中二の私が書いたロマンス小説に転生しました(死にたい)
状況を整理しよう。
昨日、わたしは上司に怒鳴られた。
理不尽だと思いながらも言い返す余力はなく、ひたすら「申し訳ありません」と頭を下げ、気がつけば終電ひとつ手前まで残業していた。それでも仕事は終わらず、自宅に戻ったのは日付が変わったあとだったと思う。外は冷えていて、古い階段には湿り気が残っていた。鍵を探しながら、一段、二段──そこで、足を踏み外した。
すっ転んだ、という表現がいちばん近い。手すりを掴み損ね、視界が一気に傾いて、ああこれはやったな、と思ったところまでは、はっきり覚えている。
……で。
目を開けたら、知らない天井だった。ひび割れも染みもない、やたら高くて、やたら豪華な天井。お金かかってます、って顔をしている。
「……何これ」
瞬きをしても消えない。というか、天井からシャンデリアがぶら下がっている。人生で一度も自宅にこんなものがあった試しはない。
「お嬢様? お目覚めでございますか」
声の方を見ると、扉の前にメイドさんが立っていた。完成度の高い、いかにもなメイドさんだ。
あ、これ見たことある。というか、何度も見た。転生ものの第一話で百回見たやつだ。中学生のころ、時間を忘れて読み漁ってた、あの手のやつ。
「どうなさいましたか? まだ夢見心地でいらっしゃるのですか?」
出た。セリフも百回聞いたやつだ。どうにか言葉を探していると、彼女はわたしの沈黙をどう解釈したのか、ぱっと表情を変えた。
「まさかどこか具合が……? それとも、記憶が……?」
やめて。その先、わたし知ってる。
「お嬢様、ご自分のお顔をご覧になりますか?」
ほら来たーーー!!
彼女はどこからともなく、すっと手鏡を取り出した。縁に宝石っぽいものまで嵌め込まれている、明らかに装飾過多の銀の手鏡だった。
「い、いいです……」
「遠慮なさらず」
遠慮じゃない。心の準備ができてないだけだ。けれど逃げ場はどこにもなく、ついにわたしは覚悟を決めて鏡を覗き込んだ。
「………………」
……あ。待って。
待って待って待って。
この顔、知ってる。しかも記憶の奥底に封印したはずの、触れたら最後、精神に深手を負う種類のやつ。
月の光を編んだような金糸の髪、タンザナイトのように澄んだ紫の瞳、印象的な大きな目を縁取る長いまつ毛……なんてノートに書いていた覚えがある。中学生のころ、無地のノートにシャーペンで、本文よりも気合を入れて人物設定を書き殴っていた、あのページに。
……だめ、思い出すな、思い出すな、思い出すな。頭の中で必死に蓋を押さえつける。これはただの夢。疲労と打撲と社畜生活が生み出した、悪趣味な幻覚。設定資料集みたいな黒歴史ノートなんて、この世界には存在しない。存在してたまるか。
「本当にどうされたんですか、エリスファルメリア様!」
「………!!」
わたしは反射的に頭を抱えた。脳内で封印していた記憶が一斉に雪崩を打つ。妙に凝った世界設定、過剰な美形男性陣、そして──やけにファンシーで長いヒロインの名前。
「いやあああああああ!!」
完全な悲鳴だった。理性も体裁も全部すっ飛ばした、魂からの拒絶だ。
そのときだった。
ばたん、と勢いよく扉が開く音。
「何事だ!」
「今の声は……!」
「大丈夫ですか!」
悲鳴を上げたわたしの視界を遮るように、数人が一斉に部屋へなだれ込んできた。
まず目に入ったのは、背の高い青年。銀色の髪、彫刻みたいに整った顔、無駄に長いまつ毛、冷たい色の瞳。……知ってる。この人、知ってる。というか、書いた。
「エリス。どうした、そんな声を出して」
あっ、やめて。愛称呼び捨てはだめ。中学生のわたしが「距離感近いの尊い」とか言いながら設定したやつだ。
「……エリス? 俺だ、忘れたのか」
忘れたい。
とても切実に。
「ちょっと、そんなに詰め寄るなよ」
