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初投稿で至らぬ点もあるかと思いますが、暖かく見守ってくださると嬉しいです。
辺り一面に広がる白い雪の絨毯をぽたりと血が赤く染めた。
まだ微かに雪の降る森を、俺はあてもなく歩き続けた。脇腹は赤く染まり、視界はいつのまにか暗く狭くなっていく。まるで、何トンかの重りをつけたような足を力を振り絞って必死で動かした。
一歩、歩みを進めるだけで走る激痛に俺は歯を食いしばって耐える。
俺の名前はアレン。本当に色々と訳がありすぎるが、逃亡生活中だ。もう何日歩き続けているだろうか。飲まず食わずでひたすら逃げ続けて、服はボロボロ、体もくたくた。
おまけに追手にやられた傷は、未だに治る気配も見せず、今も血が流れ出ている。その血は、まるで俺の居場所までの道標のようで、自傷の笑いが自然と零れ落ちた。
もう、疲れた。
逃げ続けるのも、これから生きて行くのも。
でも、追手に捕まるわけにはいかない。捕まれば、俺は確実に処刑だ。だからといって何かあてや希望があるのかと聞かれれば、無いと答えざるを得ない。
もがけはもがくほど絡みついてくる、真っ暗な絶望の中、足を進めても、誰も俺を助けてはくれない。
―不意に、強い風が吹く。
視界が歪んで、抵抗する力もなく、体はぐらりと倒れた。頬が冷たい雪に触れる。手先から足先まで体は冷たく冷え切り,感覚すらない。それなのに、まるで布団のようなふかふかとした感覚にだんだんと意識を奪われていく。こんな雪の森の中を通る人がいるはずもない。
俺は死ぬのかぁ
頭の中の冷静な部分がそう結論を導き出す。まるで人ごとのようだなと思った途端、自分の今のこの状況にまたもや乾いた笑いがこぼれ落ちた。
俺は死ぬわけにはいかないのだ。俺が死ねばこの国がどうなってしまうかわからない。
でも…父にも嫌われ、母を守ることさえできず、あまつさえ俺の命は狙われている。
俺は、生きているだけで、他人の人生を蝕むのだと、いやというほど思い知らされた。
(俺は…)
何故か流れた一滴の涙は、頬を伝って雪をかすかに溶かした。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
「今日は雪がよく降るなぁ」
枝だけの寒々とした木々に雪が白銀の花を咲かせる。口から出た白い吐息は空を揺蕩い、森に溶けて消えた。
雪は嫌いだ。雪を見ると,何もできなかった昔の自分を思い出すから。できれば雪なんてものは一生見たくないというのが本音だが、年中雪の降るこの国ではこの願いが叶うことはなさそうだ。
「外に出て雪に寝転んで,そのまま寝たら、きっと死ねるだろうなぁ…」
頷いてくれる人も、否定してくれる人もこの家にはいないことぐらい、とっくにわかっている。
それでもふとした瞬間にこぼれ落ちる本音を止めることができないのは,そうでもしなければ、この心の中に真っ黒に渦巻く寂しさと、虚しさと、苦しさと、そして体を内側から削られる激しい痛みに気が狂いそうだったから。
事実,私が死んだって悲しんでくれる人はいないし,そもそも気づく人すらいないだろう。せいぜい,冬眠し損ねた動物の餌にでもなってそれで終わりだ。
私にとって,安らかな死がこの地獄のような生から、解放してくれる唯一の救いなのだ。痛いのはなるべく嫌だが,そもそも私は常に痛みを感じているせいで、そこは痛覚が多少は鈍ってくれていると信じたい。
と,そこまで考えて唐突にお母さんとの約束を思い出す。今でも鮮明に思い出すことができる、お母さんが死んだあの日、私とお母さんは約束したのだ。精一杯生きると。
何度、こんな約束しなければよかったと思ったかわからない。でも、お母さんの唯一の遺言、守らないのは気が引ける。いっそのこと,誰か殺人鬼でもいきなり私の家に押しかけて殺していってくれないだろうか…
「はぁ…」
口から出た重たいため息は窓までたどり着いて,窓を白く曇らせた。家の中にいるはずなのに,窓の近くに座る私の手足は冷たく赤くなって,痛々しさを演出している。
吹雪とまでは行かないがしんしんと積もる雪を見ていると、やっぱり思考は暗い方へマイナス思考へと変わっていってしまう。もういっそのこと、少し頭を冷やそうと、私は雪の中を歩くことにした。
ドアを開けた瞬間に,肌を刺すような冷気と、小さな雪の粒が数粒玄関に入ってくる。
「さんんんむい…」
足を動かそうとするが、体の芯まで一瞬で凍えてしまった私の体は、なかなかいうことを聞いてくれない。
それは、重たい気持ちを切り替えて、やっと一歩踏み出し、いつも通りのなんの変哲もない道を歩いていた時だった。
ふと、視界の端に映ったのは黒い物体。
(あれ、なんだろう⁇)
最初,私は熊かなんかだと思ったのだ。この時期は、たまに、ごくたまにだが,冬眠し損ねたくまが出ることがあるから。
でも、私の予想は見事に外れた。
(…えっ……………人⁉︎…ぇ⁉︎……人が倒れてる!!??)
