Scene11 「街道の夜空」
その日の行程を終えた頃。
街道脇の緩やかな丘に、馬車隊は野営を構えた。
焚火がいくつも灯り、乾いた木が弾ける音が夜気に溶けていく。馬たちは荷を外され、静かに草を食んでいた。
空には、雲ひとつない夜が広がっている。
無数の星が、深い紺の空に散りばめられていた。
リリエルは毛布を肩に掛け、焚火の側に腰を下ろす。
「野営は初めてですか?」
護衛兵の一人が尋ねる。
「ええ。とても興味深いです」
彼女は周囲を見渡した。
旅人たちは自然に役割を分けている。
薪を集める者。
調理を担当する者。
地図を広げ、翌日の進路を話し合う者。
(宿とは違う、流動型共同体……)
帳面を開き、さらさらと書き込む。
その時、御者が空を指差した。
「星を見て進路を取ることもあります」
「星座航法ですか?」
「ええ。街道標識が無い地域では、頼りになります」
リリエルは顔を上げる。
星の並びを、ゆっくりと追う。
御者が説明する。
「あの三つ並んだ星が“旅人の杖”。あれを基準に方角を読む」
護衛兵が笑う。
「街道じゃあまり使わないが、砂漠や草原じゃ命綱だ」
リリエルは頷いた。
「星も……旅のインフラなのですね」
「ずいぶん大きなインフラだな」
「維持費は、かかりませんから」
穏やかな返答だった。
焚火の周りでは、鍋が煮え始めている。
乾燥野菜と保存肉を煮込んだ素朴な料理だった。香草の匂いが、夜風に広がる。
巡礼者の青年が、遠慮がちに声をかけてくる。
「……一緒に、食べませんか?」
「ありがとうございます」
リリエルは柔らかく微笑み、器を受け取る。
湯気の立つスープを一口含み、静かに目を細めた。
「塩分が穏やかで、長距離移動に適していますね」
護衛兵が肩を震わせる。
「やっぱり評価するのか」
「文化的背景も含めて、とても興味深いです」
巡礼者が嬉しそうに笑う。
やがて、誰かが小さく歌い始めた。
素朴な旋律だった。
旅の無事を願う歌。
別れと再会を繰り返す者たちの歌。
声は焚火の明かりに溶け、静かに広がっていく。
リリエルは耳を傾ける。
(歌……情報伝達でもある)
歌詞には、危険な峠の名前や、水場の場所が織り込まれていた。
旅人の記憶が、旋律として受け継がれている。
その時。
少し離れた場所で、エルナが空を見上げていた。
焚火の光が届かない、静かな影の中で。
リリエルは立ち上がり、隣に並ぶ。
「星、好きですか?」
エルナは頷いた。
「……きれい」
しばらく沈黙が続く。
夜風が草を揺らす。
遠くで馬が鼻を鳴らした。
やがて、エルナが小さく呟く。
「流れ……少し乱れてる」
リリエルは空を見上げる。
星は、変わらず静かに輝いている。
「星の並びがですか?」
エルナは首を横に振る。
「ううん……もっと奥」
その言葉は、説明になっていなかった。
だが、どこか確信を含んでいた。
リリエルは静かに帳面を開く。
そして、短く書き込む。
『星観測時、霊脈流感知異常』
ペンを止め、空を見つめる。
星は、変わらず美しい。
だが、旅を続けるほどに――
世界の見え方は、少しずつ変わっていく。
焚火の歌が、再び聞こえてくる。
人々は笑い、語り、明日の道を思い描く。
リリエルは毛布を整えながら、穏やかに呟いた。
旅とは、移動だけではない。
同じ空を見上げ、
同じ火を囲み、
同じ歌を覚えていくこと。
その積み重ねが――
文化になるのだと、彼女は思った。
夜空は静かに広がり続けていた。
そしてその奥で、誰にも見えない流れが、ほんのわずかに揺れていた。




