けだものとけだもの
「吸ってみたら落ち着いたってその発想なんなん? アロマかなんか?」
「わたしにもよくわからない」
メイの語る内容は、ほか二人の理解の外にあるらしい。
しかし、真っすぐにメイを見つめる青く冷たいはずの瞳は……どこか、何かを望むかのように……瞬いている。
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くびれの先……腰よりももう少し先に触れて、ときどき口づけて、別のところにも口づけて。
「っ、ハッ、ハァっ……んふ……」
彼女の汗と吐息、そして声で満たされた部屋……そのあちこちに、粘っこい熱と湿り気が漂っている。
「も、もっ……ケホッ……ゆるし……てぇ……」
彼女は上気した頬に涙を伝わせながら、呆然としたような力ない顔で許しを乞う。
それをきっかけにメイは彼女をまさぐる手を止めて、彼女の震える肩を軽く抱きしめた。
「ふふっ」
身体を寄せると、彼女の胸から心臓の早鳴りが響いてとても暖かい。
「……今日は、おやすみ」
メイは彼女を抱きしめたまま、互いの身体を横たえる。
あとは、彼女より少し早く起きて、知られぬうちにこの世界から消え去ろう。
っと、寝る前にカラコンはずさなきゃ。
………………まだ朝日も昇っていない、か。
夜明け前に目覚めたメイは、泥のように眠るリンプーの姿を見て、まだまだ起きる気配はないと察した。
メイは時間の余裕がありそうだと考えて……彼女を起こさないように慎重にベッドから這い出た。そしてツールボックスから携帯浴室を取り出し、一人シャワーを浴びる。
……これで、彼女とはお別れ。
これまでに、さまざまな異界を訪れ、さまざまな出会いと別れを経験してきたメイではあるが……特別な相手との別れは、やはり淋しい。
けれど、帰らないわけにはいかない。
思った通り、シャワーを終えて着替えて、携帯浴室を片付けても……リンプーはぐっすり眠り続けている。
メイは彼女の寝姿をじっと見つめて、意識して心に留めた。そして、
「……さよなら」
彼女の頬に優しく口づけて、部屋を出ていった。
帰らないわけにはいかない。
仕事のこともあるけれど、それより……あの娘が悲しむから。
私は微力……かもしれないけど、あの娘の役に立ちたいから。
あの娘は、私を一晩いじめたら……それで許してくれるから。
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────六柱緑弾を使用して標的『エリノー』を銃殺したのち、霊体を回収。これを以て、逸脱処理を完了した。
私見だが、何故あのような粗暴な志向を有す輩を未処理のまま、それもあれほど精神的に安定した世界へ転移させたのか。
仮にこの輩が不運不遇を極めた前人生を送っていたとしても、不幸な生命への憐憫という範疇をあからさまに外れている。あのような者に無責任な力と自由だけを与えて異界へ放つような行為は、文化的あるいは精神的に成熟した異界への、またその住人への暴力にほかならない。
本件を引き起こしたΩ∬@∃【この部分は機密事項のため非表示設定です】に対し、強く抗議したいと考える────
「さて、だいたい書けたかな……」
メイは左手で空のグラスをもてあそびながら、淡い光を放つ盤面……入力デバイスに乗せていた右手をそこから離した。
そして手元の酒瓶を手にして……手にしたところで、空だったことを思い出す。
「いーな~、やっぱ楽しそ~」
総合的に考えれば楽しそうで、羨ましいものだ……と思ったのか、レイナは口を尖らせている。
「獣人たちを見慣れるまでは楽しかったけど……肉は食べらんないし、魚……漁業の技術も発達してなかったらしくて、食欲がわかないから酒も楽しめない。観光としてはどうにも消化不良」
メイは一旦立ち上がって貯蔵庫から新しい酒瓶を出し、手酌でグラスに注いだ。
そしてグラスに満ちた泡立つ酒を、すべて一息に流し入れて……気持ち良さそうに眉を寄せる。
「ハーッ……仕事明けはやっぱコレよ、『ヴォーダンのネコ』!」
「……いいな~おいしそう、あたしもビール飲めたらなぁ」
「つかさ、そこまで仲良くしたならさ、最後までやっちゃえばよかったのに」
レイナは彼女とその情事へ興味津々、といった態度を隠さない。
「最後まで……って? 私生殖細胞子再構築剤持ってないから、どのみちね」
「もったいないなぁ……あたしも現物見てみたかったな、とらみみ~」
「えっそれは……こっちで私に産んでほしかったって?」
合いの子を宿して帰ってくるくらいなら問題はないだろう、とでも主張するかのようなレイナの物言い。
そんなはずが無いだろう、とメイは苦笑する。
「あ、貴女の子……? とてもとても楽しそうな話、興味を禁じえない……」
と、しばらく黙っていた癖っ毛の女が、突然目を丸くしながらメイの側へ身を乗り出す。
「貴女の母親姿……絶対に見逃せない」
「ちょっと待ってそういう話じゃないでしょ!」
私には似合わなさ過ぎておもしろい、と言いたいのだろうか?
