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悪役令嬢リリアナ断罪されたので旅に出ます 『悪役令嬢観光録』 ―文化を巡り、文明を繋ぐ旅―  作者: 南蛇井


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Scene8「月影バザール」

キャラヴァーン市の夜は、昼とはまるで別の顔を持っていた。


 日没と共に閉じたはずの市場の裏手――

 石造りの水路が入り組む旧交易区画。


 そこに、もう一つの市場が存在していた。


 月影バザール。


 薄い砂煙が漂う裏路地を、リリエルは歩いていた。


 隣にはザハル。

 少し後ろを、エルナが静かに付いてくる。


「本当に来る必要があるのか」


 ザハルが低く言う。


「あります」


 リリエルは迷いなく答えた。


「文化は、表層だけでは成立しません」


「ここは文化じゃない」


「地下文化です」


 ザハルは眉をひそめたが、止めはしなかった。


 路地を抜けた瞬間――


 視界が開けた。


 半地下構造の巨大空間。


 天井は崩れた旧水路跡で、そこから月光が斑に差し込んでいる。


 灯りは、魔石ランプの淡い青。


 市場には――


 沈黙と囁きが満ちていた。


 布で顔を隠した商人。

 金貨ではなく、封印袋で行われる取引。

 値札のない商品。


 リリエルは、わずかに息を飲んだ。


「……すごい」


「感動するな」


 ザハルが即座に釘を刺す。


「危険地帯だ」


「はい」


 だが、彼女の目は純粋に観察していた。


 最初に目に入ったのは――魔道具露店だった。


 机の上に並ぶのは、小型の砂嵐避け結界具、偽装水袋、密閉香辛料保存箱。


 店主が低い声で囁く。


「正規品の半額だ」


「なぜ半額なのですか」


 リリエルが即座に聞く。


 店主は、わずかに笑う。


「製造記録がないからだ」


 横でザハルが小声で言う。


「盗品か、無認可製造だ」


 リリエルは頷きながら、手帳を開く。


 ――非公式魔道具流通

 ――価格競争による技術拡散

 ――安全基準未整備


 歩を進める。


 次の区画では、完全に空気が変わった。


 情報商人の区画だった。


 机の上には商品がない。


 代わりに、封蝋された小袋が並ぶ。


 看板には簡素に書かれている。


 《航路情報》《盗賊配置》《監察局動向》


 リリエルが立ち止まる。


「情報そのものが商品なのですね」


「ここでは一番高い」


 ザハルが答える。


 一人の情報商が声をかけてきた。


「旅人か?」


「はい」


「安全航路は欲しいか」


「相場はいくらですか」


 リリエルが即答すると、商人の目が細くなる。


「面白い客だ」


「文化調査です」


「……なら無料で教えてやろう」


 男は少し身を乗り出した。


「最近、霊脈航路の乱れが増えている」


 リリエルの視線が鋭くなる。


「原因は?」


「分からん」


「だが」


 男は指を三本立てる。


「偽装航路装置が流れている」


「誰が?」


「それが分かれば苦労しない」


 ザハルが軽く舌打ちする。


 リリエルは、深く礼をした。


「貴重な情報です」


 さらに奥へ進む。


 そこは――最も警戒された区画だった。


 黒布で囲われた露店。


 商品は、一つだけ。


 細長い金属装置。


 淡く脈打つ魔力光。


 エルナが、ぴたりと足を止めた。


「……嫌な音」


 小さく呟く。


 店主が低く笑う。


「霊脈補助航法機だ」


 ザハルが即座に前へ出る。


「正規品ではないな」


「正規品より速い」


「危険だ」


「便利だ」


 短い応酬。


 リリエルは装置を観察する。


 魔力の流れが、不自然に揺れていた。


「これは……霊脈流を強制偏向していますね」


 店主の目が光る。


「分かるのか」


「はい」


「代償は?」


 店主は肩をすくめる。


「周囲の霊脈安定性が多少崩れる」


 エルナが、小さく後退する。


「多少じゃない……」


 リリエルは、静かに手帳へ書き込む。


 ――霊脈干渉型航法機

 ――短期利便性

 ――長期環境破壊リスク


 彼女は、装置から視線を外す。


「買いません」


「賢明だ」


 ザハルが言う。


 市場を離れながら、リリエルは月光を見上げた。


「文化には、必ず影がありますね」


「当然だ」


 ザハルが答える。


「利益がある場所には、抜け道ができる」


「ですが」


 リリエルは静かに続ける。


「影もまた、文化を支えている側面があります」


「どういう意味だ」


「正規制度が拾えない需要を、地下市場が補完しています」


 ザハルは沈黙する。


 エルナが、ぽつりと呟いた。


「でも……流れが濁る」


 その言葉に、リリエルは頷いた。


「はい」


「文化の影は、時に文明そのものを揺るがします」


 遠くで、交渉の囁き声が響いていた。


 月影バザールは、静かに息づいている。


 そこには――


 欲望。

 必要。

 生存。

 そして、秩序の外側で生まれるもう一つの文化。


 リリエルは、その光景をしっかりと記憶に刻む。


 旅は、景色だけではない。


 文明の表と裏、両方を歩くものなのだと――


 彼女は、ようやく理解し始めていた。

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