巨脱
泣いていることだけはわかる。
ただ泣くしかできないでいる。
終わった。もう終わったんだ……
身体が動かない。
ここにはもう、あの子はいない……
何か話し声が聞こえるけど、まるで内容を聞き取れない。
ここにはもう、守るものはない……
肩を揺さぶられた。
ここにはもう、いる意味はない……
応えることもできない。
立てない。立ち上がるだけの力がない……
身体を持ち上げられた。
力が入らない。そんな気にもなれない……
どこかへ歩かされた。
それに、抵抗しようという気にもなれない。
涙が止まらない。
肩を借りて歩かされているらしい。
足はいつでも、すぐに止まりそうなのに……涙は止まらない。
メイはすっかり打ちひしがれ、失意の底に沈んでしまった。
「ひとまず地下へお入りくださいナ、傷の手当てと……部屋をお貸ししますゾ」
「申し訳ない」
「そもそも、今回我々は助けてもらった側ですからナ」
心身ともに鬱ぎ込み、立てないでいるメイの腕をマリエが引っぱりあげる。
「やはり、辺りには他に誰もいませんナ……さて、出入り口を開きますゾ」
マリエがメイの腕を取ったまま抱え上げて、肩を貸す格好で地下施設への出入り口へ連れて行った。
座らされた。
また、話し声が聞こえる。
けれど、そこにあの子の声は混じっていない。
これからも、あの子の声を聞けることはない。
つらい。
すべてがそのことを実感させてきて……つらい。かなしいつらい。
「こんな姿……あまり見たくない……」
「まあまあ、今は少し休ませてやりましょうゾ……まずは異界出張組の帰還拠点を再構築して、今回の件に関係していない幹部たちが戻ってくるまでは特にすることもないでしょうからナ」
「異界出張組? 私は他課の予定を知らない」
「これは本来課長級に制限されている情報ですがナ……まあ非常事態で私の口が滑ったということにしておいてくれますかナ。ここ数日で、多くの局員が異界へ出向してますゾ。反乱者たちはそこを狙って決起した、ということでしょうナ」
「ということは、局の人的被害は少ない……?」
「おっと、そういえばメイ課長、先ほど爪で刺されていましたナ……遅効性の毒物が効いている可能性も含めて検査してみますゾ」
周りで声がしているのは分かる。
けれど頭に入らない。考えられない。
「ふム、まだ動けなさそうですナ……案内するので、診察室まで運んであげてくださいナ」
「これは、薬物が効いてるんじゃない……だらしない」
また、身体を持ち上げられた。
肩を借りて、歩かされているらしい。
どこかに寝かされた。なにかを取り付けられた。
涙は止まらない。
「肉体的な異常はなさそうですナ、まずは一安心ですゾ」
「問題ない……なら、貴女は起きなきゃいけない」
「あっ待ってくださいナ、まだ検査針が」
寝転がってるところを、引きずり降ろされた。
「うぐっ……ずっ、ふぐっん……」
「立って、いつまでも泣いているもんじゃない」
立てない。そう言われても、涙が止まらない。
私は……あの子は…………
「まあまあ、まだ時間はたっぷりありますゾ……一日くらいお休みくださいナ。一晩寝れば少しは落ち着くものですゾ」
別の場所へ連れていかれて、さっきより柔らかいところに寝かされた。
眠れない。眠れそうにない。
すぐに涙が溢れてきて、息が詰まる。
身体に力が入らないのに、身体が落ち着かない。
眠れない。眠れるわけない。
あの子が死んでしまったのに、私だけのんきに眠れない。
あの子に二度と逢えないのに、私だけで気楽に眠れない。
あの子に二度と逢えないのに、私だけでここにいても……
「ひぐっ、ん゛っ、ぅ……」
「見た感じ、眠っていない」
「そのようですナ……ちと強めの睡眠導入剤でも入れてみますゾ。よろしいですかナ?」
「メイのた……メ、メイ課長のためになることなら私は反対しない」
腕に何かを刺された。
急に頭がクラクラして、どこか暗い場所に突き落とされたような感じがして……
暗いなかに、サラサラの銀髪を輝かせたあの子の顔が浮かびあがった。
けど彼女はすぐに背を向けて、私から離れていく……!
嫌だ。行かないで。行かないで!
「待って!!」
手を伸ばした先、そこには壁があった。彼女はいない。
「あ……そっが……ふ、ぐずっ……」
そうだ、もう彼女はいない、それが現実……
伸ばした腕が重くなって落ちて、起きていた身体が縮こまって。
俯いた先、膝の傷に涙がしたたる。
「す、数分しか効かなかった……ようですナ……」
「他の手……酒くらいしか思いつかない」
「ううム、酒よりは……いったん別の、鎮静系の睡眠導入剤を試してみましょうかナ。作用機序の違う薬剤ですから、副作用も心配無用ですゾ」
「反対はしない」
腕に何かを刺された。
急に頭がフワフワして、ぬるめのお湯でふやかされたような感じがして……
揺らめきの先に、金色の瞳を輝かせたあの子の顔が浮かびあがった。
けど彼女はすぐにそっぽを向いて、私から離れていく……!
嫌だ。行かないで。行かないで!!
「イヤ! 待ってよ!?」
手を伸ばした先、壁に手をぶつけた。彼女の身体の感触とはほど遠いもの。
とても冷たいもの。
そう、彼女はいない。いないのだ。
また涙が滲んで、流れ落ちて。
「これも、数分しか効かなかったようですナ……」
「……もう酒しかない」
「そういえば、メイ課長は酒が好きだという話でしたナ……ただあいにく私は酒を飲まないので、部下から譲ってもらいますゾ」
「ほら、飲んで……寝るしかない」
何かを口に当てられ、くわえさせられた。
そこから液体が流れ込んでくる。
なんの味もしない液体が流れ込んでくる。次々と。
抵抗もせず、できずに液体を飲みこんでいく。
「……足りていない」
「そんなに飲ませて大丈夫ですかナ?」
「この量では普段と変わりない」
「普段からこの量……それはちと……まあ今はやむを得ませんナ」
もう一度、口に液体を流し込まれた。
なんの味もしない液体を、流し込まれるままに飲みこんでいく。
このまま、この流れに溶けてしまえれば……楽になれるのだろうか。
どうせ、彼女はいないのだ。
外の世界にも、この液の流れの中にも。
それなら、どこへでも……消えてしまったって…………
「ム、意識を失って……寝かせておきますかナ」
「そうするしかない……私がそばに付いておく」