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第9話

 時雨は編集長のデスクの前にいた。


「編集長、こんな内容でやってみようと思います。」


 そう言って、数枚の原稿げんこう用紙を編集長へ手渡した。

 しかし、それを読み進めるにつれ、編集長の表情はけわしいものとなっていった。

 期待していたものとは程遠い内容であったのだろう。

 そして、編集長はそれを机に叩きつけた。


「何だこれは。面白くもなんともねえんだよ。どういう地獄じごく絵図えず阿鼻あび叫喚きょうかんがあったか、裏切り者はどんな人間なのか、読者はそういうことを知りたいんだよ。」


 頭ごなしに否定する編集長に時雨はこうから言い返した。


「死ぬことができなかった者の、生きてしまった者の悩みや苦しみ。もはや戦後は終わった、そんなことはない、それが今も続いていること。そして、逆らうことのできないその場の空気によって、今でもこういうことが起きるんだと、そういうことを書きたいんだ。」


「バカかお前は。新聞っていうのはな、哲学てつがくじゃねえんだよ。かねもうけなんだよ、売れてなんぼなんだよ。」


 編集長の怒りはさらに増大していった。


「インテリが書いて、ヤクザが売って、バカが読む。それが新聞なんだよ。バカな大衆たいしゅうはな、哲学なんて見向きもしねえんだよ!」


「なぜそう言い切れるのですか。誰もが人を思いやる心を持っているはずだ。そして、自分さえ良ければいいという卑怯(ひきょう)な心も。その葛藤(かっとう)に苦しんだ経験は誰しもが持っている。私も、あなたも…」


「…」


 どちらもゆずらず、にらみあったままの二人であったが、時雨はきびすを返して部屋を出て行った。


「打ち合わせに行ってきます。」


 時雨が部屋を出た後、編集長はもう一度、原稿用紙を手に取った。

 そして、それをゆっくりと机の上に置くと、電話の受話器を取りダイヤルを回した。


「もしもし、次長ですか、ちょっといいですか。前に話した例の件ですが、内容を変えます。自信?、ええ、もちろんありますよ。」


 受話器を置く編集長に、女子社員が笑いをこらえながら茶の入った湯呑ゆのみを差し出した。


「まったく、あのバカたれが。」


 その言葉を聞いて女子社員はつぶやいた。


大丈夫だいじょうぶ、あなたもバカだから。」




 道都新聞社ビルを飛び出した時雨は、札幌市内の電報電話局へと向かった。

 磯風ハナエに会うために。 


「札幌市内の高校生が自由研究の題材として、真岡まおか郵便局のことを取り上げるんです。自分たちと同じ年ごろの女の子たちが、どういう運命を辿たどったのかということを。でも、自由研究だから参加する生徒も10人かそこらかもしれません。」


「はあ、そうなんですか。」


 心の中とは裏腹うらはらに、ハナエは無関心をよそおった。


「今度の土曜日に、高校の教室で彼らに向かって話をするんです。京子さんが。」


「!」


 時雨は、一瞬だがハナエの表情が変わるのを見逃さなかった。


「高校にはたのんでおきますので、あなたにも来てもらいたい。」


「何を今さら…」


「いろいろと思うことはあるでしょう。彼女を許すもにくみ続けるもあなたの自由だ。だが、これまで沈黙ちんもくしてきた彼女が何を思い、ここにいたったのか、それをたりにしてから決めて欲しい。」


「…」


「今ここで返事をくれとは言いません。気が向いたら来てください。」


 時雨は、時間と場所をしるした紙をハナエに手渡して去っていった。


 しばらくの間、ハナエは渡された紙をじっと見ていた。


「京子ちゃん…」




 夕張(ゆうばり)駅のホームには、列車に乗り込む京子と見送る行雄の姿があった。


「本当に一緒に行かなくていいのか。」


「一人で大丈夫。」


 京子は、気遣きづかう行雄にしっかりとした口調くちょうで答えた。


 そう、一人でなければ駄目(だめ)なんだ。



「札幌行き準急じゅんきゅう列車夕張号、間もなく発車します。お見送りの方はお下がりください。」


 駅員の声とともに発車ベルが鳴り、京子を乗せた列車は札幌へ向かって走り出した。


 京子は、列車の窓の外に映る風景をぼんやりとながめていた。

 あの日のこと、乙女たちのことを思いながら。




 今日の空気は、なんて気持ちがいいんだろう。

 こんなに気持ちのいい空気は、いつ以来だろう。


 あの時の、あの空気。

 あの重くて、押しつぶされそうな。

 決してあらがうことのできない空気。


 あの空気は誰が作り出したんだろう。


 あの時代、私たちの命は空気よりも軽かったんだ。


 でもね、トミちゃん、今なら言えるよ。


「生きよう…って。」


 ううん、トミちゃんだけじゃない、伊勢いせ班長たちみんなに言えるよ。


「生きるんだ、って。」


「みんなで一緒に生きるんだ、って。」



 京子は涙が浮かぶ目を閉じた。

 彼女のまぶたの裏には、トミ子や伊勢班長たち ”九人の乙女” の姿がはっきりと映っていた。



 私は生きるんだ。


 石を投げられても、後ろ指をさされても、生き抜くんだ。


 みんなのことを伝えるために。




「みなさん、本日は樺太からふとでの戦争体験を語っていただくために、お客様がお越しになっております。拍手はくしゅでおむかえください。」


 校長先生に紹介され、京子は教壇きょうだんにあがった。


 教室には、10人くらいの生徒、校長をはじめとした何人かの先生、時雨がいた。


 そして、ハナエも。


「ありがとう、ハナエちゃん…」

 


 生徒たち、亡くなった電話交換手と同じ年ごろの生徒たちに向かって、京子は話し始めた。



「青葉京子と申します。」


「私が10人目、死ねなかった10人目…」


「そして…」


「生きることを選んだ10人目の乙女です。」




   「完」




 本小説を亡くなられた九人の乙女、そして、生き()いた乙女の方々へ(ささ)げます。



 この度は、本小説をお読みくださり誠にありがとうございます。

 また、感想、批評など頂けましたら、励みにもなり、嬉しい限りです。

 ぜひお寄せください。


 私の祖父が樺太に住んでいたことがあったため、自身も樺太に非常に興味がありました。

 「九人の乙女」、ソ連軍の攻撃を受け自決した電話交換手のことはよく語られていますが、生存者がいるのではないか、彼女はその後の人生をどう歩んだのか、そのような疑問を以前から抱いておりました。

 そして、真珠湾攻撃での「九軍神」、10人目の生きてしまった一人の捕虜。

 これらは偶然なのか、それとも歴史の何かの巡りあわせなのか。


 そして、半世紀以上前に樺太で起こったことが、現代のウクライナで再び起こっている。


 この小説をきっかけに、皆様におかれましては、何かを感じ取っていただけたらと思います。


 上郷かみごう あおい




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