奇妙な噂耳にして
メイは同期の友人二人が帰るのを見送った。そのあとは、片付けだけ済ませたら……明日早起きできるように、警備隊の早番用アラームが室内に流れるよう設定してさっさと寝ることにする。
確実に眠るために、たっぷり……いや少しだけ寝酒を足して。
夢も見ずにフっと目覚めて、数秒ほど寝ぼけていると……警報のようにけたたましい、鋭いアラーム音が部屋中に鳴り響いた。
嫌な音だけど、予定通り。
この警報音はなんでも、多くの人が意識を向けやすいように数種類の不快な波長と律動を組み合わせてあるらしい。
中には、私には聴こえない波長の音も混じっているとか。とくに害は無いらしいし、何も感じないだけなら何が混じっていてもかまわないけど。
……と思考しながら身体を起こすことで、メイは目覚め良く朝を迎えた。
予定通り。だからこの後も予定通り、朝風呂にしよう。
今日のお風呂は……新しいシャンプーとコンディショナー、そして次回のパーティに用意するごはんの検討が課題。
髪や身体を洗い流してヘアケアも済ませたら、たっぷりのお湯に身体を預ける。
ぬるめの湯の中へ手足を投げ出してブラブラとゆらめかせながら、今度は何を食べようか……と候補を思い浮かべている。
候補が思いつかなくなったら、今度は何を飲もうかと酒の味を思い出したり、友人たちとの会話を思い出したり……とにかく、局長のことはまだ考えないようにして。
まだ、のぼせないように。
手指の先がふやけるほど湯船でゆっくりして、ぬるめの湯でも十分に暖まれるほど長く湯に浸かっていた。
その間、インターホン操作も強制解錠の通知もなく……局長が部屋に来た様子はない。
今日訪ねてくるとは言ったが、いつ頃になるとは言わなかった。もしかしたら、わざと来るのを遅らせて焦らすつもりなのかも?
メイは汗を落としてから浴室を出て、髪と肌を軽く整えた。
がっつり化粧しちゃうと、「仕事の話をしにきたのに、気合い入れすぎだよぉ?」って笑われるだろうから……そこまではしない。
とは言っても……
そう言われて煽られるのも、別に嫌いではない。
なにより、彼女の楽しそうな表情がたまらない。
だから、バッチリ決めとくのもそう悪くはない。
けどやめとこう。いちおう仕事だし。
メイは仕事前ということもあって、過度に着飾るのは避けておいた。
彼女に逢えるのは久しぶりだが、かと言ってそれは仕事前からハメをはずす理由にはならない。だからもちろん酒も飲まない。
メイはそんな調子で、真面目に局長の訪問を待っていたが……彼女はなかなか現れない。
それでもメイは粘り、部屋から出ずに待っていた。
しかし誰も部屋を訪ねてこないまま夕方ごろになると、空腹を我慢できなくなってきた。
……酒を飲んでいたら、少しは気がまぎれたかもしれないが仕方ない。
ただこのままでは、頭の中が空腹感で満たされてしまう。
メイは何か食べようかな……と考えたが、今日も貯蔵庫の中は酒ばかりだったことを思い出す。
夕飯まではまだ時間があるから、この時間で一人前だとデリバリーが頼めるかもあやしい。食堂か購買部へ行くのが無難か。どうせ部屋を出るなら、食堂でいいか……この時間なら空いてるだろう。
来客があり次第部屋へ戻れるようにインターホンの遠隔通知と手持ちデバイスとの連携を設定してから、局員用食堂へ向かう。
食堂はメイの予想よりは混んでいたが、空席はすぐに見つかった。
と、メイが着席した辺りでは何やら気になる話題が挙がっていた。
メイはメニュー盤に目を落とす格好で、聞き耳を立ててみる。
「聞いたかい? 今度の異動の噂」
「どれだよ? 第九課のことか?」
「そう、第五課の『青鬼』が第九課……『赤鬼』の下に付くって」
メイが近くの席に着いたことには、どうやら気付いていないらしい。
メイはメニューを選ぶふりをしながら会話に耳を傾ける。
「まったく露骨だねえ、局長どのは」
「おい声がデカいよ、まあ牽制の意味もあるんじゃないか?」
「牽制?」
「露骨なくらいに見せつけてる、って可能性もある。『青鬼』は何考えてるか分からん扱いづらいヤツだけど、戦闘力なら『赤鬼』に次ぐって評判だからな」
「あ? 何考えてるかわからんのは『赤鬼』も同じだろ」
「ハハッまあな。ともかく局長どのは、自分の側にも自由にできる戦力が複数あるぞ、と示してるんだろう」
どうやらメイが近くの席にいることに、いまだ気付いていないらしい。
そういえば最近、局内でたまに『青鬼』って綽名を聞くようになった気がする。『赤鬼』の下に付く、ってことは……もしかしてあれ、マリエのことなのか?
けど実際のところ、本気のマリエと戦って勝つ自信はあまりない。
今「『赤鬼』に次ぐ」なんて言われてたけど、私は正直互角くらいじゃないかと思う。
配属前研修でも……確か射撃系の科目以外は似たような成績だったし、模擬戦でも勝負が付かなかった。組み合わせの都合で私は一戦少なかったから、彼女のほうが疲れてたんじゃないかと思うけど。
あの時は……急に教官が「お前ら延長戦やれ!」とか言い出して大変だったな……なぜか私とマリエが次の科目の講師に怒られたし。
ただ、そのおかげでマリエと打ち解けられて、そのあとでレイナとも仲良くなれる切っ掛けになった。
それまでは、あの子によく睨まれてたんだよな……話したこともなかったはずなのに、なぜか。
とても暗い目つきだった記憶がある。きれいな青い瞳なのに、妙に湿気っぽいというか……
メイは昔の……入局前の研修を思い出す。
「……ってぇことは、もしかして?」
「近々、別の動きがあるかもしれない。いざという時の身の振り方を、そろそろ考えといたほうがよさそうだね」
「なるほどな、気をつけとくよ」
「それにしても、『赤鬼』『青鬼』の世代は面白い世代だよね」
「首席が何でもない業務でコロッと死んじまって、そんときの第一課課長がブチ切れたんだっけか」
「そうそう、あの殉職事件のせいで十年に一度のハズレ世代だなんだと散々言われてたのが、今じゃね……たしか第三課で売り出し中の『魔銃士』も同期だよ」
「第三課の『魔銃士』……レイナってヤツか、たしか後輩がファンだって言ってたな」
この二人はどうも、メイが近くで話を聞いていることに気付かなさそうだ。今さら気付いたとしても遅いのだが。
そうそう、なんて名だっけ……あの真面目なガリ勉ちゃん。
仲良くなかったから理由は聞いてないけど、首席目指すってやたらがんばってた。
けど、首席は激務の第一課に配属されるのが通例、という噂を聞いていたから……私としては、適当なとこで手を抜いて譲るのに好都合だった。
しばらく名前も聞かなかったけど、ずいぶん早くに殉職してたのか。それは……悪いことしちゃったかもしれない。
メイは入局前の……昔のことを思い出していた。
メイは改めて、注文を決めようとメニューに意識を向けた。
居室へは、まだ誰も来ていないらしい。




