Scene7「観光経済危機」
リベル・サーキット滞在、五日目。
都市の空気は――どこかざわついていた。
通常ならば、各国文化パビリオンの前には長蛇の観光列ができる。
音楽、呼び込み、香辛料の香り。
文化が混ざり合う喧騒が、この都市の象徴だった。
しかし。
中央広場の観光案内掲示板の前で、リリアナは足を止めた。
掲示板には、新しい地図が貼られている。
観光推奨ルートランキング。
赤い線が、太く強調されていた。
人気文化圏――Sランク予測国家。
その周辺は、人で溢れている。
一方で。
地図の端に描かれた小国パビリオン群は――
ほぼ空白だった。
「……これは」
リリアナが呟く。
ザハルが腕を組み、低く答えた。
「観光客が偏っている」
フィオが空を見上げながら言う。
「昨日からだよ。急に」
そのとき。
遠くの通りから、怒号が聞こえた。
振り向くと――
小国連合パビリオン区域で、観光客が撤収を始めている。
看板を畳む職人。
演奏を止める楽師。
飾り布を降ろす店主。
文化が――
静かに、消えかけていた。
「行きましょう」
リリアナは足を速めた。
◇
小国文化区。
そこには、乾いた空気が流れていた。
数日前まで賑わっていた水契約儀礼展示館。
砂装飾市場。
草木染衣装の工房。
すべてが閑散としている。
入り口に座り込んでいた老商人が、重い声で言った。
「……観光客が来なくなった」
リリアナが膝を折り、視線を合わせる。
「理由は?」
商人は苦く笑った。
「噂だ」
「噂?」
「監察局が文化格付け制度を導入するらしい、と」
リリアナの胸が、静かに締め付けられる。
「観光商会が先回りして――」
商人は、掲示板のコピー紙を差し出した。
そこには手書きで、
《将来格付け低評価予測文化圏》
と記されていた。
そのリストに、小国群の名前が並んでいる。
「観光会社は、安全な文化だけをツアー化する」
商人は続けた。
「旅行客も、将来価値が高い文化だけを巡る」
沈黙。
「結果……」
彼は、空になった展示台を見つめた。
「文化が、客を失った」
◇
別のパビリオン。
若い舞踏師が衣装を畳んでいた。
その手が、わずかに震えている。
「公演は中止ですか?」
リリアナが尋ねる。
少女は小さく頷いた。
「スポンサーが撤退しました」
「……」
「格付けが低い文化は、将来性がないって」
言葉の最後が、かすれた。
「でも」
少女は俯いたまま続ける。
「この舞は、祖母から受け継いだんです」
沈黙が落ちる。
文化とは、統計の中の数値ではない。
誰かの人生の記憶だ。
◇
午後。
リベル観光商会会議所。
リリアナは、最新の観光流動データを閲覧していた。
巨大ホログラム地図が展開される。
観光客の流れが、光の線で表示されている。
Sランク予測文化圏――
光が集中。
Eランク予測圏――
完全に断絶。
「……ここまで露骨に」
リリアナが呟く。
フィオが覗き込み、顔をしかめる。
「空の交通渋滞よりひどい」
ザハルは冷静に分析する。
「これは経済崩壊の前兆だ」
別画面が表示される。
観光収益推移。
小国文化区――
わずか三日で、収益八割減。
「そんな……」
リリアナの声が、微かに震える。
さらに別データ。
文化維持費。
保存工芸。
祭礼維持。
技術継承。
収益が途絶えれば――
文化そのものが維持できない。
◇
夕方。
小国文化区の広場。
演奏されるはずだった舞台に、誰もいない。
風だけが布旗を揺らす。
リリアナは、ゆっくり中央に立った。
(文化格付け制度……)
カルディオンの資料が脳裏に浮かぶ。
管理。
安定。
数値化。
それ自体は合理的だった。
だが――
目の前の静寂は、その結果の予兆だった。
(文化は)
彼女は空を見上げる。
(競争に耐えられるものだけが残るのか)
背後から、小さな声がした。
「旅人さん」
振り返ると、幼い工芸職人の少年が立っていた。
「うちの村……もう展示呼ばれなくなるの?」
言葉に詰まる。
リリアナは、ゆっくりしゃがみ込んだ。
「まだ、決まったわけではありません」
「でも」
少年は展示棚を指差した。
空だった。
「誰も見に来ない文化って……消えちゃうんだよね」
胸の奥で、何かが確定する。
◇
夜。
宿泊棟の屋上庭園。
都市全体が見渡せる場所。
煌びやかなパビリオン群の光。
しかし、その輝きは――
偏っていた。
リリアナは手帳を開く。
静かに書き始める。
(観光格付け制度)
一行空ける。
(文化保存制度ではない)
ペン先が止まる。
そして、はっきりと書き込む。
(文化淘汰装置)
風が、紙を揺らした。
ザハルが隣に立つ。
「結論は出たか」
「はい」
リリアナは頷いた。
「制度そのものが悪とは思いません」
「だが?」
「運用次第で――」
都市の明暗を見つめる。
「文化を消します」
フィオが柵に寄りかかりながら言う。
「自由競争ってやつ?」
「文化は商品ではありません」
リリアナは静かに答えた。
「文化は、生き物です」
一拍。
「環境が偏れば、絶滅します」
沈黙。
都市の音楽が、遠くから聞こえる。
しかし、小国文化区からは――
何も聞こえない。
リリアナは、ゆっくり空を見上げた。
「カルディオンの制度は」
小さく呟く。
「世界を安定させるかもしれない」
風が頬を撫でる。
「でも」
彼女の瞳が、強く光る。
「世界を、均一にしてしまう」
手帳を閉じる。
その音は、決意のように静かだった。
観光外交の舞台は――
次の衝突へ、確実に進み始めていた。




