見覚えのある背中
「学校お疲れ様、メルリちゃん。時間になっても来ないから迎えに来ちゃったよ。さぁ、みんな待っているよ。早く行こう」
スーツ姿の男が、ニヤリと笑いながら言う。
口ぶりからして、例の撮影会の関係者のようだ。
こんな下衆な笑みを浮かべる奴の元に、メルリを行かせるわけにはいかない。
ヒメカはスケーターの車輪を起動させると、メルリに背を向け、
「メルりん、逃げるよ! 乗って!」
背中に乗るよう、呼びかけた。
メルリは一瞬迷うが……すぐにヒメカの背中に飛び乗った。
そのままおんぶする形で、ヒメカは逃げ出す。
スケーターの車輪が、急発進にギュルルッと唸る。
「あぁっ!? テメ、待ちやがれ!!」
後ろから追いかけて来る男。
人間の足でスケーターに追い付けるわけがない。
そう、ヒメカは余裕をかましていたのだが……
「……あり? なんか、いつもより遅くない?」
「これ……体重設定とか大丈夫なの?」
……そうだった。
普段、ヒメカの体重で快適に走れるようカスタマイズしているため、二人分の体重がかかると動作不良を起こすのだった。
それでも、しばらくは走れるはず。
男を撒くまで、なんとか耐えてほしい。
そう念じたが、スケーターはみるみる重くなっていき……
やがて、ガガガッとストッパーがかかり、
「わわっ……うわぁっ!」
ついに動作が停止して、前に倒れ込んだ。
おんぶしていたメルリごと、地面に転がる。
「いたた……メルりん、だいじょぶ?」
手を伸ばすヒメカに、暗い影が落ちる。
男が、二人に追い付いたのだ。
「ったく、手間かけさせやがって……みんな高い金払って待ってんだよ。ほら、早く来い!」
言いながら、メルリの腕を乱暴に引っ張る。
ヒメカの頭に、一気に血が昇る。
「やめて! メルりんを離して!!」
「あぁ? 部外者は黙ってろ! いや……なんならお前も来るか? なかなか良いカラダしているからなァ」
投げ出されたヒメカの脚を、いやらしい目で見下ろす男。
ヒメカは奥歯を軋ませる。
こんな時、賜魔術が使えたら……そしたら憧れのツバキのように、みんなを護れるのに。
「ライゼントのガキは貰魔力集めに必死なんだろ? まったく、いいカモだぜ。いま仲間を呼んでるから、お前のことも連れてってやる。楽しみにしてな。ガッハッハ!」
男の魔の手が、ヒメカに迫る。
(くっ……誰か、助けて……!)
目を瞑り、そう祈った――その時。
「――そこまでだ」
聞き覚えのあるセリフ。
目の前に降り立つ黒い髪。
ふわりと蘇る、桜の香り。
ヒメカと男の間を隔てるように現れたのは、ライゼント学院の制服を着た男子生徒。
(もしかして……あの時の先パイ?)
そう思い、ヒメカは胸を高鳴らせるが……
「二人は僕のクラスメイトだ。危害を加えるのなら学院と警察に通報する」
……そのセリフと声に、ぎょっとする。
まさか……
「め……メガネ君?!」
そう。現れたのは、リィトだった。
珍しく背筋を伸ばしているため、気付かなかった。意外と背が高いことに、ヒメカは驚く。
「はっ。ヒーロー気取りのクソガキが。これは合意の上での取引だ。大人の仕事に口挟むな!」
リィトに対し、ヤクザのような剣幕で怒鳴り散らす男。
しかしリィトは、冷静にヒメカの方を見て、
「こう言ってるけど……実際どうなの? ヒメツカワさん」
そう聞いてくるので……ヒメカは大声でこう答える。
「ぜんっぜん合意じゃない! あたしたちのことひん剥いてマワすつもりなんだよ、コイツ!!」
……それを聞いた途端。
リィトの空気が、変わった。
「……そう。なら――手加減する必要はなさそうだね」
――直後。
リィトが、わずかに手を振るった。
一瞬だった。生み出された緑の蔓が男の両足をぐるぐる巻きにし、そのままぐいっと宙に持ち上げたかと思うと……
ビルの壁に生やした木の枝に引っ掛けるようにして、逆さ吊りにした。
さらに、ばたばたと暴れる両手首と、うるさい悲鳴を上げる口を氷漬けにして固める。
