Scene4 「地方料理レビュー事件」
夕刻。
三叉の鶴亭の広間は、昼間とはまた違う賑わいを見せていた。
暖炉の火が赤く揺れ、旅人たちは長机を囲んで肩を寄せ合っている。酒の樽が開けられ、陶器の皿が次々と運ばれていた。
リリエルと護衛兵、そしてエルナも、窓際の席に案内されていた。
やがて、女将ミラが大皿を抱えてやって来る。
「今夜のおすすめだよ。長旅向きの定番さ」
卓上に置かれたのは、厚切りの保存肉と、深い陶碗に注がれた淡緑色のスープだった。
湯気とともに、乾燥香草の爽やかな香りが立ち上る。
護衛兵のひとりが頷く。
「街道宿らしい料理ですね」
「雨でも雪でも腐らない。腹にも溜まる。旅人の命綱さ」
ミラは誇らしげに言った。
リリエルは、まず保存肉を観察する。
表面の塩結晶。
乾燥の度合い。
繊維の締まり具合。
ナイフで薄く切り分け、口に運ぶ。
数秒、静寂が訪れた。
そして――
「……塩分保存比率が絶妙ですね」
護衛兵たちの動きが止まった。
スプーンを持ったまま固まる者。
口を半開きにする者。
隣席の商人まで、思わず振り返る。
リリエルは、気付かないまま続ける。
「表面は高濃度ですが、内部は乾燥熟成に寄せています。長期保存と栄養保持の両立設計……見事です」
エルナが静かにスープを飲みながら、ぽつりと言う。
「おいしいよ」
「はい、とても」
リリエルは満足そうに頷き、今度はスープへ意識を向ける。
一口。
薬草の苦味が、後から穏やかな甘味へ変わる。喉を通る頃には、体の芯が温まるような感覚があった。
彼女はすぐに小さな手帳を取り出す。
さらさらとペンを走らせながら、穏やかな声で言った。
「旅人料理は環境適応食……興味深いです」
護衛兵のひとりが、ようやく我に返る。
「え、ええと……料理としての感想は……?」
「非常に合理的です」
即答だった。
ミラが腕を組み、くつくつと笑う。
「合理的、ねぇ」
彼女は隣の椅子に腰を下ろす。
「嬢ちゃん、街道料理はな。味だけで作ってるわけじゃない」
「はい」
「塩は保存と発汗対策。薬草は水質変化の体調不良を抑える。脂は寒暖差への備えだ」
ミラはスープを指差す。
「この草は北湿地のもの。あっちは水が重いからね、旅人は胃をやられやすいんだ」
リリエルのペンが止まる。
ゆっくり顔を上げた。
「つまり――」
言葉を慎重に紡ぐ。
「この料理は、複数地域の環境情報を翻訳している」
ミラは、わずかに目を細めた。
「……面白い言い方をするね」
広間では別の旅人が笑いながら酒を酌み交わしている。誰かが楽器を鳴らし始め、小さな合唱が生まれていた。
その喧騒の中で、リリエルは静かに続ける。
「王都の料理は身分や儀礼を表現します」
保存肉を見つめる。
「ですが旅料理は――生存圏を表現している」
護衛兵のひとりが、小さく感心したように息を吐く。
「なるほど……」
ミラはしばらく黙っていた。
やがて、皿の端を指で軽く叩く。
「街道を歩く連中はな、みんな違う土地から来る」
声は、どこか遠い記憶をなぞるようだった。
「だから同じ料理でも、少しずつ変わるんだよ。湿地帰りの商人は薬草を増やす。砂地帰りは塩を足す。寒冷地帰りは脂を混ぜる」
彼女は微笑む。
「料理は、旅人の履歴書みたいなもんさ」
その言葉に、リリエルの表情がわずかに柔らぐ。
「……素敵な文化です」
エルナがスープを飲み干し、小さく満足そうに息をついた。
「体、あったかくなる」
「霊脈流に身体を合わせる効果もあるのかもしれませんね」
自然に出た言葉に、ミラが眉を上げる。
「霊脈?」
「仮説です」
リリエルは手帳を閉じ、穏やかに微笑んだ。
「街道料理は――環境と文化を翻訳する媒体です」
護衛兵たちは顔を見合わせる。
ひとりが苦笑した。
「……我々は普通に美味しく食べていましたが」
「それが最も正しい利用方法です」
真顔で返され、再び沈黙が落ちる。
だが次の瞬間、ミラが声を上げて笑った。
「いいねぇ。あんたは本当に変わってる」
広間の笑い声が重なる。
暖炉の火が弾けた。
外では、三叉路に夜が降り始めている。
旅人たちはそれぞれの土地の風をまといながら、同じ料理を囲んでいた。
それは、味の共有であり。
環境の共有であり。
そして――文化の交差だった。




