第2アーク 「街道文化と旅の基礎」Scene1 「王都門の外」
王都アルシェンドの南門は、城壁そのものがひとつの儀式装置のようだった。
白亜の石壁は天を裂くようにそびえ、その中央に据えられた巨大門扉には、幾重もの魔導紋様が刻み込まれている。幾何学的に連なる紋は、淡く蒼白い光を帯び、ゆっくりと脈動していた。
それは単なる防衛装置ではない。
王都全域を覆う霊脈結界の出入口――
都市文明の境界線だった。
追放者を乗せた馬車は、その門へと近づいていく。
車輪が石畳を転がる音は規則正しく、どこか機械的ですらあった。
護衛兵たちは無言だった。
緊張が、鎧の隙間から漏れているように感じられる。
リリエル・フォン・アルシェンド――かつてそう呼ばれていた少女は、静かに窓の外を見つめていた。
門の上部で、魔導紋様がゆっくりと回転する。
やがて結界が開く。
光が波のように揺れ、馬車を包み込んだ。
その瞬間――
空気が、変わった。
それは視覚でも聴覚でもない。
皮膚の奥に触れるような感覚だった。
王都の内側に満ちていた霊力は、精密に整列した流体のようだった。均一で、無駄がなく、どこまでも管理された秩序の流れ。
だが門を越えた途端、その流れがほどける。
風に溶けるように、自然の呼吸へと戻っていく。
リリエルは、わずかに目を細めた。
(都市霊脈は完全制御型……)
胸の内で、思考が滑らかに組み上がる。
(街道は自然同期型……流量は安定しないけれど、回復力が高い)
無意識に、指先が膝の上で動く。
メモ帳があれば、今すぐ書き留めていただろう。
対面に座る護衛兵が、不思議そうに彼女を見た。
「……何か問題でも?」
「いえ。むしろ興味深いだけです」
穏やかに答えながら、リリエルは座席の端を軽く押した。
そして、そっと体重を移動させる。
馬車が小さく揺れる。
さらにもう一度、揺らす。
護衛兵が眉をひそめた。
「……どうされました?」
「座席構造を確認しておりました」
「……はい?」
リリエルは真面目な表情のまま続ける。
「クッション性は中級ですね。振動吸収材は藁主体ですが、層構造が丁寧です。長距離移動には悪くありません」
護衛兵は数秒、言葉を失った。
別の護衛兵が、小さく咳払いをする。
馬車の外では、御者が何事もない顔で手綱を操っていた。
リリエルは窓の外へ視線を戻す。
石畳はすでに終わり、道は素朴な土の街道へ変わっていた。
街道の両脇には、等間隔で霊脈灯が立っている。
細い石柱の頂部に、水晶のような灯具が据えられ、柔らかな白光を放っていた。
都市の灯りほど明るくはない。
だが、どこか温度を感じる光だった。
その一つが――
ほんのわずかに揺らいだ。
瞬きほどの時間。
光量が、すっと弱まり、すぐに元へ戻る。
御者も護衛兵も、特に反応を示さない。
見慣れた現象なのかもしれない。
だがリリエルは、その灯をじっと見つめていた。
(今のは……)
脳内で観測結果が整理される。
(流量低下ではない。同期周期の微細なズレ……?)
指先が、無意識に空中で文字を描く。
記録帳がないことに、ほんの少しだけ不満を覚えた。
街道の先には、なだらかな丘陵が広がっている。
遠くには小さな隊商の影が見え、巡礼者らしき人影がゆっくりと歩いていた。
都市の整然さとは異なる、柔らかな雑多さ。
リリエルは、深く息を吸い込む。
土の匂い。
草の湿り気。
遠くの焚火の煙。
それらが混ざり合った空気が、胸いっぱいに広がる。
王都では感じたことのない、生きた匂いだった。
護衛兵が、不意に口を開く。
「……怖くはないのですか」
「何がでしょう?」
「王都を離れることです」
リリエルは少しだけ考えた。
そして、静かに首を横に振る。
「いいえ」
窓の外で、街道がゆるやかに続いている。
その先には、まだ見ぬ土地と文化がある。
彼女は、淡く微笑んだ。
「むしろ――」
言葉を続けようとして、ふと霊脈灯を見上げる。
光は、何事もなかったかのように安定していた。
リリエルは、小さく息を吐く。
「……楽しみです」
馬車は、ゆっくりと王都の影から離れていった。
街道は、まだ始まったばかりだった。




