Scene11「ザハル加入」
キャラヴァーン市――隊商宿舎の屋上。
夕暮れの砂漠は、金と紫が溶け合う色をしていた。
巨大オアシスの水面が、静かに空を映している。
市場からは、まだ交渉の声が聞こえていた。
秤の音。
家畜の鳴き声。
水壺を運ぶ足音。
都市は、今日も動いている。
リリエルは屋上の縁に腰を下ろし、手帳を広げていた。
「……信用制度、共同管理型に移行した場合の文化的影響……」
さらさらとペンが走る。
「水契約儀礼の変化も記録対象ですね……」
その時。
「まだ書くのか」
低い声が背後から響いた。
振り向くと、ザハルが立っていた。
砂色の外套。
夜風に揺れるターバン。
いつもの無表情。
だが――どこか、静かな色が混じっている。
「はい」
リリエルは微笑む。
「文化は、記録しないと消えてしまうので」
ザハルはしばらく沈黙した。
そして、オアシスを見下ろす。
「……昔な」
ぽつりと呟いた。
「俺は、観光客が嫌いだった」
リリエルは何も言わず、耳を傾ける。
「砂漠を軽く見る」
「景色だけ見て帰る」
「危険を理解しない」
短く息を吐く。
「だから思っていた」
「観光は無意味だと」
風が、屋上を通り抜ける。
遠くで、鐘が鳴った。
水配分の合図だ。
「だが」
ザハルは続けた。
「お前を見て、考えが変わった」
リリエルが小さく首を傾げる。
「……私、何かしましたか?」
ザハルは、少しだけ肩をすくめた。
「水契約を理解した」
「交易の記録を残した」
「盗賊の事情も見た」
「裏市場も、否定だけはしなかった」
そして、静かに言う。
「お前は、文化を消費していない」
沈黙。
「文化を、保存している」
リリエルの目が、わずかに丸くなる。
ザハルは、屋上の手すりに腕を置いた。
「文明はな」
「剣や城で残るわけじゃない」
「習慣で残る」
「契約で残る」
「記憶で残る」
彼は空を見上げた。
「それを残す者も、戦士だ」
リリエルは、少しだけ照れたように笑った。
「……戦えませんけど」
「知っている」
即答だった。
二人の間に、小さな沈黙が落ちる。
やがてザハルが、懐から小さな金属札を取り出した。
砂色の紋章が刻まれている。
護衛責任者章。
彼はそれを、リリエルに差し出した。
「これは?」
「同行契約の証だ」
リリエルは瞬きをする。
「隊商長から預かっている」
「……正式採用だ」
風が止まったように感じた。
「え」
「次の交易路にも同行する」
ザハルは淡々と言う。
「護衛としてな」
リリエルが、思わず笑う。
「それって……」
「はい?」
「ザハルさんが、旅に同行するって意味ですよね?」
「そうだ」
短い返答。
「……危険ですよ?」
リリエルが言う。
「観光は、無意味かもしれませんよ?」
ザハルは、わずかに口元を動かした。
ほとんど分からない程度に。
「違うな」
「観光は――」
少しだけ間を置く。
「文明保存だ」
リリエルの表情が、ふっと柔らかくなる。
「……素敵な定義ですね」
「お前が言った」
「え?」
「文化は生存戦略だと」
リリエルは苦笑した。
「そんな大げさなものでは」
「大げさでいい」
ザハルは静かに言った。
「砂漠では」
「水も信用も文化も」
「全部、生存戦略だ」
夕日が、完全に沈む。
オアシス都市に、夜が訪れる。
市場には灯火がともり、香辛料の匂いが夜気に混じる。
リリエルは護衛章を手の中で眺めた。
「……では」
彼女はゆっくり立ち上がる。
「次の旅も、よろしくお願いします」
ザハルは頷いた。
「ああ」
「死なせない」
間を置いて。
「記録もな」
リリエルが、くすっと笑う。
「それは、自分で守ります」
二人は並んで、砂漠の夜を見つめた。
星が、ゆっくりと浮かび始める。
キャラバンの灯が、地上の星座のように揺れていた。
旅は、まだ続く。
文化を運ぶ者と。
それを守る者と共に。




