Scene4 「婚約破棄」
王太子が、一歩前へ出た。
それだけで、講堂の空気が変わる。
彼の纏う王族礼装は、重厚な紺と金で統一されていた。
肩章には王家紋章。
胸元には、王位継承者を示す宝飾。
光を受けて、威厳が際立つ。
王太子は、静かにリリエルを見据えた。
その瞳には、迷いがない。
そして――
ゆっくりと、隣に立つ少女へ手を差し出す。
聖女候補生ミリア。
彼女は戸惑いながらも、その手を取った。
会場の空気が、明確に傾く。
守られる者。
守る者。
その構図が、完成した。
王太子は、堂々と宣言する。
「リリエル・フォン・アルシェンド」
その声は、王族特有の訓練された響きを持っていた。
「貴女は、婚約者という立場を用いて王国政治に干渉し、さらに聖女候補生へ度重なる威圧行為を行った」
観客席が静まり返る。
王太子の言葉は続く。
「王族は、民と国家の象徴である」
「その婚約者が、秩序を歪める存在であってはならない」
彼は、ミリアを庇うように半歩前へ出た。
「私は、王国の未来を守る」
短い沈黙。
そして。
「ここに――」
王太子は右手を掲げた。
まるで儀式の終幕を告げる合図のように。
「貴女との婚約を、正式に破棄する」
一瞬の静寂。
直後――
講堂が揺れた。
歓声。
拍手。
貴族席から立ち上がる者さえいる。
「王太子殿下、万歳!」
「聖女様をお守りくださった!」
「正義のご決断だ!」
称賛が、波のように広がっていく。
ミリアは、王太子の袖をそっと握った。
震える仕草。
それが、さらに観衆の感情を煽る。
まさに――
王族悲劇イベントの完成だった。
だが。
その中心で。
リリエルは、静かに立っている。
姿勢は崩れない。
表情も変わらない。
ただ。
内側では、別の計算が始まっていた。
――王族婚約。
京子の脳内に、巨大な業務フォルダが開く。
中には。
外交日程。
儀礼行事。
祝典出席。
王族巡幸同行。
慈善活動。
外交晩餐。
舞踏会。
謁見補助。
周年式典。
地域訪問。
宗教儀式。
――スケジュール表が、延々と展開される。
しかも、年間単位。
京子は、静かに思考する。
(……年間行事数、えぐそう)
脳内で、王族予定表が自動生成される。
春季外交祭。
王都建国記念式典。
他国使節歓迎晩餐。
聖霊祭。
収穫感謝儀礼。
冬至王宮典礼。
さらに。
地方巡幸。
貴族婚姻出席。
慈善基金主催式典。
王族監修教育行事。
京子は、そっと比較する。
――前世の手帳。
月曜:定例会議
火曜:顧客折衝
水曜:資料作成
木曜:企画修正
金曜:上司レビュー
土曜:緊急対応
日曜:仮眠
そして、結論が出る。
(……王族婚約、ブラック企業超えてない?)
冷静に、評価が更新される。
さらに。
婚約破棄。
その単語が、契約終了通知として処理される。
【王族外交拘束:解除】
【儀礼出席義務:解除】
【王宮常駐業務:解除】
チェック欄が、一気に消えていく。
胸の奥で、何かが軽くなる。
京子は、慎重に最終判断を行う。
(これは……)
(かなりの大型案件解約では……)
周囲では歓声が続いている。
ミリアは涙を拭き、王太子は誇り高く立つ。
完全な勝利演出。
完全な断罪完成。
しかしリリエルだけが。
ほんのわずかに。
ほんのわずかだけ――
肩の力を抜いた。
誰にも気付かれないほど微細に。
ステンドグラスの光が、静かに彼女へ降り注ぐ。
王族悲劇劇場の中央で。
たった一人。
新しい予定表の空白を見つめる者がいた。




