羨暴
この女は、はっきりと自分の手で殺してやる。
他にも、あの子を殺そうとした共謀者が生き残っているかもしれないが……
まず、この女を。自分の手で。
銃なんかじゃ、気が済まない。
自分の手で、身体を、生命を、精神体まで潰してやる。
それでなきゃ……納得できそうにない。
いや……それでも、納得なんかできないかもだけど。
それで勝てなくてもいい。
もし勝てないとしても、闘わなきゃ気が済まない。
「倶に天を戴かず……」
メイは自身の無意識な呟きを無視して数歩進み、エステルとの距離を詰める。
先ほど撃たれた右の腿と、左膝が少し痛む。左膝は痛むだけでなく、普段より力が入らない。
しかしそれらは、足を止める理由になるはずもない。
視界の中央にエステルを捉えて、拳を固く握って……近付いていく。
「そんな強い目で睨まないで? 震えちゃうじゃない」
「勝手にふるえてろ」
局長だけではない、相当数の職員を死なせておいて……まだ軽口を叩くのか。
その飄々とした態度には、もはや嫌悪感しか抱けない。
「震えちゃうほど怖いから、震えちゃって逃げらんないから……ひとつ命を守りましょうか」
メイの視線と関係あるのか否かは分からないし、興味もないが……エステルはどこからか筒状の小物を手にして、先端の蓋を開けて発声する。
「『来たれ芽胞』」
その声に応えるように、筒の先から細い糸状の何かがわき出て、エステルの身体にまとわり付き……
赤いスーツのラメとは異なる、艶のない結晶状の膜がエステルの身体……髪や顔、いや瞳や耳にまで形成され……その身の全てを包みこんでいった。
何か武具となるものを準備した、つまりやる気だということだろう。
まずは様子見……
メイは体勢を崩さない程度に軽く、左手で突いてみる。対してエステルはそれを手で防ぎつつ、下段への回し蹴りを出してきた。
傷口狙いか!? それなら!
メイは右腿への蹴りを避けずに受け止めて右手で抱え込み、エステルが片脚立ちになったところで軸足を払った!
狙い通りにエステルの身体を浮かせ、空いた左手で首を掴み地面に叩きつける!
もちろんそれで終わりではない、手は首を離さずのしかかり、そこを押す力と体重をかける作用点として絞めにかかる……!
しかし、エステルにまるで応えた様子はない。
「ん゛っッ!? つっ……」
それどころか、平然と反撃……肩の傷口へ、指の爪を立てて抉り込んできた!
肩からヒヤリとした痺れ、遅れてジリジリとした痛みが広がり手先と脳へ伝わる……
「なっ……?」
爪に薬物を仕込んであるのか?
メイは左手にかけた力が急に弱まったのを察して、すぐに飛び退きエステルから離れた。
「ほんとイイ声、イイ反応……たまんないわね。けど今は、それじゃいけないの」
「もっと痛そうな叫び、苦しそうな呻きで……折れてもらわないとね!」
体勢が低い、突き上げてくるか? 脚を取る狙いか?
この物言いがブラフでなければ、脚……また右か!?
そう察したメイは一瞬右足を引いて半身の体勢を取り、すぐさま膝を突き上げる! そこへ合わせる拳を振り下ろし、頭を挟み潰そうとした!
今度は、全力で!!
「くっ……?」
相手の頭を潰せた、あるいは首を折れたという感触はまるで得られなかった。それは、衝撃をすべて吸い取られたかのような感触だった。
「ゔぁッッ!?」
それはそうと、エステルはまたメイの傷口に爪を突き入れてきた!
い、痛いッ!?
傷の内側をトゲで隙間なくグリグリ、抉られてるような痛み……さっきのとは別の薬物か!?
「つっ、ぬあ゛ああッ!?」
メイは思わず、脚を掴むエステルの髪に手をかけて引き剥がした。
ブチブチと髪が千切れる音とともに、エステルの掴みが切れた。
髪が抜けた?
