Scene8 「旅フラグ確定」
大講堂のざわめきが、ゆっくりと収まりつつあった。
すでに断罪は完了している。
残るのは、形式的な確認だけだった。
王太子が、冷ややかな視線を向ける。
「リリエル・フォン・アルシェンド。処分内容に異議はあるか」
静寂。
全員が、彼女の反応を待っている。
通常なら、泣き崩れるか。
抗議するか。
あるいは、気を失うか。
だが――
リリエルは、姿勢を正した。
そして、穏やかな声で答える。
「処分、承りました」
あまりにも淡々としていた。
講堂の空気が、ほんのわずかに揺れる。
聖女ミリアが息を呑み、数名の貴族が小さく目を見開く。
王太子は、言葉を失ったように一瞬沈黙した。
その隙に。
京子の思考は、次の段階へ進んでいた。
(では、条件整理……)
リリエルは、静かに問いかける。
「一点、確認してもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「財産没収の範囲についてです」
会場が、再び微妙にざわめく。
王太子は眉をひそめた。
「アルシェンド公爵家の資産は、原則すべて王家預かりとなる」
京子は、素早く思考を整理する。
(原則、ということは例外がある)
「個人所有物はどうなりますか」
「衣服、書籍、学用品程度だ」
京子は小さく頷いた。
(十分)
内心で、軽くガッツポーズを取る。
(記録帳は持ち出せる)
(旅行資料もセーフ)
(生活用品は現地調達で問題なし)
さらに、確認を重ねる。
「魔道具は?」
王太子の背後で、監察局の役人がわずかに目を細めた。
「用途による」
「日常生活補助系であれば?」
「……許可される可能性はある」
京子の脳内で、チェックリストが開かれる。
(保存箱型魔道具)
(簡易浄水具)
(携帯照明器)
(温度維持布)
どれも、旅行効率を飛躍的に高める。
リリエルは、わずかに頬を緩めた。
それは、貴族としては極めて控えめな表情だったが――
彼女にとっては、かなりの喜びだった。
監察局役人が口を開く。
「なお、霊脈関連装置の持ち出しは禁止する」
その言葉に、京子の思考が一瞬だけ止まる。
(霊脈装置……)
リリエルは、あえて無関心を装って頷いた。
「承知いたしました」
だが、その単語は確実に記憶へ刻まれる。
京子は思い出す。
学園の地下研究区画。
一般学生は立ち入り禁止。
だが、リリエルの研究活動の中で――
何度か、視察を許された場所があった。
石造りの回廊。
淡く脈動する光。
地面を流れる、不可視のエネルギー流。
霊脈。
文明を支える見えない交通路。
そして。
公爵家の研究室には、かつて父が保管していた資料があった。
正規登録されていない、小型の観測器。
――隠し資産。
京子の思考が静かに整理される。
(資産没収=公式資産のみ)
(研究備品の一部は私的扱いの可能性)
(帰邸前に確認必須)
ほんの少しだけ、未来が広がる。
王太子が、低い声で告げる。
「明朝、王都を出発する」
「はい」
あまりにも素直な返答だった。
聖女ミリアが、戸惑いを隠せずに声をかける。
「……あなた、本当にそれで良いの?」
リリエルは、静かに微笑んだ。
「ええ」
そして。
ほんの少しだけ、視線を上げる。
高い天井。
色彩の光。
格式の象徴。
京子は、穏やかに思う。
(ここは、とても美しい場所だった)
だが同時に。
(少しだけ、窮屈でしたね)
リリエルは、軽く礼をした。
その所作は、完璧な貴族礼だった。
だが、その胸の奥では――
未知の街道。
知らない料理。
出会ったことのない文化。
それらが、静かに広がり始めていた。
断罪の大講堂を出る瞬間。
彼女の歩みは、ほんのわずかに軽かった。
誰も気付かない。
この追放が。
彼女にとって、人生最初の――
本当の出発であることを。




