懐郷の花の都
あの街へ降りていく、その前に……
念のため、現地人の服装や態度を観察して……不自然な振る舞いを減らしておこう。
先に会った現地人は、私を見て「登山って格好ではない」と言っていた。ということは、逆に考えれば……今の服装はあの場にふさわしくなかっただけで、現地人としては異常と思われない種の服装なのだろう。
ま、現地人の動きを確かめつつ、ついでに……服装も見ておこうかな。
メイは眼下に広がる角ばった建造物群へ、すぐには立ち寄らず……そこで活動する現地人を偵察してみる。
遠くから覗くのではなく、光学迷彩を使って忍びこむという手も無くはないのだが……
この異界から排除すべき標的──将来を『予言』する二人組──の居場所がいまだ掴めておらず、今回の任務は長引く可能性が高い。それを考慮すると、エネルギー消費の多い光学迷彩はむやみに使いたくなかった。
メイは遠眼鏡を目に当て、建造物群とその周りで動くもの──群れをなし規則的に動く色とりどりの車輪付きの物体……タイトなジャケットとパンツスーツ、丈の短いシャツとスカート、などなど数種類の服装で歩き回る大勢の現地人──などを観察してみた。
そこで得られた知見として……
車輪付きの物体と歩く人は別の通路を進んでいるらしいこと、車輪付きの物体にはもう一種類、とても長い車体を持つ物があること、建造物群の周りにいる人の数がずいぶん多いこと、似た傾向の服装をした人がある程度固まって動いていること……メイのような丈が長くふんわりとしたスカートはたまにしか見かけないこと……
そして、見た目にはとくに混乱もなく、人々が動き回っていること。
「鏡を捨てよ、街へ出よう……」
メイはふと、口から一節を漏らしていた。
その一節が、なぜかとてもしっくり来た。
……普段なら、何を言っているんだと自分に呆れるところなのに。
今回のは、妙に腑に落ちた。腑に落ちて、すぐに足が動いていた。
メイは引き続き、建造物群と現地人について調査……ただしここからは、直接コンタクト……現地人のふりをして建造物群や現地人と接触し、じかに情報を得ていくことにした。
現地の文明に触れながら、現地人が持っているはずの標的についての情報を集めていく。
そのために、メイはまずこの異界で現地人としての社会参加を試みた。この文明で成立しているであろう貨幣経済に、部分的に、またおそらく不法にではあるが……経済社会に則った生活をしてみる。
これも、過去の依頼で何度も行った活動である。趣味を兼ねて、ではあるが。
メイは視覚画像処理アプリを起動してから、黙々と街中を散歩してみた。どうやらこの街では、道路の中央は車輪付きの物体が走り、人は道路の端を歩くものらしい……現地人に違和感を持たれぬよう、メイもその様式に従って歩く。
メイはそうして街中を歩きながら、貨幣のやり取りを目視することで贋金作り用のデータを集めたかったのだが……どうも屋外では品物の売買が少ないらしい。そう考えたメイは一旦足を止めて、現地人が荷物を持って出入りする建物を探してみることにした。
すると建造物群の一角に、出てくるヒトの多くが白い袋を持っている、そんな建物を見つけた。
観察を続けると現地人たちは、皆その建物の手前で一時立ち止まっていた。その建物は、手前で現地人が立ち止まると透明なドアが開いてヒトを招き入れる、という構造をしていて……その様子は『礎界』のドアに似ていた。
メイはこの異界の文明レベルの高さを感じつつ……その建物へ、現地人が入っていく様子を真似て入ってみる。
建物の中では、なにやら楽しげな音楽が流れていた。だがメイはそれよりも……現地人たちがやり取りする、片手ほどのサイズの紙に注目した。
あれが……この異界、もしくはこの地域で使われる貨幣だろうか?
引き続きやり取りの様子を横目に見ていると、やり取りの多くは紙と引き換えに円形の小板と品物を渡すものだった……が、稀に小板と別の紙を渡すことがあった。
その様子からして、渡されている紙はおそらく紙幣で……紙幣にも種類があり、また紙幣は小板よりも価値が高いことが予測できた。
であれば……価値の高そうな紙幣を使えるよう準備できれば、不足はなさそうだ。
メイはやり取り数十回分のデータを集めたのち、画像処理アプリで数種類の紙の全体像……表裏の構造、意匠を構築してみる。すると、紙の表裏には細密な絵とともに文字らしきさまざまな記号が記されていることが分かった。
これで、紙幣を作るための情報は十分に得られた。けどこの異界の文明レベルだと、なにかしら贋金対策をされている可能性があるかな。
贋金……貨幣のコピー品を作り問題なく使うには……それぞれの記号の意味を予測する必要があるかもしれない。そのためにも、何種類かのコピー品を作って見比べてみよう。
メイは作成してみたコピー品をいくつか見比べて、紙幣に描かれた記号のうち変化のある部分と不変の部分を見出した。
……おそらく、不変の部分は紙幣の種類を示すものだろう。であれば、変化のある部分は……識別用の記号、か?
ひとまず、やれるだけやっておこう。
私はどうにでもなるからいいけど……贋金を受け取ったヒトが、後々のトラブルに巻きこまれないように。
識別用っぽい部分の記号だけ、自動生成できるように設定して…………
少し手間がかかり夕暮れ時にはなったものの、メイは一日で異界の貨幣経済に参加できる状態を整えられた。
試しに何軒かの商店で買い物をし、一軒の飲食店で『ぎゅうどん』なる名の少し食べづらい料理を食べてみた。
……贋金は問題なく使えた。なぜか懐かしかった。
腹ごしらえを済ませたメイは、引き続き夜の街を歩き回ってみる。
もの凄い騒音と電燈の光をたれ流す建物の前を素通りしてみたり、
屋外にテーブルが置かれた小ぎれいな飲食店で酒を頼んでみたり、
大小の本が所狭しと並ぶ書店で彩り豊かな絵に目移りしてみたり。
……結局この日は夜が更け、店が閉まりだす頃になっても有益な情報は得られなかった。街はどこも刺激的で、楽しかったものの。
社会不安が増しているとはいえ、少なくとも表面的には平和な社会、経済が成り立っている。
そんな異界は久しぶりで、街を巡っているだけでも楽しい。
情報収集のため、という目的をときどき忘れそうになるくらいに……目にするものが、どれもこれもおもしろい。
ただ、やっぱり……この異界はやけに懐かしい。
初めて来たはずなのに、この異界のどれもこれも……ひどく懐かしく感じている。