男はあっという間に、高いビルの横で吊し上げの刑に処されてしまった。
「す、すごいコントロール……」
「二人とも、怪我はない?」
呆気に取られるヒメカたちに、リィトが手を伸ばす。
ヒメカはぽかんと口を開けたままだが、メルリはぽっと頬を染めた。
「う、うん……ありがとう、リィト君」
メルリが手を掴んだ時、リィトのバイタリストが『キュン』と鳴った。
もしかしなくても、メルリのときめきだ。
メルリはますます顔を赤らめ、恥ずかしそうに目を逸らした。
「まさか、おんぶしたままエアスケーターで走ったの? そりゃあ転ぶよ……大丈夫?」
メルリを立ち上がらせた後、リィトはヒメカにも手を差し伸べ、呆れたように言った。
ヒメカは「あはは」と笑いながらその手を取る。
「だって、夢中だったからさぁ。でも、こんくらい全然ヘーキ……って、いたぁっ!?」
立ちあがろうとした途端、膝に激痛が走る。
よく見ると、派手に擦り剥いていた。
「うぅ、やっちゃった……あ、でもヘーキだから! とりあえずここから離れよ?」
無理やり笑っているが、本当はものすごく痛い。唇を噛み締めないと耐えられないほどだ。
そんなヒメカを見つめ、リィトは小さく息を吐くと……
「……はい」
「えっ?」
「おぶってあげるから乗って。寮まで送るよ」
そう言って、背中を向けてひざまずいた。
思わずヒメカは、「へっ?!」と素っ頓狂な声を上げる。
(ちょ……男の子におんぶしてもらうとか、経験ないんですケド! そんなんしたら、めっちゃ密着して……ドキドキしちゃうじゃん!!)
――『キュン』
「や、これは違くて……別に、恥ずかしいとかじゃなくて……!!」
「いいから。あの人の仲間が来る前に、早く逃げるよ」
有無を言わさない冷静な声に、ヒメカは「うっ」と唸ってから……意を決して、リィトの背中にしがみついた。
* * * *
――撮影会の男を宙吊りにした現場を離れ、ヒメカたちは学院の寮の前まで辿り着いた。
メルリの家は、ここからそう遠くないらしい。
「……じゃあ、ここで」
メルリが足を止め、言う。
どこか吹っ切れた笑顔に、夕焼けが反射している。
「これ、リィト君のブレザー。遅くなっちゃったけど、返すね」
「わざわざありがとう。送らなくて本当に平気?」
「うん。さっきマネージャーに連絡したから、迎えに来てくれると思う。本当にありがとうね、リィト君。それから……ヒメカも」
急に名前を呼ばれ、ヒメカはドキッとする。
そして、嬉しさと照れ臭さが混じった笑みを浮かべながら手を振り、
「ど、どーいたしましてっ。気をつけてね、メルりん。また明日、学校で!」
「うん。明日からまたがんばろうね。足、お大事に」
そう言って、メルリは夕日の沈む方へ去って行った。
その後ろ姿を見送り、ヒメカは息を吐く。
一時はどうなることかと思ったが、メルリが無事でよかったと、胸を撫で下ろす。
それから、隣にいるリィトに笑いかける。
「ありがとね、メガネ君。助けてもらった上、寮まで運んでもらっちゃって……まじ感謝」
まさかおんぶされることになるとは思わなかったケド。
と、先ほどまでの密着を思い出すとまた『キュン』が鳴りそうなので、無理やり考えないようにする。
リィトは夕日を背負いながら、静かに首を振る。
「ううん。僕も寮に帰るところだったから。気にしないで」
「そっか。メガネ君も帰るついでで……って、え?」
理解が追いつかず、目を点にするヒメカ。
リィトは、眼鏡のブリッジをすっと押さえ、
「僕も学院の寮に住んでいるんだ。足、痛いでしょ? 中まで送るよ」
そう、優しく言うものだから、ヒメカは……嬉しさと緊張と、少しの恥じらいを感じたのち、
(……はっ。これって……もしや、チャンス?!)
きらんっ、と目を光らせ、リィトの腕をガシッと掴み、
「……来て」
「……え?」
「あたしの部屋…………来て」
という、大胆な誘い文句を放った。