いやいや、よく考えろ‼︎わたし‼︎
第一、こんな雪の森の中を誰かが通る⁉︎普通に考えて、だーれも通らない‼︎ そもそも、この森で人なんて見たことがない‼︎こんな冬の雪の森を通るなんて、頭がイっちゃってる人ぐらいしかいない‼︎というか、イっちゃっててもたぶんこの森には入らない‼︎…
と、自分のことは置いておいて、常識を頭の中で羅列した後、今見たものはきっと幻覚か、熊かなんかだろう! と言う結論を約0.01秒で出したのちに、目を開いた。
が、やっぱり事実は冷静に現実を突きつけてくる。
おそるおそる雪をふみしめ近づいてみると、青年が倒れているようだった。
「あのぅ、大丈夫ですかぁー⁇」
私の弱気な声は虚しく、冷たく刺すような冷気に吸い込まれていった。
(いやいや、よく考えると絶対、100%大丈夫じゃないよね。よく見るとおなかが赤く染まって……えっ⁉︎血⁉︎……やばいやつじゃんこれ‼︎)
まだ,生きてるかしら⁇そう考えて触れた、この人の手はかろうじて微かな暖かさを感じたような気がした。
(これはもう青の涙を使わないと助けられない。 たとえ、死んでしまっていたとしても,これだけすぐなら、賭けになるけど,行けるはず。)
青の涙は薬草の中で一番貴重な薬草だ。
この森の事を自分の庭のように知り尽くしている(自称)私ですら,青の涙を探すのは至難の業で、過去にこの薬草を巡って戦争が起きたとか起きてないとか。
それは、青の涙で薬を作れば、なんでも治す万能薬を、魔法と一緒に使えば、私なら莫大な魔力と引き換えに死者をも蘇らせることができるからだ。
ちょこちょこと準備をしながらちゃちゃっと傷の確認をして行く。どうせ魔法で治すわけだから,正直、傷の確認は必要ではないのだが,確認をしておくと、どこにどれくらい魔法をかけるべきか把握できるので,治りが早いのだ。
この人の傷は,なかなかひどいものだった。そもそもこの上質な生地を使った服を着ている身なりからして、あまり低くない身分の人のはずなのだが、ところどころ破れて皮膚が覗くボロボロの服に、この寒さの中、防寒具はゼロだ。
その上,脇腹には銃で撃たれた⁇と思われる傷に、全身の擦り傷切り傷、右足は,骨折しているのではなかろうか。
今更ながら,この人悪い人じゃないよね⁇と心配になってくるレベルである。まあ,悪い人なら私を殺してくれるだろうし,結果的にどっちだって問題はないか。
その時、この人の顔に目を向けると、彼の顔に一筋の涙の跡を見つけた。
(この人、泣いていたのかな。まぁ、こんなところで野垂れ死ぬなんて望んでするわけないよね。こんなところで、ひとりで…)
不覚にも、その姿を自分と重ねてしまった。その姿の向こう側に自分がいるような気がした。
苦しくて、寂しくて、でも誰にも助けてもらえなくて。
助けても、助けなくても、結局わたしがもうすぐ死ぬことには変わりない。どーせ死ぬなら苦しみながら逝くよりちゃっちゃと早く死にたい。
人助けをするためなら、私の死期が早まっても、仕方ないだろう。余計に苦しむことになるかもしれないが、わたしは早くこの地獄から解放して欲しいのだ。どっちに転んでも、私には利益しかない。
そう打算しかない理由を適当に決めて、私は青の涙を空間収納から出して手に握る。ずっと昔、まだ母が生きていた頃、2人で奇跡的に見つけたこの花。
「よかった…青の涙をこの中に入れといて…ほんとに助かった…過去の私、ナイス‼︎」
私の手の中にはまるで深海をのぞいているようなほのかに輝く青い青い神秘的な花が握られていた。
「じゃあ、始めるか。」
青の女神を握りながら胸の前で手を組む。
(どうか、この人が治りますように。)
私が強く願うと手の中の花はますます青く輝き、眩しいほどに光を放った。
その瞬間、雪と枯れた木の枝だけだった寒々しい光景は青に包まれる。
まるで海の中にいるような光景。微かに差し込み、揺らぐ柔らかな日の光。オーロラのようだ。と思った。
全身が、青に包まれ、満たされる。
しかしその一方で,私がいつも感じていた痛みは激しさを増していく。視覚は確実に脳に温かな幸せを伝えているのに,痛覚がそれを全て痛みに変えてしまう。
すると,だんだんとこの温かな青色さえも、冷え切り冷酷に私を引き裂くような、そんな感覚。視界の中に黒が滲んで、私は思わず目を閉じた。痛みだけが私の中を支配していく。目を閉じていたって、かじかむ指先と感じる痛みがますますと激しさを増していき、呼吸がうまくできない。
「ヒュッ…カヒュッ…ゴホッゴホッ…」
体に酸素が行かない。あまりにも鋭すぎる痛みに、頭の中がだんだんとぼんやりとしてくる。
私の意識が飛びかけたところで、やっと治療が終わったようだ。
気が付くと、さっき見た光景は夢だったかと思うほど、寒々とした雪の絨毯が広がっていた。
(うーん。今はまだ、大丈夫。動けるはず。動けなくなる前に、とりあえず、うちに帰らないと。
なんとかして,呼吸を整え,力を振り絞って雪の上を歩く。
この人は一緒に連れていっちゃうか。このままにしておいたら、また寒さで死んじゃうもんね。
一度家に帰り、少し薬を飲んでからじゃないとどうやっても男の人を運ぶなんてできなさそうだったので、結局2往復することになった。
青年を肩にかけ、私は雪を踏み締めて慎重に、力を振り絞ってお家へと歩く。
体の痛みはますます激しくなるし、苦しみが増しただけな気がしないわけでもないが、私が初めて人の役に立てたということを、今まで守られてばかりだった命を誰かのために使うことができたということを、この痛みが教えてくれた。
家に着く頃には,私は自分でも気づかないうちにほんのりと笑みを浮かべていた。