Scene12「砂漠の星空」
キャラヴァーン市郊外――キャラバン野営地。
出発前夜。
砂漠は、昼の熱が嘘のように冷えていた。
風が砂丘を撫で、静かな波のような音を立てている。
野営地には、いくつもの焚火が灯っていた。
水樽の最終確認をする者。
荷駄の紐を締め直す者。
星図を広げて航路を確かめる者。
キャラバンは、明朝に出る。
リリエルは、少し離れた砂丘の上に座っていた。
膝の上には、旅記録帳。
だが、まだ開いていない。
ただ――空を見ていた。
砂漠の星空は、王都のそれとはまるで違う。
夜そのものが、光を宿しているようだった。
「……すごいですね」
隣に、エルナが座る。
「星が、流れてるみたい」
少女は、空を指差す。
「ここは、霊脈が穏やかだから」
「星の動きも、よく見える」
リリエルは微笑む。
「星と霊脈、関係があるんですか?」
エルナは少し考えてから、小さく頷いた。
「……うん。たぶん」
曖昧な答えだった。
だが、不思議と確信を感じさせる声だった。
少し離れた場所で、ザハルが水樽を点検している。
隊商長と、航路の最終確認をしていた。
以前なら、観光客が砂丘に座ることを注意していただろう。
だが今は、ちらりとこちらを見ただけで、何も言わなかった。
リリエルは、ようやく記録帳を開いた。
砂漠交易編――最終記録。
ペン先を紙に当てる。
しばらく考え――ゆっくり書き始めた。
――砂漠文化は、水から始まる。
文字が、静かに並ぶ。
――水は資源であり、契約であり、信頼である。
焚火の音が、ぱちりと鳴る。
――交易は物流ではない。
――文化の交渉である。
リリエルは、手を止めた。
空を見上げる。
星々が、無数に瞬いている。
この旅に出る前。
観光とは、景色を体験することだと思っていた。
だが、今は違う。
観光とは――
文化を知る行為。
文化を繋ぐ行為。
そして時には――
文化を守る行為。
ペンを走らせる。
――旅は文明の対話である。
その文字を書いた瞬間、胸の奥が、静かに満たされた。
ふと、ザハルが近づいてきた。
「準備は終わったのか」
「はい。あと少しです」
リリエルが答える。
ザハルは星空を見上げた。
「……この空を見ると、思い出す」
「何をですか?」
「昔のキャラバンだ」
短く答える。
「多くは、もう残っていない」
砂漠の風が、静かに吹く。
「だが」
彼は続けた。
「旅人が語る限り、文化は消えない」
リリエルは、少し驚いたように瞬く。
ザハルは視線を空に向けたまま言った。
「旅人は、価値を運ぶ」
「物資だけじゃない」
「記憶を運ぶ」
「意味を運ぶ」
静かな声だった。
だが、砂漠の夜に、深く染み込んでいく。
リリエルは、穏やかに笑った。
「……素敵ですね」
ザハルは肩をすくめる。
「お前に教わった」
エルナが、小さく呟く。
「みんな、流れを運んでる」
三人は、並んで空を見上げた。
星は、ゆっくりと巡っている。
砂漠の夜は、深く、そして静かだった。
リリエルは記録帳を閉じる。
この章の終わり。
だが――
旅は終わらない。
彼女は砂丘から立ち上がる。
キャラバンの灯が、地上の星のように揺れていた。
明日、また新しい文化に出会う。
新しい価値を知る。
そして、それを繋ぐ。
リリエルは、星空を見上げたまま、小さく呟く。
「……次の旅も、きっと面白いですね」
砂漠の夜風が、静かに答えた。