長い金髪の男が軽い調子で割って入る。親しみやすい笑顔に、軽薄そうな声。……はい来た。女好き風、実は一途枠。
「目を覚ましたばかりなんだ。エリスちゃん、びっくりしたんだよね?」
ちゃん付け。やめて、そういう差別化。
さらにもう一人、背の低い少年が控えめに手を挙げた。
「あの……無理にお話しなさらない方が……その、また後ででも……」
守護欲刺激系年下、フルコースだ。わたしは天井を見上げた。
思い出したくなかった。封印したはずだった。中学生の頃、勢いと妄想とテンプレだけで書き殴った、あのロマンス小説。ノート二冊目くらいで飽きて、多分実家の物置とかにあるやつ。
地獄だ。間違いなく、ここは地獄の第一層。そして今は、男キャラ初登場イベントという名の処刑タイムである。
◆
「外の空気を浴びた方がいい」だとかなんとか言われて、気づけばわたしは半ば流されるように裏口へ連れて行かれていた。
展開が雑。いや雑というより、書きたい場面を優先しすぎて因果関係が死んでる。絶対「庭園デートしたい」→「気分転換で外へ」はい完成、ってやったでしょ。
そして扉が開いた瞬間、視界いっぱいに広がりすぎなくらいの豪華な庭が広がった。刈り込まれた生垣と噴水、遠くには白い東屋まで見える。貴族の庭園、のテンプレを全力で詰め込んだやつ。
「…………」
言葉を失う間もなく、隣にいた銀髪が当たり前のようにわたしの手を取った。あっ、これ、“触れた瞬間に安心する”ってだけの内容を地の文で三行使って説明してたやつ。思い出しちゃった、普通に最悪。
「……風が、お前の髪に触れているな。俺以外に、そんなことを許すな」
銀髪は痛いセリフを連発していたけれど、ここまでくるとむしろ冷静になってくる。そして段々と、脳裏に沈めていた設定も浮かび上がってきた。
この銀髪はただの銀髪じゃなくて、王子だ。確か名前は──ルシファード・ヴァルティエール・ゼノス。すごく舌がもつれる。
銀色の髪、冷たい色の瞳、近寄りがたい雰囲気。誰にでも公平、ではない。ヒロインにだけ、特別に優しい。
……いや、訂正しよう。ヒロイン「以外」には、露骨に冷たい。
〈周囲の令嬢に言い寄られることが多いがエリスにしか微笑まない〉
〈近づいてくる女性は冷たい視線ひとつで黙らせる〉
やめて。お願いだからやめて、過去のわたし。
今なら分かる。それ、ロマンでもなんでもないよ。ただの感じ悪い人だ。
……周りにいたら最悪のタイプじゃない? 「彼、あなたにだけ優しいよね〜」とか言われて、周囲から妙な空気を向けられるやつ。みんなに優しい人の方が、百倍いい。
しかも王子。立場があって、権力があって、影響力がある。社会性をどこに置いてきたんだろう。
わたしはそっと視線を逸らした。銀髪の王子は、こちらを案じるような目で見ている。
「……まだ体調がすぐれないのか。わかった、歩くな。俺が運ぶ」
ヒロイン仕様の声色に胸がときめくどころか、胃がきりきり痛む。お願いだから、全員にその優しさを配って欲しい。
庭園から戻るとまず目に飛び込んできたのは、白いクロスがきっちり張られたテーブルと、マカロンやケーキの並んだティーセットだった。
「エリスちゃん、こっちだよ」
当然のように椅子を引かれ、当然のように座らされる。そして当然のように、目の前に座っている男がいた。余裕たっぷりの微笑みで、さっきからやたら距離が近い。
「ほら、好きなだけ食べて。君は昔から、甘いものを食べると元気になるから」
……名前は確か、ラファエル・アルテミオン。伯爵家の令息、社交界の華、女好き風一途男。中学生のわたしが一時期いちばん好きだった属性。
〈普段は他の令嬢たちにも優しくて、冗談も言えて社交的〉
〈でも本当に大切なのはエリスだけ〉
今のわたしは、冷静にこの男を見ている。だってまず前提として、女好き風って何?
