Scene5「エルナの異変」
霊脈塔中枢。
制御室を出たリリアナたちは、塔の外周回廊を歩いていた。
巨大な霊脈柱が、半透明の光をまといながら天へ伸びている。
足元には幾何学模様の制御陣が刻まれ、淡い光がゆっくりと流れていた。
都市の鼓動のような低い振動が、床越しに伝わってくる。
「この塔の周囲は、霊脈密度が最も高い区域です」
アルヴェルが説明する。
「一般市民の立ち入りは制限されています」
フィオが柵越しに覗き込み、感嘆の声を漏らした。
「空の交通もすごかったけど……こっちは、世界の心臓って感じだな」
ザハルは周囲を警戒しながら歩いている。
リリアナは、手帳に記録を書き込んでいた。
(霊脈塔周辺は精神感応影響の可能性……)
(長時間滞在は体調変化の調査が必要……)
その時だった。
背後で、かすかな息を呑む音がした。
振り返る。
エルナが、立ち止まっていた。
「……エルナ?」
彼女は霊脈柱を見上げている。
瞳の焦点が、わずかに揺れていた。
「どうしました?」
返事がない。
代わりに――
彼女の指先が、ゆっくりと宙をなぞった。
「……見える」
小さな声だった。
だが、その場の空気がわずかに張り詰める。
「何が見えるんですか?」
リリアナが静かに問いかける。
エルナは、霊脈柱を見つめたまま答えた。
「流れ……」
彼女の瞳に、淡い光が宿る。
「線が……たくさん……」
その声は、まるで夢の中で言葉を探しているようだった。
彼女の視界の中で、霊脈は変質していた。
光の柱は、無数の細い流線へと分解される。
それらは都市全体へ広がり、さらに遠方へ――大地の奥深くまで続いていた。
絡まり合い、分岐し、収束する。
巨大な網。
文明の神経網。
そして――
かすかな音が聞こえた。
言葉にならない旋律。
古い祈りの断片のような響き。
エルナの唇が、無意識に動いた。
「……還れ」
その声は、彼女の声でありながら、どこか違っていた。
アルヴェルが鋭く振り向く。
「今、何と言いました?」
エルナは応えない。
彼女の身体が、わずかに震え始める。
「……苦しい」
その言葉は、絞り出すようだった。
「この流れ……」
「……苦しそう」
沈黙。
霊脈柱は、いつもと変わらぬ律動で脈打っている。
だが――
エルナの視界では違った。
流線の一部が、不自然に歪んでいた。
過剰に引き伸ばされ、濁り、軋んでいる。
まるで――
無理に流量を引き上げられている血管のように。
「……詰まってる」
リリアナの心臓が、わずかに強く脈打った。
「どこが?」
エルナは答えない。
ただ、胸元を押さえた。
膝が崩れかける。
「エルナ!」
リリアナが咄嗟に支える。
彼女の体温は、微かに熱を帯びていた。
アルヴェルが厳しい声で言う。
「霊脈感応症状の可能性があります。すぐに――」
しかしエルナは、リリアナの袖を掴んだ。
「……まだ……」
彼女は霊脈柱を見上げ続ける。
「……助けて、って……言ってる」
その言葉に、風が止まったような静寂が落ちた。
フィオが息を呑む。
ザハルの表情が硬くなる。
アルヴェルの視線が、初めて揺れた。
リリアナは、エルナを支えながら霊脈柱を見上げる。
光の流れは、変わらず美しい。
完璧に制御された文明の象徴。
だが――
(もし、文明の基盤そのものが……)
(痛みを抱えているとしたら……)
彼女の胸に、静かな違和感が芽生える。
「……エルナ」
リリアナは、そっと言った。
「もう十分です」
エルナは、小さく首を振った。
「……まだ……聞こえる」
その瞳に宿る光は、次第に弱まっていく。
やがて――
彼女の力が抜けた。
リリアナがしっかりと抱き止める。
エルナは浅く息をしながら、囁いた。
「……流れ……変……」
それが、最後の言葉だった。
彼女の意識は、静かに沈んだ。
霊脈塔の上空で、光が規則正しく明滅する。
都市は、何事もなかったかのように稼働を続けていた。
だが――
リリアナの胸の奥で、確信が芽生えていた。
(霊脈循環に、異常がある)
彼女は静かに霊脈柱を見つめた。
文明を支える光は、美しく――
そしてどこか、不自然なほど整いすぎていた。




