第7話
夕張にある炭鉱会社が経営する料亭の一室。
時雨ともう一人の男が京子を待っていた。
そこに京子が現れた。
着座した京子に時雨が男を紹介した。
「こちら、酒井さんです。以前、取材をお願いしたことがありまして。お仕事で苫小牧に来られていたのですが、私が無理を言って夕張に来ていただきました。」
男の歳は50くらいであろうか。
知性と理性を兼ね備えた、物腰の柔らかそうな紳士であった。
「酒井です。日本海軍の士官でした。今は自動車の会社で働いております。」
「青葉京子です。本日はお越しいただきありがとうございます。」
「ところで、京子さん、”九軍神” をご存じですか。」
酒井は妙なことを尋ねてきた。
そして、そこにある ”九” の一文字。
「はい、存じあげております。新聞でも読みましたし、高等女学校の先生がことあるごとに話しておりました。たしか、ハワイの真珠湾攻撃の時に戦死した9人の海軍軍人さんのことだったと記憶しておりますが。」
訝しがる京子に、酒井は驚くべきことを告げた。
「私もあなたと同じ10人目です。死ねなかった、生きてしまった10人目です。」
「!」
驚く京子に酒井は話しを続けた。
「時雨さんからお話を伺って、何としてもあなたに会わなければならないと思いました。少し私のことを話してもよろしいでしょうか。」
「あれは、昭和16年12月8日のことでした。私は日本海軍の潜水艦の中で出撃の時を待っていました…」
真夜中のハワイ沖、そこには数隻の日本海軍の潜水艦が待機していた。
大型潜水艦には二人乗りの小型潜水艦である「特殊潜航艇」が搭載されており、酒井はそれの乗員であった。
この「特殊潜航艇」には、魚雷が2本装備されており、小型であるが故、隠密行動に適してはいるが、非常に操縦の難しい代物であった。
「日の出ともに味方の航空部隊が真珠湾にいるアメリカの艦隊を攻撃する。5隻の特殊潜航艇は夜中のうちに真珠湾へ潜入し、航空部隊に呼応して敵艦へ魚雷攻撃を行う。攻撃後、味方潜水艦は沖合にて特殊潜航艇を収容することとする。」
潜水艦長の指示を酒井少尉ともう一人の乗員である稲田兵曹は、真剣な眼差しをもって聞いていた。
そこへ整備を担当していた乗組員から報告があった。
「特殊潜航艇のジャイロコンパスが故障しております。」
それを聞いて、酒井は潜水艦長へ進言した。
「磁気コンパスで出撃します!」
「酒井、無茶を言うな。あんなもの、ほとんど使い物にならないぞ。」
せっかく出撃するのだから、万全の体制で出撃させてやりたいと潜水艦長は考えていた。
その時、稲田兵曹が叫んだ。
「我々が引き返しては、ほかに出撃する4隻、8名の仲間に申し訳が立ちません。これまで、ともに訓練を積んできました。生きるも死ぬも、5隻、10名は常に一緒であります!」
酒井も同じ思いであった。
迷った潜水艦長であったが、二人の熱意に押される形で出撃を許可した。
二人が乗り込んだ特殊潜航艇は、母艦である大型潜水艦から切り離された。
酒井と稲田は無謀とも思える出撃を敢行したのだった。
決死の覚悟をもって…
「でもね、死をも恐れないという無謀な勇気が、冷静な判断力を失わせてしまった。このことについては、稲田君には本当に申し訳なかったと、今でも思っております。」
淡々と話す酒井であったが、部下の稲田のことを思うと込み上げるものがあったのだろう。
しばらくの沈黙の後、再び酒井は話し始めた。
「ホノルルの明かりが見える。しかし、真珠湾の入り口がよく分からない…」
潜望鏡をのぞく酒井がつぶやいたその時、大きな衝撃が走った。
ガリガリガリ!!