本当に一途ならそもそも風を装う必要がない。それに周囲の女性に愛想よく振る舞っておいて、「本命は君だけだよ」みたいな顔をするの、彼女たちの心労を一切考えていない。
王子は王子で問題だけど、この人はこの人で別方向の厄介さがある。……中学生のわたしは、どうしてこれを包容力と余裕がある大人の男性だと思ったんだろう。これはただの、責任を取らない社交性だ。
わたしは反射的に愛想笑いをした。意味はない。感情も乗ってない。ただ場を壊さないための、口角を少しだけ上げるやつ。
……なのに、女好き風一途男は固まった。ほんの一瞬時間が止まったみたいに動かなくなって、それからわかりやすく頬が赤くなる。
あ。
あー。
はいはいはいはい。
この人、今、わたしに惚れた。
そうだよね、この世界ではヒロインが微笑みかけるだけで恋に落ちる。中学生のわたしは、たぶんこう思っていた。
だって、どんな内面なら好きになってもらえるかなんて、よくわかんないし。笑っただけでイケメンに好意を持たれるなら、楽だし最高じゃん。
その気持ちはわからなくもない。わからなくもないけど、ルッキズムすぎる。顔と雰囲気だけで好意が成立するの、だいぶ危険思想だと思う。
昼下がりになると、何故かわたしは図書館にいた。理由は覚えている。覚えているけど、納得はしていない。
「静かな場所の方が落ち着かれるかと」「学問に親しむあなたのお姿も素敵ですし」そんな感じのことを誰かが言って、誰かが勝手に話を進めて、気づいたらここだった。
「……その本、難しくないですか?」
すぐ隣には、あの守護欲刺激系年下がいる。正式名称、フィリアス・ノヴァ。宰相の息子で、まだ少年の域を完全には抜けきらない、少し細身の体格。姿勢がよくて、声が控えめで、気配がやたらと遠慮深い。
「でもあなたが読むなら……きっと意味があるんですよね」
わたしは手元の分厚い本から顔を上げた。内容? まったく頭に入っていない。だってこれは、ヒロインが知的に見える用の小道具だから。
……というか、男の中でいちばんまともなの、どう考えてもこの子じゃない? わたしが悲鳴をあげて目覚めたとき、誰よりも先に「無理にお話しなさらない方が」と言った。
いい子。文句なしにいい子だし、普通の世界なら全力で応援したい。でも社会的に許されない。社会人が未成年を「可愛い」「守ってあげたい」などと思った瞬間、それはもうアウトだ。
中学生のわたしは、「年下だけどしっかりしてるの尊い!」「ヒロインを一途に想う健気さがいい!」とか言ってこの枠を配置した。
……分かる。分かるよ。当時の感性としては満点だよ。でも今のわたしは、コンプライアンスという名の冷水を頭からぶっかけられているんだ。
それに油断してはいけない。なぜならこの子は、「将来成長して再登場する枠」だった可能性が極めて高いから。
やめて過去のわたし、成長イベントとか再会とか、「もう子供じゃありません」みたいな台詞とか用意してるんだ。知ってるんだぞ、お前はそういうことをする。
少年は時々、ちらちらと視線を送ってくる。視線、視線、視線。無視しきれなくなったところで、ふと顔を上げてしまって目が合った。
あ、だめだ。認めたくないけど、この子の目すごくきれい。ルッキズムはよくないんだけど、きれいなものをきれいだと思うことまで罪にされたら人類はもう終わりだ。言い訳をしつつ、わたしは内心で頭を抱える。
……そういえば、宝石のような瞳って確実に書いてた。でもなんで瞳を宝石に喩えたがるんだろう。いや、当時のわたしは真剣だった。宝石の名前をわざわざ図鑑で調べて、「サファイアじゃありきたりだから」「アクアマリンはちょっと弱い」みたいな、今思えば何様だという基準で選別していた。
最終的に、パライバトルマリン。響きがかっこいい。希少価値が高い。青と緑のあいだの、説明しづらい色合い。はい決定。
しかもそれを、作中で三行くらい使って丁寧に説明していたはずだ。光の加減で色が変わるだの、見る者の心を惑わすだの、そんな感じのやつを。
思い出すな。
お願いだから、これ以上は思い出させないで。
なのにフィリアスはまた不安そうにこちらを見る。そのパライバトルマリン(仮)が遠慮がちに揺れる。
中学生のわたし、表現にこだわるのはいい。でもせめて、ブレーキという概念を学んでからにしてほしかった。
◆
一日でどっと疲れた。肉体的にはたいして何もしていないはずなのに、精神の消耗が尋常じゃない。テンプレの見本市みたいな男たちに囲まれて、痛いセリフを浴びるたびに「これ書いたのわたし!!」と内側から殴られる感覚を味わい続けた結果だ。
もういい。正直、モラハラ上司が恋しい。
少なくともあの人は突然手を取ってきたりしないし、「君は特別だ」みたいな目を向けてきたりもしない。怒鳴られる理由も理不尽ではあったけど、ロジックは一応存在していた。
落ち着かない天蓋付きのベッドで、わたしは投げやりに毛布を引き寄せ頭まで潜り込んだ。
とにかく寝よう。寝たら元に戻ってたりしないかな。
目を開けたら安アパートの天井で、腰が痛くて、スマホの通知が溜まってて、「あー夢か」ってなるやつ。それで次の休みには実家に帰って、あのノートを燃やそう。
そう決意したところで。
きぃ、と小さく、けれど明確な音がした。
毛布の隙間からそっと顔を出すと、案の定、窓が開いている。カーテンが揺れて、月明かりが床に細く差し込んでいる。
その光の中で、誰かが立っていた。
「……そんな顔をして眠るとは、随分と無防備だな」
一言だけなのに無駄に意味深な、妙に余韻が残る声。逆光で輪郭しか見えない。なのに、存在感だけが妙にくっきりしている。
「まあいい、よく眠れ。まだ何も起きない。……今夜は、な」
あ、待って。敵か味方かわからない危険な男枠とかもいるの?
……もうだめだ、この世界。
最後まで読んでくださってありがとうございました。リアクションや評価をいただけるととても嬉しいです♩♩