癖っ毛の女がまとう妙な圧に、メイは苦笑するほかなかった。
メイはその話題を振り払おうと……グラスに残った酒を飲み干して、
「ともあれ、私たちは領分を越えるべきではないの。私たちはあくまで各界の自然なかたちをい゛ぐっっ」
真面目に語ってみたところでいつの間にか、メイの背後に銀髪の少女が現れ……黒髪の絡む首に腕を巻き付けていた。
「ん、ぐっ……」
「こんばんはぁ、課長さぁん」
「あ、き、局長お楽しみタイム!? じゃあたしそろそろ帰るわ! おつかれ!!」
猫なで声を上げる銀髪の少女を見たレイナは早々に目を泳がせ、逃げるようにドアから飛び出ていった。
「私も帰ります、明後日までは来ない……」
癖っ毛の女も冷静な態度こそ崩さないものの、光沢のない無気力な目で早々に退出していった。
「そんなお楽しみやってるから帰りがおそかったのねぇ、まったく……」
局長、と呼ばれた銀髪の少女はメイが声を出せるように、少し首の絞めを緩める。そうしながら、猫なで声と同様の甘ったるい笑顔で語りかける。
その態度は……少女の幼げな外見にはあまり似つかわしくない。
「だからと言って、休暇もレポート作成の時間も与えずお楽しみに来たのですか?」
メイは少女をたしなめるが、物理的な抵抗をしようとはしない。
「うんそうだよ、だめ?」
銀髪の少女はその外見にあった口調で平然と受け流す。首に絡めた手は除けない。
「管理局局長としてはわりとダメですが……そう言われて素直に聞き入れるショボーではないでしょう?」
メイは銀髪の少女をショボーと呼び、彼女をもう一度たしなめてから……窮屈そうに溜め息を漏らす。
そして、それ以上の動きを見せない。
「ねえねえ、それよりこれ見て? そして……わたしに、あやまってぇ?」
そう言って少女は、メイの目の前の空間に動画を表示させた。
そこには、輝くような金髪を後ろにまとめ、大人びた様子で豪華な椅子に座るリンプーが……その横に立つ彼女そっくりの少年と共に映っていた。
そして、ペンダントのロケットに収められた、黒いカラーコンタクトを大切そうに見つめる彼女の姿が…………
「なんで、この異界に黒色のカラーコンタクトレンズがあるのかな? なんで、この女王がそれを持っているのかなぁ?」
少女はメイの首を軽く絞めた体勢を保っている。
怒りながらメイを睨んでいるのか、決定的な体勢を取っていることに浮かれてニヤけているのかは分からないが。
「自然なかたち、ってのをこわしそうなことしてきたのはだれだっけかなぁ? いけないんだあ」
あ、もしかして、向こうでシャワーを浴びたとき……に?
いや違う、あのときにはもう着けていなかったような……
いまさら考えても始まらない、か。
どうせ使い方は分からないだろう、いつかあの異界でオーパーツ扱いされる日が来るかもしれないけど。
形見として持っていてくれるのなら、それはそれでちょっと嬉しい。
「なにも言わないなら、もっとしめちゃうよ?」
……言っても絞めるくせに。
この体勢のまま、抵抗せずにいれば……彼女が少し力の入れ方を変えるだけで、メイの命は握り潰されてしまうかもしれない。
そんな状況だが、そうはならないとメイは考えている。
ショボーは首を折ろうというでもなく、窒息させようというでもなく……的確にツボを締め付けることで、私をなるべく苦しませずに失神させたいだけ。多分。
この娘は、浮気な私にヤキモチを焼いている。
だから、確かめたいのだ。
すべて委ねる私を確かめて、自分が一番愛されているのだと。
そして私は愛している、そして自惚れている。自分が一番、愛されていると。
だから、そんな彼女を受け入れるだけで快いのだ。
すべてさらけ出す彼女のありのままに、私にだけさらけ出される欲求をありのままに。
それに、もし、もしも仮に、万が一彼女に殺意があったとして、その手で絞め殺されるのなら……それはそれで悪くない。
私は快いと感じて、彼女に身を委ねるのだから。
「ところで、課長さんってなんのこと?」
ショボーはメイのすっとぼけた問いには答えず、その首に絡めた腕と手の位置を微調整しながら、片脚をメイの太腿に絡めた。
そしてメイが微かに身体を震わせたのを合図にして、さっと腕の絞めを強めた。
「えいっ」
「んぎッ!? ひゅ……ぅっ……」
急激に首が絞まる。
メイは首に絡む細腕に手を伸ばす。
その手は優しく腕に触れていて、抵抗していると言うよりは……愛しい存在へ優しく手を添えているようで。
そこそこ息苦しい。逆に言えば、そこそこ息苦しいという程度に上手く絞めている。
そして、顔の表面がしびれたような感覚がして、それは少し気持ち悪い。
最初の頃に比べたら、これもずいぶん上手くなったものだと思う……
「こひゅッ……あゔ……」
「おやすみぃ、よわえろおねえさん」
あ、暗い、遠い……落ち、落ちちゃう……
沈んでいく……それが少し、きもちい、気が……沈んで…………
「ぅ゛〜っ…………」
メイは朦朧とした呻き声を上げながら崩れ落ちていた。
「フッヒュゥウゥゥ〜ッ!! たっ、た、たっまんねえぇ〜〜」
沈みゆくなかで、遠くから嬌声が聞こえたような……気がした。