Scene2 「街道という社会」
王都を離れて半日。
街道は、穏やかな丘陵のあいだを縫うように伸びていた。
整然と敷かれた王都の石畳とは違い、ここでは踏み固められた土が道を形作っている。車輪の跡が幾重にも重なり、その上を新しい旅人たちが静かに書き換えていく。
馬車は一定の速度で進み続けていた。
だが、景色は決して単調ではない。
むしろ――流れていた。
最初にすれ違ったのは巡礼者の一団だった。
灰色の外套をまとい、細い杖を手にした男女が、ゆっくりと列を成して歩いている。彼らは歩調を揃え、低く、柔らかな旋律を口ずさんでいた。
祈りの歌らしい。
意味までは聞き取れないが、節の繰り返しがどこか波のように心地よい。
歌声は、馬車が通り過ぎた後もしばらく耳に残った。
リリエルは、そっと窓枠に頬杖をついた。
(巡礼は宗教行為だけじゃない……)
視線は、彼らの足元へ向けられる。
(移動そのものが信仰。道が文化を育てている)
馬車が進むにつれ、街道の密度は増していく。
やがて前方に、ゆったりと進む隊列が見えてきた。
交易商隊だ。
巨大な荷馬が幾頭も連なり、その背には香辛料袋や織物箱が積み上げられている。荷の隙間から、乾燥果実の甘い匂いが風に乗って流れてきた。
商人たちは大声で価格を議論し、帳簿をめくりながら歩いている。
その横を、軽装の若者が走り抜けた。
旅芸人だった。
色鮮やかな衣装をひるがえし、短い笛を吹きながら軽やかに跳ねる。すれ違いざま、彼は商隊の子どもに向かって小さな火花の魔術を見せた。
歓声が上がる。
護衛兵のひとりが、小さく苦笑した。
「街道は騒がしいでしょう」
「いえ」
リリエルは静かに首を振る。
「とても整っています」
「……整っている?」
護衛兵が不思議そうに聞き返す。
リリエルは窓の外を見つめたまま、穏やかに答えた。
「巡礼者は精神文化を運び、商隊は物資文化を運び、芸人は娯楽文化を運ぶ」
少しだけ、言葉を選ぶ間があった。
「街道は――移動路ではありません」
馬車が、小さな祈祷所の前を通過する。
石積みの小屋のような建物で、入口には旅人が立ち寄れる水盤と香炉が設けられていた。通りすがりの旅人が水を指に取り、額へ軽く触れていく。
誰もが立ち止まるわけではない。
だが、誰もが存在を認識している。
リリエルは、その様子をじっと見つめる。
「……社会が流れる場所ですね」
護衛兵は、少しだけ黙った。
やがて、感心したように息を吐く。
「貴族の方から、そのような言葉を聞くとは思いませんでした」
リリエルは微笑むだけで、答えなかった。
その時だった。
隣に座っていたエルナが、ふいに立ち上がる。
小さな手が、窓枠へ伸びる。
「エルナ?」
少女は返事をせず、馬車が減速した隙に地面へ降りた。
護衛兵が慌てて声を上げる。
「おい、危険――」
だがエルナは、すでに街道脇へ歩み寄っていた。
彼女はしゃがみ込み、道端の石へそっと手を触れる。
しばらくの沈黙。
風が、丘の草を揺らす。
巡礼歌の残響が、遠くでかすかに揺れていた。
やがてエルナが、小さく呟く。
「……ここ、歌ってる」
護衛兵たちは顔を見合わせる。
「歌?」
エルナは石に触れたまま、首を傾げる。
「うん……いっぱい通るから……覚えてるみたい」
言葉は曖昧だった。
だが、その声音には確信のような静けさがあった。
リリエルはゆっくりと馬車から降りる。
街道の土を踏みしめると、かすかな振動が足裏を通して伝わってきた。
彼女は石の表面を観察する。
摩耗した跡。
荷車の鉄輪が刻んだ細い溝。
そして――ごく薄く刻まれた霊脈補助紋。
(街道そのものが導線……)
思考が静かに組み上がる。
(旅人の往来で流量が変化する……蓄積型記録媒体の役割もある?)
エルナは、ようやく手を離した。
「……あったかい」
その言葉に、リリエルはわずかに目を細める。
「何が?」
「流れ」
少女は、あまり興味がなさそうに空を見上げた。
「でも……ちょっとだけ、変」
その一言は、あまりに自然に落とされた。
護衛兵たちは気づかない。
だがリリエルだけが、わずかに息を止める。
「変?」
「……うん」
エルナは、それ以上説明しなかった。
再び馬車へ戻り、座席に腰を下ろす。
まるで、もう関心を失ったかのようだった。
馬車が再び動き出す。
街道は相変わらず賑やかだった。
商隊の呼び声。
旅芸人の笛。
巡礼歌の余韻。
それらすべてが混ざり合い、流れていく。
リリエルは窓の外を見ながら、静かに考える。
(街道は……文明の血流)
その流れの奥で、わずかな乱れが生まれている。
まだ誰も気づかないほどの、微細な違和感。
彼女は胸の奥で、小さく呟いた。
(記録しておこう)
街道は続いていた。
旅人たちを乗せ、文化を運びながら。