先ほど、なにかの膜が頭まで包んでいたはず……どこへ消えたのだ?
メイは疑問に思ったが、それよりも……一息付きたくなって、一旦距離を取った。
「っ……さっきから……いたぶるような攻めばかり、か」
「そりゃあ、ね……」
どうやらエステルのほうも、間を置きたいらしい。
何かを仕組んでいないか、目を凝らしながら……メイは銃創と薬傷に痛む身体を休める。
「今の貴女には、私を倒す目的は一つしかない。そうでしょう?」
メイは本心を見透かされたようで、少し嫌な気分にさせられた。
確かに今、メイは……管理局のために闘おうとはしていない。
ただ、局長の仇を自分の手で討ちたい……それだけ。
「けれど私には、貴女に勝つ目的が二つはある」
「今回の反乱の目的自体、二つはあるのだから」
メイは黙っていた。
そんな話はどうでもいいから、身体を休めつつ……エステルに仕掛けられたらしい薬物に、他の効きめがないか確かめるのに意識を向けて。
「確かに、局長に就き、さらに座位を高め……私は主上代の資格を得たい」
「けれどそのためには……局長として瑕疵なく務め続け、実績を上げるには……私一人では少し足りないと思うの。だから」
そう思うなら、なぜこんなことを……?
メイは気にしないつもりでいたが、聞こえてくるエステルの言葉が気に障る。
それならなぜ、あの子を……
「そう、私を支えてくれる副官が必要」
「あの小娘の側に、貴女がいたように」
「ただそれは、主従関係だけでは不足」
「私と彼との、絆がつながらなければ」
「あの小娘の側に、貴女がいたように」
エステルの言葉が、少しずつ……何かをせがむような情念を含みだした。
それもやはり、メイの気に障る。
「あの小娘の側に、貴女がいたように」
「私にも、愛する人からの支えが必要」
「……いったい、何を言っているの?」
メイはつい口を挟んでいた。
しかしそれとは無関係であるかのように、エステルは滔々と語り続ける。
「私も、あの小娘とおなじように……」
「身も心も、業務も余暇も……すべて」
「そのために、必要な女が一人いるの」
「あの小娘の側に、貴女がいたように」
「ここまでヒントをあげても分からないような、鈍い貴女じゃないと……評価してるけど?」
ついに、メイは理解してしまった。
エステルが何を求めているのかを。
分かりたくもないのに、わかってしまった。
分かりたくもない。
あの子を殺そうとした奴のことなんか。
私のあの子を傷付けた奴のことなんか。
私からあの子を奪った奴のことなんか。
認めない。
そんな奴が、私に愛されたいだなんて。
口にするのも認めない。そう願うのも認めない。
絶対に認めない。そんなの。
そんな奴が私の目の前で、へらへらと生きているなんて……
許せない。
「だから、貴女には……一旦、私に屈服してもらわなきゃならないの」
「そんなこと、私には関係ない」
「お前の欲望も、お前の評価も、お前の欲情も……そんなもの……」
認めない。許さない。
何かが頭の中で弾け飛んだような。
「そんなもの、私には要らない……」
何かが頭の中で焼き切れたような。
「いらないっッ!!」
ただ、叫んだつもりだった。
足を踏み出していた。
右腕を振りかぶっていた。
右の拳を突き上げていた。
「ムダよ、今の貴女には破ごぶッッ」
敵に当たった感触はなかった。
そのはずなのに、腕が生温かかった。
生温かくて生臭い。
「ウゾ、嘘で……ガッゴボッ、逃げっえ……」
エステルから浴びせられた吐血と汚い呻き声で、そのことに気付いた。
メイの横で、エステルは手足をバタつかせて……どうにか逃れようともがいていた……
メイの右拳はエステルの防御膜、腹部を一息に……突き破っていた。