「しまった、座礁した!」
そう叫ぶ酒井へ稲田が艇内の異変を知らせてきた。
不安に満ちた声で。
「酒井少尉、機関室から異臭がします…」
酒井と稲田の乗る特殊潜航艇は、ジャイロコンパスを使えないがために、真珠湾への潜入に失敗するばかりか、遂には座礁してしまった。
しかも、この時の衝撃により蓄電池から有毒ガスが発生し始めた。
「稲田、艇を放棄して脱出するぞ!」
その言葉を受けて、稲田兵曹は笑顔で答えた。
「酒井少尉、靖国神社で会いましょう!」
自爆装置に点火した後、酒井と稲田は海に飛び込んだ。
どれだけの時間が経っただろうか、酒井は目を覚ました。
そして、銃を持った米兵に取り囲まれていることに気づいた。
基地へ連行された酒井に米軍将校が告げた。
付近で稲田兵曹の溺死体が発見されたこと、他の4隻の特殊潜航艇も米軍によって沈められたか、もしくは乗員もろとも自爆したことを。
「自分ひとりだけが生き残ってしまった。しかも、捕虜になってまで。」
傍受した米軍の無線や中立国からの情報により、10名の乗組員のうち9名が戦死し、1名が捕虜となったことが日本軍内部にも知れ渡ってしまった。
対米英戦争における捕虜第1号、それが酒井につけられた日本史に永遠に刻まれるであろう商標だった。
戦死した9名は ”九軍神” として盛大な国葬が行われ、国威発揚のため教育現場でも大いに喧伝されたた。
新聞記事には9名が出撃したと記されるとともに、出撃前に撮影された写真は修整され、死んだ9名の姿しか写っていなかった。
捕虜となった酒井のことは一切報道されず、存在そのものが抹殺されたのだ。
最初からこの世に存在しなかったかのように。
しかし、人の口に戸は立てられない。
国民にもこのことは知れ渡り、戦死者の実家は ”軍神の家” と崇められ、それとは対照的に、酒井の実家は ”非国民の家” と石を投げられ村八分にされた。
京子は息をのんだ。
自分と全く同じだ、全く同じ人生を歩んできた人間がほかにもいたなんて。
「それから酒井さんはどうされたんですか。自決しようとしたんですか。」
「もちろん、自決を考えましたよ。でも、米兵は自決させまいと、取り調べの時以外は毛布で私をぐるぐる巻きにしたんですよ。勢いに乗り遅れたとでもいいましょうか、時間が経つ中で、考える中で、自分の中で何かが変わっていったんです。」
”勢いに乗り遅れた”
そう、京子も酒井もただ ”勢いに乗り遅れた” だけなのかもしれない。
乗り遅れなければ、何の疑問もなく死を選んでいただろう。
そして、その ”勢い” とは何だったのか、誰が作り出したのか。
「戦争が続く中で、次々と日本兵捕虜が収容所へ送られてきました。私は彼らの世話役をかって出たんです。」
送られてくる捕虜には様々な者がいた。
未だ戦う意志を失っていない者、自殺願望を持つ者、世捨て人のようになってしまった者。
「捕虜なんて屈辱には耐えられない。決起するんだ。」
「武器はどうするんだ。」
「木の棒でも、フォークでも何でもいい。」
「一人でも多くの敵を道連れにして死ぬだけだ。」
米国の収容所には食料が豊富にある。
日常生活が快適であればあるほど、捕虜たち自身のこれからや日本の家族のことが心配となり、彼らの胸が締め付けられることを酒井は理解していた。
「この戦争はいつかは終わる。その時に貴様たちのような若い力がどうしても必要になるんだ。みんなよく考えてみろ。我々は死すら恐れなかったではないか。それを思えばどんな屈辱にも耐えられるはずだ。」
しかし、そんな酒井に反発する者もいた。
「勝手なことを言うな、日本に帰れる保証はどこにもないんだぞ!」
「確かにそうだ。例えこれからの人生を異国の地で送ることとなったとしても、貴様たちが生きているというだけで、ただそれだけで喜んでくれる者がいるのではないのか。」
酒井は軽挙妄動を慎むよう皆を諭すとともに、命の大切さを説いた。
根気強く、何度でも。
まるで自分に言い聞かせるように。
捕虜生活を続ける中で、なぜ自分だけが生き残ったのか、生かされた自分は何をすべきなのかを考え続けた。
しかし、いくら考えても答えが出るはずもなく、迷いばかりが増していった。
だが、ある捕虜が言った言葉が酒井を救った。
「酒井さん、あなたは1番です。」
「1番ですか…、確かにそうですよね。」
「いや、第1号という意味ではありません。”ナンバーワン” です。酒井さん、あなたは間違いなく、ナンバーワンです。」