント学院へ運ばれた。
賜魔術と呼ばれる魔法の処置を受け、心身を蝕む黒い影を排除してもらい……
医務室のベッドへ寝かされた。
「挨拶が遅れたな。私はツバキ・イナリヅカ。この学院の理事長だ」
ベッドに横たわる僕に、ギャルが言う。
ライゼント学院といえば、神に選ばれた者しか通うことのできない魔法学校だ。
自分には一生縁のない場所だと思っていた。
「リィト・カミナヅキです……助けていただきありがとうございます」
「この状況で礼が言えるとは大したものだ。わけがわからないまま苦しめられただろうに」
それはそうだ。
一年記念日だと浮かれていたら、彼女に僕以外の男がいて、絶望に蝕まれて、ギャルが現れて……もうわけがわからない。
「彼女は……ツバメは一体、何者だったんですか? 彼女が口にしていた『アメノ』って……確か、邪神の名ですよね?」
僕は額を押さえながら、ギャル――ツバキさんに尋ねる。
ツバキさんは、長いまつ毛に縁取られた目で僕を見つめ……僕が知らない世界の裏側を、語り始めた。
「そうだ。邪神アメノは五百年前、神々によって封じられた邪悪な存在。愛や健康を司る神がいるように、アメノは人間の邪心を司る神……奴は強い憎悪を抱く人間を唆し、力を与える。そうして奴の信徒となった人間を、我々は邪神徒と呼んでいる。ツバメは、邪神徒の幹部なんだ」
ツバメが、邪神の信徒の幹部……
やはり初めから、僕を騙していたのか。
「邪神の本体は封印されているが、神は実体を持たない思念体だ。奴が残した意識の断片は今も各地に残っており、それが邪神徒を生んでいる。邪神の力の源は、ゾウオウラと呼ばれる精神エネルギー。悲しみや憎しみといった、人間の"負の感情"だ。邪神徒はこのゾウオウラを集め、アメノの本体を復活させようとしているんだ」
「つまり僕は、そのゾウオウラを回収するためにツバメに騙されていた……というわけですね」
「君にとっては残酷な話になるが、その通りだ。愛情は最もゾウオウラに転じやすい感情……愛が深ければ深い程、裏切られた時の悲しみや憎しみは大きくなる。奴らは純粋で疑うことを知らない若者を騙し、ゾウオウラを回収している。君もその被害者の一人というわけだ」
すべてを聞かされ、僕は口を閉ざす。
……騙されていた。
ツバメの愛は、本物じゃなかった。
その事実を、僕は案外冷静に受け止めていた。
悲しみも絶望も、先ほどよりは感じない。
排除された黒いオーラと共に、どこかへ消えてしまったのかもしれない。
だからだろうか。
辛さよりも今は、空っぽな感じがした。
心に風穴が空いたような空虚。
ツバメという存在に彩られていた人生から、色が消えた。
僕はまた……何者でもなくなってしまった。
「こんな目に遭った直後で気が引けるんだが……君に一つ、提案がある」
呆然とする僕に、ツバキさんが言う。
「神律師の適性があるかどうか……ニナヨ神の審判を受ける気はないか?」
「僕が、神律師に……?」
「そう。先ほど、君を蝕むアメノの気を祓った時に判ったんだが……君は通常の人間より、貰魔力の器が大きいみたいなんだ」
サレチカって……確か、他者から愛されることで貯まる精神エネルギーのことだよな?
「ニナヨ神に認められた者は、貰魔力を消費して賜魔術を顕現する。君はその力を人より多く蓄えることができる……つまり、より大きな賜魔術を扱える可能性があるんだ」
「でも……僕なんかを、愛の神が認めるでしょうか?」
……そうだ。
親を避け、人を避け、傷付かないよう孤独に逃げてきた。
その結果、偽りの愛に騙され、憎しみに染まった。
こんな僕を、愛の神が認めるわけがない。
しかしツバキさんは、俯く僕の肩に触れ、
「大丈夫。君はきっとニナヨに認められる。何故なら……ツバメを本気で愛することができていたのだから」
真っ直ぐに、そう言った。
それを聞いた途端、チクリとした痛みが思い出したように胸を刺し……涙が込み上げそうになるのを、僕はぐっと堪えた。
「……わかりました。受けるだけ、受けてみます」
僕の返答に、ツバキさんは頷いた。
――そして、審判の結果。
僕は、ニナヨ神に認められた。
「おめでとう。これで君は、神律師となった」
ツバキさんが、腕時計のようなものを差し出す。
「バイタリストだ。君の貰魔力が計測・表示される。……見てみろ」
僕は慣れない手つきでパネルに触れる。
と、そこに表示された数値は…………
「っ…………」
「……恐らく君は、またツバメに狙われるだろう。その時に備え、私の元で賜魔術の訓練を受けるといい」
「……お願いします」
「それから、もう一つ。邪神徒との関わりを持ってしまった君に……伝えたいことがある」
ツバキさんがあらたまった声で言う。
何か重大なことを告げようとしている雰囲気だ。
だけど、今さら何を聞いても驚かない自信があった。
今日一日で、あまりに多くのことが変わってしまったから。
その意志を、僕は視線で示す。
ツバキさんは少し目を細めると、
「……このことは、学院内でも一部の者しか知らない極秘事項だ。くれぐれも他言無用で頼む」
強者の威圧を感じさせる声で、そう忠告した。
僕は素直に頷き、「わかりました」と答えた。
――そして。
僕は、知ることになる。
この国が隠す、神にまつわる秘密を――




