Scene10「信用の取引」
砂商連合王国――商会議会大広間。
天井は高く、砂岩の柱には交易紋章が刻まれている。
壁面には、古代から続く交易路の地図。
そこに並ぶのは、各商会の代表者たち。
富と信用を背負う者たちの、沈黙の圧力。
中央の円卓に、リリエルは立っていた。
その背後には、隊商長とザハル。
少し離れた位置で、エルナが静かに様子を見守っている。
議長が、低く口を開いた。
「提出資料の真偽を確認する」
「偽霊脈航法装置が、交易事故を誘発しているという主張だな」
「はい」
リリエルは静かに頷いた。
羊皮紙の束を机に並べる。
航路ログ解析表。
被害発生マップ。
流通経路図。
議場がざわめいた。
「事故地点が一致している……」
「迷走航路も重なっているぞ」
議長が視線を向ける。
「説明を」
「はい」
リリエルは指先で地図をなぞる。
「事故は自然乱流ではありません」
「偽装航法装置が、霊脈流を強制偏向しています」
別の資料を示す。
「装置は裏市場を通じて流通」
「さらに、特定卸商を経由しています」
その瞬間。
議場の奥で、椅子が静かに鳴った。
一人の男が立ち上がる。
黒砂の外套。
細い金細工の指輪。
砂月交易組合代表――ラーディン。
「証明としては不十分だ」
低く、滑らかな声。
「事故は砂漠では日常だ」
「霊脈乱流も自然現象」
彼は微笑を浮かべる。
「それを我々の責任とするのは、少々乱暴ではないか」
議場の空気が揺れる。
リリエルは、わずかに首を傾げた。
「では、こちらをご覧ください」
彼女は、最後の記録石を差し出す。
「正規航法具と偽装航法具の霊脈干渉波形比較です」
魔力投影が浮かび上がる。
滑らかな流れ。
そして、歪に跳ねる波形。
議員たちの表情が変わる。
「……これは」
「強制補正だ」
ラーディンの視線が、わずかに細くなる。
だが彼は、まだ笑っていた。
「仮にそうだとして」
「問題は需要だ」
彼は円卓をゆっくり歩く。
「砂漠交易は競争が激しい」
「速さは利益になる」
「安価な航法具は、多くの隊商を救っている」
彼は、リリエルを見据える。
「価値は金で決まる」
議場に、小さく頷く者が現れる。
沈黙。
その中で、リリエルは静かに息を吸った。
「……いいえ」
穏やかな声だった。
「価値は、人と文化で決まります」
ざわめきが広がる。
彼女は続けた。
「交易は単なる物資移動ではありません」
「信用の交換です」
地図を掲げる。
「この事故で迷走したキャラバンは、契約を失いました」
「水契約を破棄された隊商もあります」
「巡礼路が閉鎖された地域も存在します」
議員たちが息を呑む。
「偽装航法具は、利益を生みます」
「ですが――」
彼女は、静かに言った。
「信用を壊します」
ラーディンが口を開く。
「信用は再構築できる」
「はい」
リリエルは頷いた。
「ですが文化は、簡単には戻りません」
彼女は、捕虜から得た記録を示した。
「交易独占により生活を失った元交易民が盗賊化しています」
ザハルが小さく目を伏せる。
「信用崩壊は――」
「社会崩壊に繋がります」
長い沈黙が落ちた。
議長がゆっくり立ち上がる。
「……砂月交易組合」
「流通経路調査への全面協力を命じる」
「偽装航法具の押収を開始する」
衛兵が動く。
ラーディンは、一瞬だけ目を閉じた。
そして肩をすくめる。
「商売とは、難しいものだ」
彼は抵抗せず席を離れた。
◇
議場は、まだ緊張に包まれていた。
議長が、再び口を開く。
「だが問題は残る」
「盗賊被害の増加だ」
視線が、リリエルに向く。
彼女は一歩前へ出た。
「改善策を提案します」
「まず」
「航路信用記録を共同管理化」
「次に」
「航法具認証制度の整備」
「そして」
彼女は少しだけ間を置いた。
「交易から排除された元交易民を、護送隊や航路監視員として再雇用する仕組み」
議場がざわめく。
「盗賊の多くは航路知識を持っています」
「それは脅威ですが――」
「同時に、資源です」
隊商長が、低く笑った。
「……確かに」
議長が頷く。
「検討に値する」
議場の空気が、わずかに変わる。
張り詰めていた緊張が、静かに緩んでいく。
交易都市は、再び呼吸を取り戻し始めていた。
会議が終わり、人々が退場していく。
ザハルが、横に並んだ。
「……やるな」
「いいえ」
リリエルは穏やかに笑った。
「私は、旅人です」
「旅人?」
「はい」
彼女は市場の方向を見つめる。
「旅人は、文化を繋ぐ役目です」
遠くで、商人たちの交渉声が再び響き始めていた。
水が運ばれ、香辛料が量られ、契約が交わされる。
交易は続く。
人と文化が織りなす、信用の上で。
リリエルは、静かに手帳を閉じた。
この都市で学んだのは――
価値とは、価格表に書かれるものではない。
人が守ろうとするものの総体なのだと。
彼女は、そう確信していた。




