Scene7 「街道検問」
翌朝。
三叉の鶴亭を出た馬車は、緩やかな上り坂を進んでいた。
朝霧が薄く流れ、遠くの稜線に石造りの門が見えてくる。
門は自然地形を利用するように築かれていた。両側を切り立った岩壁が囲み、中央に巨大な鉄柵と石門が据えられている。
門上には風を象った紋章が掲げられていた。
「風門関です」
御者が振り返らずに告げる。
「ここから先は街道監察区域に入ります」
護衛兵たちの表情が、わずかに引き締まった。
関所の前では、複数の馬車列が順番を待っている。巡礼者、交易商隊、傭兵団――旅の形は様々だが、全員が検問を受けていた。
門の両側には、霊脈灯が設置されている。
だが街道灯とは異なり、その光は鋭く、均質で、まるで監視の目のように整っていた。
馬車が停止する。
「通行証を」
淡々とした声がかかる。
現れたのは、紺色の制服に銀の徽章を付けた青年だった。
年齢は二十代後半ほど。無駄のない姿勢と、感情の揺れをほとんど見せない視線。
監察局巡回官――エルド。
護衛兵が書類を差し出す。
「追放処分対象者一名、同行者一名。辺境調査任務扱いです」
エルドは書類を受け取り、流れるように確認していく。
指先の動きは正確で、過不足がない。
やがて彼の視線が、馬車の中へ向けられた。
「リリエル・フォン・アルシェンド殿」
「はい」
リリエルは穏やかに応じる。
エルドは一瞬だけ沈黙し、続けた。
「荷物検査と霊脈機器確認を行います」
「どうぞ」
彼女はすぐに頷く。
護衛兵が荷箱を降ろし始める。検査官たちが手際よく封を確認し、魔道具を一つずつ測定器に通していく。
金属製の円盤が淡く光り、霊脈反応を読み取っているようだった。
その様子を、リリエルは興味深そうに観察する。
(測定器の校正精度……かなり高い)
彼女は、無意識に視線を追っていた。
その視線に気付いたのか、エルドが静かに口を開く。
「何か問題でも」
「いえ」
リリエルは微笑む。
「精密な装置だと思いまして」
エルドはわずかに眉を動かす。
「観察癖ですか」
「職業病のようなものです」
「……現在の職業は」
「観光研究者です」
その言葉に、周囲の空気がほんのわずかに変わった。
護衛兵が視線を逸らし、別の検査官が帳簿をめくる音だけが残る。
エルドは、書類から目を離さず言った。
「観光研究」
抑揚のない声だった。
「社会秩序を乱す思想です」
護衛兵の一人が、息を詰める。
だがリリエルは、驚いた様子も見せなかった。
「そう思われる理由を伺っても?」
穏やかな問いだった。
挑発ではない。ただの確認。
エルドは淡々と答える。
「観光は、人を移動させます」
「はい」
「移動は文化を混合させます」
「ええ」
「文化の混合は、秩序の均質性を崩します」
論理は簡潔で、隙がなかった。
リリエルは一瞬考え――静かに頷く。
「確かに、変化は起こります」
エルドが初めて彼女を見る。
真正面から。
彼女は続けた。
「ですが、旅人は秩序を壊すだけではありません」
「……」
「文化同士を理解させる役割もあります」
エルドの表情は変わらない。
だが視線だけが、わずかに鋭くなる。
リリエルは、少しだけ困ったように微笑んだ。
「例えば宿の掲示板では、危険地域の情報が共有されています」
「……」
「交易路では、水不足地域の対策が伝播しています」
彼女は続ける。
「旅人は、混乱も運びますが――同時に、知恵も運びます」
沈黙が落ちた。
風門関の上で、風旗が揺れる音がする。
やがてエルドは、書類を閉じた。
「理想論です」
「かもしれません」
「理想は管理されなければ、社会を不安定化させます」
リリエルは軽く首を傾げた。
「管理は必要だと思います」
その答えに、エルドの眉がほんの僅かに動いた。
「……ほう」
「ただ」
彼女は柔らかく続ける。
「過度に固定すると、文化は停滞します」
その言葉は穏やかだったが、確かな芯があった。
しばし沈黙。
検査官が声を上げる。
「巡回官。霊脈機器、異常なしです」
「……了解」
エルドは小さく頷き、書類を護衛兵へ返した。
「通行を許可します」
形式的な言葉。
だが、最後にもう一度だけリリエルを見る。
「観光研究者殿」
「はい」
「街道は、自由な場所ではありません」
その声は静かだった。
「秩序の上に成り立っています」
リリエルは微笑んだ。
「旅も同じだと思います」
短い沈黙。
エルドは何も答えず、横へ退いた。
鉄柵がゆっくりと開く。
馬車が再び動き出す。
風門関を通過する瞬間、エルナが小さく呟いた。
「……あの人」
「どうしました?」
「霊脈の音、すごく静かにしてる」
意味を理解できないまま、リリエルは関所を振り返る。
石門の上で、霊脈灯が規則正しく輝いていた。
あまりにも整いすぎた光だった。
馬車は、再び街道へ進む。
自由と管理、その境界線を越えるように。




