おんなは帰り着いたのち
うーん……ダメだ、考えが上手くまとまらない。
飾り気に欠けた少し殺風景な部屋のなか、一人机に向かう黒髪の女が頭を掻いている。
なんか今日ダメだなあ……景気づけに一杯飲って、流れ変えようかな? あーでも飲んだらいっそうレポート書けなくなっちゃうか。
いやいや二、三杯くらいなら、すぐに抜けるから……気分転換も必要だし!
黒髪の女……メイは淡い光を放つ入力デバイスから右手を離し、勢いよく立ち上がった。
そして酒器ばかりが入った食器棚から適当に空のグラスを、酒瓶ばかりが入った貯蔵庫から目に付いた茶色い酒瓶を取り出す。
そして酒の封を切って……封切ったところで、違和感を覚えた。
あれ、こんなお酒……いつ買ったっけ。
メイは酒をグラスに注ぎなから、酒瓶のラベルに目をやる。
地味な色合いのラベルにはシンプルな意匠で『ブニー・セイ』と書かれていて、またその外の瓶の茶色はやけにくすんで見えた。
しかしその中身を注いだグラスには、存在を感じられないほど透き通った酒が満ちている。
そしてそれは、色味の無さとは正反対の……茶菓子のような甘い香りを周りに振りまいている。
メイはグラスをもてあそぶように軽く回し、酒の液面を波立たせてみる。香りがさらに強まった以外には、特に変化はない。波立つ様子も、普通の水と変わりないように見えた。
そこでとりあえず一口、軽く味わってから飲み込んだ……それが喉元を過ぎた辺りで、思わず眉を寄せる。
「ハーッ…………」
あまい。それにねっとりしている気がする。
舌の先から根、喉、液体が通った場所に甘みを押し付けて、染み込ませていくような……なのにしつこく感じない。
さらりとしている、というには後味が無さすぎるほど。逃げ足が早いというか、追いかけようとしたそばから消えていくような。
そして吐いた息が熱い。ちょっと強めの酒なのか。
美味しい。けど飲みすぎないようにしないと。
メイはもう一度グラスに口をつけて酒を味わってから、その一杯で止められるように酒瓶を貯蔵庫にしまった。
近くの椅子に腰かけて、グラスに残った透明な酒を眺めながら考えを巡らせる。
結局、あの二人からは何も聞き出せなかった。
二人とも、城では祖父の遺体しか見ていない、祖父と話はできていない……というのは事実なのだろう。
必要最低限に顔を出して、事を起こし、用が済んだらすぐに口封じ……それほど鮮やかな手並みとなると、ある程度以上の計画性の下で動いていた可能性が高いか。
それほど計画性を持って綿密に動くには、ある程度私のことを知っているのが前提になるはず。そんな存在があの異界に居るだろうか?
そして、あのやたらケミカルな臭い……
うーん……管理局の職員が何かしら関与している、と考えたほうが妥当かもしれない。
ただ、だとすると逆に……あの臭いはずいぶん不用意に思える。
いっそ、故意にヒントを残していったかのようにすら感じるくらいには。
まあそれはそれでおかしな話になっちゃうか。そんなことをしても私のお腹が空くだけ
ってそうじゃなくて、わざわざ手がかりを残す意義が分からない。
けど、私の任務を邪魔したいのなら他のやり方もあるし、私自体が狙いならちょっと料理の仕方が下手すぎ……ん? 料理?
……ああ、そっかあ……そういえば、帰ってきてからなにも食べてない。
そう一度でも意識してしまうと、頭の中が空腹感に支配されてしまう。
それを待っていたかのように、腹も不満の音を鳴らす。
メイは何か食べようか……と考えたところで、先ほど見た貯蔵庫の中は酒ばかりだったことを思い出す。
そういえばさっき、ツマミになりそうな物もなかったな。
この時間なら局員用食堂も開いてるし、ちょうどいっか。
適当に着替えて局員用食堂へ向かうと、確かに食堂は開いていたが……メイの予想よりはるかに混み合っていた。
あれ、なんか人多いな……席空いてるかな。
こんなことなら購買部へ行ったほうが良かったか、せめて構内動態確認ボードで混雑状況を確かめとくべきだった……
メイは軽く後悔しながら空席を探す。
「今年は異動少ないらしいですね」
「デカいヤマがなかったから離脱も少ねえし、モメてるのも第五課くらいってハナシだからな」
「第五課、ですか?」
賑やかなテーブルの間を抜けて、空きを探すが……なかなか見つからない。
「どしたんそのケガ?」
「あの女、マジムカつく! つぎはぜったい勝つ! てかマジ殺す! 手つだってよヒョン!」
「おいおい、そんな物騒な話なら場所を変えようぜ」
「否、却ってこのような場たればこそ謀漏れ難し」
いや若干漏れてるけど……ずいぶん血の気の多い管理官もいるらしい……と少し気にはなるが、今のメイにとっては腹を満たすことこそが重大時である。
ご飯時でもないのに、どうしてこんなに……? どこかの会合の終わりとかぶっちゃったのか?
むしろご飯時なら、空席案内ボードが使えたのに。ついてない。
……と弱りはてたメイに、声をかける者がいた。
「メイ……さん? 席探してるの?」
声のした側へ振り返ると、短髪の女が一人パフェを食べていた。
「良かったら相席しましょうか?」
スラリとした背筋を伸ばし、細腕をパフェに伸ばす……細身で背の高い金髪の女。
この姿は……第一課課長の、エステル。
局内では、局長に次ぐといっても過言ではない……押しも押されもせぬ実力者。
こう言っては失礼かもしれないが、ここで一人パフェを楽しむ姿が……かなり意外に思える人物。
「いえ、お楽しみを邪魔しては申し訳ないので……」
メイは彼女が手にしたパフェに目線を向けて、遠慮する素振りを見せておく。
「そんなこと気にしないで。せっかくだから、少しお話しましょう?」
エステルは引き下がろうとしない。
「ちょうど、貴女に聞いてみたい話があるの。ほらほら座って」
エステルは隣の空いた椅子を引き出してみせる。
空腹のメイには、強く断る理由も思いつかなかった。
「……では、恐縮ですが……お邪魔します」
深々と頭を下げてから、メイは席に着いた。
席に着いたメイは、オーダー用のボードを操作し食事を選んでいる。
その様子を見ているのか、エステルは静かに声をかけてきた。
「そうそう、デウカ界の件……大変だったそうね」
「……どういう意味ですか?」
メイはオーダー用ボードから目を離さないまま聞き返す。
……なぜ第一課の彼女が、第九課への依頼を気にかけるのだろう?
「難しい依頼をこなして、帰ってきた結果……あんなことになるなんて」
メイは思わず、無言でエステルへ向き直してしまった。
「あ、怒っちゃった? ……いや、そんな顔じゃないわね。ということは、もしかして……知らないの?」
エステルはそう言って、メイに微笑みかける。
しかし何故微笑むのか、メイには分からない。
「そっか、じゃあ……」
「お姉さんが……手取り足取り教えてあげよっか?」
エステルは微笑んだまま身体を寄せてきた。
「どうして近付いてくるのですか」
「さあ……?」
やんわり拒もうとしたメイの口ぶりに気付かぬかのように、エステルの手がメイの太腿に添えられていた。
メイは改めて、それを拒否する。しかしその手を冷たく払いのけるようなことはせず、エステルの手首を優しく掴んで腿から下ろそうとした。
そのとき、彼女の手首を握ったとき……
……細長い身体にぴったり巻き付いた、輝く布地……見たこともないような服を着た女…………
ほろ酔いのメイの頭が、何かを思い出した。