第3アーク 「砂漠交易編」Scene1「黄金の蜃気楼都市」
砂丘を越えた瞬間、世界の色が変わった。
馬車の窓越しに広がるのは、陽炎に揺れる黄金色の大地。その向こう――蜃気楼のように浮かび上がる巨大都市。
「……あれが、キャラヴァーン市」
御者の声に、リリエルは身を乗り出した。
砂海の中央に広がる都市は、まるで宝石箱をひっくり返したようだった。
白砂の城壁。群青や朱色に染められた天幕群。金糸で縁取られた塔屋根が、太陽光を受けて眩しくきらめいている。
都市の中心には、巨大なオアシスがあった。
水面が鏡のように空を映し、周囲には幾層もの市場と宿営地が階段状に広がっている。
リリエル――いや、京子の胸が高鳴る。
(……すごい。文明そのものが、水を中心に回ってる)
城門へ近づくにつれ、街の音と匂いが馬車の中に流れ込んできた。
乾燥肉を焼く香ばしい匂い。
香辛料をすり潰す刺激的な香り。
ラクダや砂獣の体温と革の匂い。
それらが混ざり合い、独特の熱気を生んでいる。
城門前では、無数のキャラバン隊列が行き交っていた。
巨大な荷を積んだ砂獣。
色鮮やかな隊商旗。
民族衣装に身を包んだ商人たちが、互いに声を張り上げている。
「その香辛料は乾燥が甘い! 三割下げろ!」
「冗談じゃない、今年の南砂漠産だぞ!」
激しい値切り交渉が、まるで儀式のように繰り広げられていた。
ザハルが腕を組み、淡々と呟く。
「ここでは値切りは礼儀だ。即決は信用がないと見なされる」
「なるほど……文化的交渉様式ですね」
リリエルは即座に手帳を取り出した。
さらさらと筆が走る。
“交渉=関係構築儀礼。価格は結果であり目的ではない。”
その様子を横で見ていた護衛兵が、小さく苦笑する。
「……到着早々、観光記録か」
「ええ。文化は入口が肝心ですから」
リリエルの視線は、すでに街の細部を追っている。
城門脇には、水を売る屋台が並んでいた。
透明な水を入れた硝子瓶。
金属容器に封じられた氷水。
香草を浮かべた淡緑色の水。
売り子が声を張る。
「東泉水! 清浄証明付き!」
「契約水、二刻保存保証!」
リリエルは小さく息を呑む。
(……水が、完全に商品化されてる)
価格表示には、通貨だけではなく奇妙な印が並んでいた。
ザハルが説明する。
「信用階級印だ。水をどこから仕入れ、誰が保証したかを示している」
「信用……通貨と結びついているんですね」
「ここでは、水を持たない商人は存在しない」
その言葉を聞きながら、リリエルは都市全体を見渡す。
水路が市場を縫うように走り、所々に検査所が設けられている。
水の流れそのものが、都市の経済構造を形作っていた。
(信用が、水という形で可視化されている文明……)
興奮が胸の奥で静かに膨らむ。
そのとき、エルナが馬車の窓に額を寄せた。
「……人、多いね」
「そうですね。交易都市ですから」
エルナは少しだけ首を傾げる。
「……水の匂いが、たくさんする」
リリエルは微笑む。
「それがこの街の心臓なんでしょうね」
城門をくぐる直前、商人たちの会話が耳に入った。
「最近また隊商が消えたらしい」
「ジャッカル連中か?」
「いや……それだけじゃない。航路が狂うんだ」
「……コンパスの不良って噂もある」
リリエルの筆が、ほんの一瞬だけ止まる。
だがすぐに、再び動き出した。
“盗賊被害増加――交易リスク上昇。
航路異常報告あり。要調査。”
城門の影が馬車を包み込む。
次の瞬間、視界が開けた。
市場の喧騒。
水面を反射する光。
幾千もの文化が交差する交易都市。
リリエルの瞳が、静かに輝く。
(……これは)
彼女は胸の奥で呟いた。
(観光地じゃない)
(文明が交渉している都市だ)
馬車がゆっくりと、黄金の蜃気楼の中へ進んでいった。




