Scene8 「馬車性能評価騒動」
風門関を越えてしばらく。
街道は徐々に姿を変えていった。
王都近郊の舗装された石道は消え、地面は土と砕石が混じった自然路へと変わる。ところどころに轍が刻まれ、雨水の流れた跡が波のように残っていた。
馬車が坂を下り始めた瞬間――
大きく揺れた。
ごとん。
続いて、左右へぐらりと傾く。
護衛兵の一人が、慣れた動作で手綱横の支柱を掴む。
「この区間は揺れます。しっかり――」
「横振動が強いですね」
静かな声が、揺れの合間に挟まった。
護衛兵は一瞬、言葉を止める。
「……はい?」
リリエルは座席に手を添え、揺れの周期を確かめるように小さく体を動かしていた。
真剣そのものの表情だった。
「縦揺れは吸収されていますが、横方向の制御が弱いです」
ごとん。
馬車が再び跳ねる。
エルナが隣で楽しそうに揺れている。
「風みたい」
「そうですね」
リリエルは頷きながら続けた。
「ただし、長距離移動では疲労蓄積率が上がりそうです」
護衛兵が思わず振り返る。
「そこ気にする!?」
「はい」
即答だった。
彼女は鞄から小さな帳面を取り出し、さらさらと書き込み始める。
「悪路耐性……中程度。
横揺れ周期……やや不規則。
座席クッション……初期印象より性能低下」
「評価されてる……」
別の護衛兵が小声で呟く。
馬車が岩を踏み越え、再び大きく傾いた。
エルナがくすりと笑う。
「落ちそう」
「その場合、安全性評価は減点ですね」
「減点するの!?」
護衛兵の声が、思わず裏返る。
リリエルは首を傾げた。
「移動手段は旅の満足度に直結しますから」
「満足度……」
「ええ」
彼女は淡々と続ける。
「揺れが激しいと景色観察が難しくなりますし、食後の移動にも影響します」
護衛兵たちが、互いに顔を見合わせる。
御者が前方から吹き出した。
「嬢ちゃん、馬車を宿みたいに評価してるな」
「宿と同じです」
リリエルは自然に答える。
「旅人が長時間滞在する空間ですから」
その言葉に、護衛兵の一人が苦笑する。
「……そう言われると、妙に納得してしまう」
馬車はさらに悪路へ入った。
今度は連続した揺れが襲う。
ごと、ごと、ごとん。
リリエルは揺れの合間を計るように座り直し、真剣に考え込んだ。
「もし荷重配分を後方に三割ほど移せば、横揺れは軽減できそうです」
御者が振り向く。
「本気で言ってる?」
「はい」
「……試してみるか」
御者が荷箱の位置を少しだけ調整する。馬車が再び動き出す。
しばらく走り――
揺れが、わずかに穏やかになった。
護衛兵が目を瞬かせる。
「……あれ?」
「改善しました」
リリエルは頷き、帳面に追記する。
「積載バランスによる揺れ制御、効果確認」
御者が感心したように笑う。
「旅人というより、運行管理だな」
「観光は、移動設計でもあります」
あまりにも自然な答えだった。
護衛兵たちは小さく息を吐き、肩の力を抜く。
検問の緊張が、ようやく解けたようだった。
その時、エルナが窓の外を見つめて呟く。
「……灯」
リリエルが視線を向ける。
街道脇の霊脈灯が、遠くに見えた。
一瞬だけ――
光が揺れる。
すぐに元へ戻る。
ほんの、瞬きほどの異変だった。
リリエルは帳面を閉じ、静かに目を細める。
(また……)
馬車は、揺れを抱えながら街道を進んでいく。
旅は常に、不安定さと共にある。
けれど、その揺れの中で――
人は少しずつ、進み方を学んでいくのだった。




