Scene5「キャラバン生活」
キャラバンは、都市を離れて三日目の朝を迎えていた。
空は高く澄み、砂丘は金色の波のように連なっている。
リリエルは砂獣の背に揺られながら、手帳に細かく記録を書き込んでいた。
“砂丘移動速度:平均時速四・二キロ
隊列維持距離:約八メートル
水消費量:気温依存変動あり”
「まだ書くのか」
横から、低い声がした。
ザハルだった。
「はい」
リリエルは迷いなく答える。
「キャラバン生活は、移動文明の集合体ですから」
「文明、ね」
ザハルは前方の隊列を確認しながら呟いた。
「生き延びるための手順の寄せ集めだ」
「文明とは、そういうものだと思います」
さらりと言いながら、彼女は視線を空へ向けた。
――夜。
キャラバンは、巨大な砂丘の陰に陣を張っていた。
焚火は低く、炎は必要以上に高く上げない。
光は、盗賊を呼ぶからだ。
「星を見ろ」
古参の隊商員が、若い旅人に声をかけていた。
リリエルもそっと近づく。
「北天に並ぶ三つ星。あれが“砂導き”。あれを基準に進路を修正する」
男は指で空をなぞる。
「砂嵐の後は地形が変わる。星だけが、変わらない」
リリエルはすぐに手帳へ書き込む。
“星座航法=地形依存回避型ナビゲーション
航路維持における最終基準”
隣でエルナが、静かに星を見上げていた。
「流れ……今日は安定してる」
小さな声だった。
リリエルは微笑み、頷いた。
――夕食時。
大鍋から、香ばしい匂いが漂っていた。
乾燥肉と香辛料を煮込んだ砂漠料理――“ラシュ鍋”だ。
「塩分を多めにしてある」
料理担当の商人が説明する。
「発汗で失われる分を補うためだ」
リリエルは慎重に一口すする。
そして、数秒静止する。
「……味の設計が合理的です」
「味の設計?」
「塩分、油脂、香辛料。すべてが疲労回復と水分保持に寄与しています」
商人は、ぽかんとする。
護衛の一人が笑う。
「ただの飯をそこまで分析する奴、初めて見た」
「いえ」
リリエルは真剣だった。
「これは極めて高度な生存料理です」
少しだけ、場が和む。
――翌日。
交易交渉の時間が訪れた。
途中合流した小規模商隊との物資交換だ。
価格交渉は、静かな戦いだった。
沈黙。
視線。
わずかな表情変化。
リリエルは後方で観察していたが、やがて隊商長に呼ばれる。
「文化記録官。昨日まとめた市場価格表を出せ」
「はい」
差し出した紙には、都市別の相場変動と輸送リスク係数が整理されていた。
隊商長は目を細める。
「……これを参考に交渉する」
その資料を基に提示された価格は、絶妙な落とし所だった。
交渉は短時間でまとまる。
取引相手が去った後、隊商長がぼそりと呟く。
「役に立つな」
リリエルは軽く礼をした。
――夜営。
全員が輪になり、会議が始まる。
進路確認。
水残量。
盗賊情報共有。
リリエルは、発言を求められた。
「文化記録官、何かあるか」
彼女は少しだけ考え、口を開く。
「昨日の交渉相手ですが、塩取引の比率が異常に高いです」
「それがどうした」
「塩需要が増える理由は、保存食増産か、長距離移動準備です」
場が静まる。
「つまり?」
「近隣交易路の不安定化、または軍事移動の可能性があります」
ザハルが腕を組む。
「根拠は」
「価格変動幅と購入量の同時上昇です」
短い沈黙。
隊商長が頷いた。
「監視対象に追加する」
焚火の火が、ぱちりと弾ける。
――そして、最後に。
水配分の時間が来た。
全員が整列する。
水袋が中央に並べられる。
最初に護衛。
次に運搬係。
その後に商人。
最後に同行者。
厳格な順序だった。
配分役の老人が、静かに言う。
「水は命だ。命は共有する」
一人ずつ、水を受け取る。
リリエルの番が来た。
彼女は、両手で器を受ける。
そして、わずかに頭を下げた。
周囲の何人かが、その所作を見ていた。
老人が小さく笑う。
「作法を覚えたな」
「はい」
リリエルは答える。
「文化は、尊重されてこそ機能しますから」
水を飲み、静かに息を吐く。
そして手帳を開く。
“水配分儀礼=共同体信頼維持装置
資源分配と精神安定の二重機能”
少し離れた場所で、ザハルがそれを見ていた。
護衛の一人が、こそりと聞く。
「どう思う?」
ザハルは、短く答える。
「……無駄な動きが減った」
「褒めてるのか?」
「事実だ」
焚火の光が、静かに揺れる。
リリエルは記録を書き終え、顔を上げた。
砂漠の夜空は、驚くほど澄んでいた。
キャラバンの生活は厳しい。
だが――
そのすべてが、精密に編み上げられた文化だった。
そして彼女は、ようやく理解し始めていた。
自分は、ただの旅人ではない。
文化を記録し、共有する――
この隊商の一員になりつつあるのだと。




