指針を整えられて
さて、そろそろ降り……
身体は動かせるが、まるで移動できない。
下の柔らかい毛に力が流されてしまうせいで、うまく立ち上がることができない。
寝返りを打ってみても、その場でふわふわ身体が回るだけで位置が変わっていかない。
「あの……そろそろ、降ろしてくれない?」
いつまでものんびりしてられる状況ではないだろう。私も、彼らも。
「かみさま!」「ヒョー!」「ショー!」
それぞれの豊富な毛でメイを持ち上げる霊長たちが、メイの申し出に耳を貸した様子は見られない。
少なくともメイはそう感じた。そこでうつ伏せの姿勢からひざを立てて、なるべく体勢を安定させながら立ち上がったが……結局、脚を震わせながら立った姿勢を維持するのがやっとだった。
「ねえ、降ろして……」
「かみさま! かみさま!」「アハハ!」「かみさま!
たのしい!」
ヒトたちは高揚しているのか、そもそもメイの声が聞こえていないように思えた。
いや楽しんでもらっても困る……これじゃ遊ばれてるようなものだし。
立ってみても全く踏ん張りが効かず、歩き出すことができない。
ならば、とメイは思い切りよくその場から前に倒れ込んでみた。
そして風呂でお湯をかく要領で……毛に腕や手指を絡ませたり、ときおり手でつかんだりして、しなやかな毛の海を泳ぐように端へ端へと移っていく。
やがて毛の海の終端にいたり、急に重力で引かれたメイの身体は地に落ちていた。
「いだっ……と、あなた達に聞きたいことがあるのだけれど」
手からうつ伏せに落ちたメイはゆっくり起き上がって服の砂ぼこりを軽く払いながら、ヒトへ問いかけてみる。
ヒトたちはメイが毛の上からいなくなったことに気づいたのか、あるいはメイのかすかな悲鳴に反応したのか。
……ともあれ一斉にメイへ注目し、なぜか一様に毛の高さを下げていた。
そして、それまで軽やかに揺らいでいたヒト達の毛の動きが完全に止まった。
「教えて、あの有翼人たちはどこから飛んでくるの?」
メイがヒト達へ語りかけると……再びヒト達の毛が動きだし、しばらくの間続いた。
その後、ひときわ黒い毛をしたヒト……メイを最初に『かみさま』と呼んだヒトが少し前に出た。
「ユーヨクジーン? なに」
「ごめんなさい、あの……羽根付きはどっちから来るの?」
やはり、言語能力はあまり高くないらしい。メイはなるべく平易な言葉、分かりやすい話し方を心がける。
「むこう、くる」
メイの有翼人についての問いが理解できたのか、先頭のヒトの黒い毛が何本か絡まって紐となり、洞穴のほうをチョイチョイと指し示す。
「はねあり、ときどきくる」
「ひる、くる」「はねあり、つよい」「かみさま、すごいつよい!」
代表者らしき先頭のヒト以外は発言を控える……というような意識は特にないらしく、他のヒトたちも有翼人について話しだした。
「はねありはいつも昼に来るの? 夜には来ない?」
有翼人の習性……これは聞いておいて損はない。
メイはヒト達の声を拾い、話を広げようとした。
「むかし、よるくる、いま、ないよるくる」
「よる、はねありつよい」「よる、マルはねあり、つよいかった」「イワコ」「かみさま、すごいつよい」
思ってたより、ここのヒト達はよくしゃべるらしい。
それはともかく、過去には夜の闇を苦手とせず他者を襲う強力な有翼人もいた……ということか。
めいめいに話されると少し騒がしいが、役に立ちそうな話もありそうだし……しっかり情報を引き出しておこう。
メイはあれこれ聞き出そうと、対話を続ける。
「有よ……はねありの数は、いつもあのくらいなの?」
「たくさん」「たくさん!」「たくさん」
たくさん?
「えと……二匹や三匹で来ることはない?」
「ない、たくさんくる」
「たくさん、イワコ」「たくさん、しぬ、たくさん」
と、いうことは……私がここへ来るまでの道中で戦ったのは、ここを襲う有翼人とは別行動、偵察隊かなにかだろうか?
「じゃあ……はねありが、別の方角から来たことはある?」
「ない」
無いのか。ならば、有翼人はまだヒトより知能が低いのかもしれない?
守りやすい地形に対して真正面からの攻撃しか思いつかず、ヒト達に洞穴を利用して防がれているのだから。
そうなると、ヒトの保護という意味ではあまり慌てる必要はないのかもしれない。
問題はむしろ私の……手持ちのエネルギーが足りるかどうか、懸念はそのくらいか。
ただ、それならそれで……早めに処理しておくにこしたことはない、かな。
「みんな、ありがとう。じゃあね」
メイはヒトの一団を迂回して、洞穴の外へ向かって歩き始めた。
「かみさま、いく、どこ」
一団の横をすれ違うところで、黒い毛のヒトがメイにたずねてきた。全身の毛をゆらゆらさせながら。
「有翼人……はねあり達を倒しに行くの。一応言っておくけど、着いてきちゃダメよ」
メイは立ち止まって振り返り、微笑んでみせる。
あ、言葉だけじゃ足りないか。
「かみさま、つよい、すごい」
「そう、だから大丈夫。明日からも、みんな元気に生きていってね」
メイは今度こそ、洞穴の外へ歩き出した。
右手で髪を束ねて、顔の横で振って見せながら。
洞穴の空いた方向に真っすぐ……距離はわからないけれど。
メイは一直線に山を降りていく。
良かった、心配だったけど……思ったより順調に事が進んでくれている。
それに、有翼人の知能レベルからも……私が侵入するはずだった時代から、それほど遠い未来ではない可能性が高くなった。
まだまだ科学技術も進んでいないようだし、私が有翼人と戦う分には問題ない。あとは、エネルギーが切れる前に……有翼人を不当に進化させた干渉物体を見つけたいところ。
とにかく、ひとまずこの方向へ進んでいけば有翼人の拠点があるだろうから、そこを潰して……そこに運良く目当ての干渉物体があれば、破壊してヨシ!
とまでは行かなくても、そこでまた情報収集すれば……次の目的地の目処を付けられるだろう。
まあ根本的な解決は、一度『礎界』に戻ってからになるかもしれないけど……不当進化の原因を確認しておくのと、彼ら現生霊長の保護を済ませておこう。
良かった、ここまで展望が見えてきた……前祝いで一杯やれれば、なお良かったんだけどね!
山を下り平野を征くメイの足取りは、すっかり軽くなっていた。