第4アーク 「天空都市編」Scene1「雲上港ラピュル到着」
雲を突き抜けた瞬間、リリアナは息を呑んだ。
「……わぁ」
視界いっぱいに広がるのは――空だった。
いや、正確には違う。
空の中に存在する“都市”だった。
巨大な浮遊大陸が、青空の中央に悠然と鎮座している。幾層にも重なる円環状の街区が、雲海の上に段々と広がり、無数の桟橋が外縁から伸びていた。
そこへ次々と接岸していくのは、魔導飛行艇、翼を持つ大型飛行獣、そして個人用の小型滑空機。
「ようこそ、天空都市ラピュルへ」
案内を務める港湾職員が、誇らしげに言った。
しかしリリアナの耳には、もうその声すら半分しか届いていない。
「……交通網……三層、いや四層……」
彼女は手帳を取り出し、猛烈な勢いで書き始める。
「下層は物流航路。中層が市民交通……上層が貴族・行政用空域……すごい……空域が完全に都市インフラ化してる……」
「もう始まってる……」
隣で苦笑したのは同行者のザハルだった。
「止めるな。こうなったら書き終わるまで戻らん」
雲上港は、生き物のように動いていた。
係留塔に着陸した飛行艇からは、香料、精密機械、羽毛織物、霊石資材など、各地の産物が次々と降ろされている。空中クレーンが静かに唸りを上げ、荷を吊り上げ、別の航路へと流していく。
その合間を縫うように、翼長十メートルはあろうかという輸送用飛行獣が滑空してきた。背に積まれた荷鞍が揺れ、操獣士が器用に手綱を操る。
「……生体輸送文化も維持してる……!」
リリアナの瞳が輝く。
「機械文明と共存してるのがすごい……効率だけじゃない、文化保存の意思が見える……」
ザハルが肩をすくめる。
「お前、本当にそこを見るんだな」
「当然です。文明は“合理性”と“伝統”の交渉結果ですから」
彼女は真顔で頷いた。
そのとき、港の上空を一筋の光が駆け抜けた。
鋭い旋回。
空気を裂く推進音。
雲を切り裂く高速滑空。
「……今のは?」
リリアナが顔を上げる。
港湾職員が、ほんの一瞬だけ眉を曇らせた。
「……非公式航路を飛ぶ連中でしょう。最近、少々問題になっていましてね」
だがすぐに、営業用の笑顔へ戻る。
「観光客の方は気になさらず。さあ、宿泊施設へご案内します」
その微妙な間を、リリアナは見逃さなかった。
(問題……ね)
彼女のペンが、伏線として静かにその単語を書き留める。
――違和感の芽が、ほんのわずかに胸の奥へ沈んだ。
◆
案内された空中宿は、港外縁から突き出した半透明の結晶構造物だった。床は強化霊ガラスで作られており、足元には雲海が広がっている。
チェックインを終えると、リリアナは迷わず窓際へ駆け寄った。
「……すごい……」
空は、夕焼けに染まり始めていた。
多層航路を行き交う飛行艇の灯火が、空中に幾重もの光の帯を描く。下層では商業船団が整然と移動し、上層では優雅な個人艇が星のように瞬いていた。
都市そのものが、巨大な立体星座のようだった。
「レビューを書きます」
唐突にリリアナが宣言する。
「もうか?」
「宿文化は都市文明の縮図です」
彼女は真剣な顔で手帳を開く。
数秒後。
「……よし」
読み上げた。
「天空宿評価」
ザハルが嫌な予感を覚えた顔をする。
「景観――SSS」
「まあ分かる」
「空域アクセス――A+」
「ほう」
「文化保存価値――S」
「そこ評価項目なんだな」
リリアナは誇らしげに頷いた。
そして。
「安全性――」
一拍置いて。
「墜落リスクC」
「やめろ」
即座にザハルが止めた。
「誤解を招く」
「ですが事実です。高高度居住区は構造的に避難導線が――」
「宿で分析するな」
真剣に反論しようとするリリアナを、ザハルが半ば強引に椅子へ座らせた。
そのとき。
遠くの空域で、再び光が閃いた。
今度は二筋。
追いかけ合うように旋回し、急降下し、都市外縁の雲の中へ消える。
宿の外壁が、わずかに震えた。
近くの宿泊客が、不安そうに空を見上げる。
その空気を察したのか、館内アナウンスが穏やかに流れた。
『現在、外縁空域にて非許可飛行が確認されています。安全に問題はありません』
――安全に問題はありません。
その言葉を、リリアナは静かに反芻する。
(安全……)
彼女は再び手帳を開き、書き加える。
『空域許可制度――存在確定』
『違法飛行文化――存在示唆』
『事故増加――要調査』
ペンを止めたあと、リリアナは窓の外を見た。
光の航路が、夜空に複雑な幾何学模様を描いている。
それはあまりにも美しく。
同時に――どこか張り詰めていた。
「……空って」
彼女は呟く。
「自由の象徴だと思ってました」
ザハルが隣で腕を組む。
「違うのか?」
リリアナは、ゆっくり首を横に振った。
「ここでは……きっと」
夜空を見上げる。
「交渉の場所です」
その言葉は、まだ誰にも届かない。
だが確かに――
天空都市ラピュルという文明の核心へ、彼女は最初の一歩を踏み入れていた。




