おんなはやさしい弾丸を込めて
いやそれにしても泣き過ぎだって。ちょっと優しくされたくらいのことだろうに、大げさな。
身体に変調をきたしているってわけでもないようだし。
いや、もしかしたら……これはとても心地の良いものなのだろうか?
それなら、『礎界』に帰ったら……あの子にしてみようかな。
最近あれこれ面倒ごとが増えてるみたいだし、癒やされてくれたら嬉しい。
……と、その前に話を聴いてやろう。本人が話して、それで少しでも救われるなら。
「えと……どうかしたのですか? どこか痛むのですか?」
身体面の異常はない、それを感知したうえで女はたずねた。
「いや、そうじゃない゛……」
男の声の弱々しさは、明らかに……先ほど酒を酌み交わしていたときに見せたような、諦めの色とは違った感情がにじみ出たものだった。
そこに見出されるのは、何をも得ることなく打ちひしがれ、惨めに退場する……完全なる敗者の絶望。
彼は英雄であり、勝者のはずだ。
そうなるために、ここに在る。そういう存在である。
そして彼は、この異界の民のためによく働いた。そのことは、『竜騎兵』……この異界に住まう強大な竜、広い縄張りから人間の生活圏を圧迫し続けた悪竜を殺さずに退けた偉業を称える呼び名……からも、十分に認知されているはず。
それなのに、彼はいま。
女の太腿の上で涙を零しながら小刻みに震える男の姿は、微かな音とともに荒野を転がる枯れ草の塊。
そう、それは誰の気にも留められない叫びを上げながら吹き飛ばされ、視界から消されていく乾いた落ち葉のようで。
女は少しの間黙って、男の嗚咽が落ち着くのを待っていた。
「なあ……少し話してもいいか?」
女が体勢を変えずにぼうっとしていると……しばらくして男の嗚咽も涙声も、少し治まっていた。
「おまかせします……長く話したいなら、全部聞きましょう」
女は先ほどの男の答えを真似て返す。
それを聞いて男は少し顔をほころばせ、軽く息を吐いた。それから大きく息を吸って……静かに話し始めた。
「俺は、いつも……ここでも、つまはじき者だった」
「俺は子供の……赤んぼうのときから捨て子扱いだった。気がついたときには修道院の門前に捨てられてて……孤児扱いで押し付けられたらしい。風の強い寒い日だった。意識はあるのに耳が聞こえるのと視界が動くだけで、身動きも取れなくて……このまま放置されたら餓死か凍死かどっちかな、って怖かったのを覚えてるよ」
身の上話……女は傾聴を心がけることにした。
「俺の周りにいろいろ音や光が起こって、修道院の中の人が気づいてくれた。あれは……お姉さんの仲間が助けてくれたのかな? それで拾ってはもらえたけど、ただそこでも……見てくれの悪い俺をかわいがってくれる人はいなかった」
女は話を聴きながら、「仲間」による男の扱いについて考えている。
仲間……当時の異界派遣担当者か。
おそらく、異界への干渉、現地人との接触を最小限にする方針だったのだろう。とはいえ、幼体転生させた『遣体』を保護なく死なせたら間違いなく責任問題だし。
「けどそれくらい……俺一人が少しの間我慢すれば、済む話だった」
男の声が少しトーンを落とす。
「身体がある程度動くようになったところで、俺はすぐに修道院を出た。見た目が子供では仕事もできねえから、最初は山で狩りをして自給自足して……近くの商人に肉や毛皮を売った。それで去年くらいまでは毎月、修道院にお礼の手紙と金を送ってた。返事は一度ももらってないけど」
「一度も……」
女は話を遮らない程度に、小さくこぼす。
確かにここの人たち、ちょっと意地悪いというか。そういう印象はある。
「多少育って身体も満足に動くようになって、見た目もそれなりになったところで……商人の伝手で護衛や山賊討伐に参加させてもらった。それで有名になってからは……誰かに雇われて、戦って勝ちさえすればいいから、生活自体は楽だったよ。それに」
男の話が、少しずつ軽やかな調子に……
「俺は戦いの時だけ勇者だった。戦場では矢を撃ちまくったし、剣でも槍でも……誰かの役に立てるように、何日、何ヶ月でも振り回した。百万の敵兵だって一人で任されて、止めてみせた。いや人間だけじゃない、竜にだって勝ってみせた。あの璧だって、そのときに竜からもらったお詫びの宝物の一つだった。それが……戦いが終わったら、宝物も取られて、俺には騎士の仕事すら無いんだ」
話が軽やかに、テンポ良くなったのは僅かな間だけだった。
「リューズ王……ここらの王様の、一人娘の姫様と結婚することになった。それを知らされたときの、姫様のいろんな気持ちが混じってそうなしかめっ面と濁った目、震えた声や手足……まるで、心も体も全力で嫌がってるような……今でも忘れられない」
男の声はすっかり沈んでいる。
「けどそれだけなら……俺一人が我慢すれば済む話だった。そのはずだったんだ」
「俺のせいで姫様が死んじまった。俺は何しても受け入れてもらえなかった。だから指一本ふれたこともない。けどそれはしかたないことだから……どうしても無理なら、形だけで、偽装結婚でいいからって俺は姫様に何度も伝えた」
話を聴き続けて、女はいたたまれない気持ちになっていた。
そこまで、他人を気遣って……気遣い続けて……結果がこれ、なのか。
「俺は必死に、王様の、この国のお飾りとしてふるまおうとした。けれど姫様は……俺がいるせいで、もう好きな男に会うこともできないって……塔から飛び降りて…………」
男はもはや、言葉にも詰まるようになっていた。
「……俺が殺したようなもんだ、俺がいなけりゃ、せめて俺が好かれるような男なら姫様は死ななかったんだから。そりゃ王様も怒るよな」
「待ってください、いくらなんでもそんな道理は……」
傾聴、を心がけていたはずが……女は思わず口を挟んでしまった。
「そうまで、貴方ばかりを責める必要も道理もありません」
「もう疲れたよ……結局俺は、つまはじき者のままでいなきゃいけなかったんだ」
いつの間にか、男は顔を手で覆っていた。
そのため男の表情は見えないが、聞こえてくる力のない声色から、強い絶望を感じられる。
「一度起きませんか? そんな気持ち、せめて酒で……少しでも洗い流して、忘れて……それから、にしませんか」
女はもう、話を聞いているのが辛くなってきた。
そんな扱いを受け続けてなお、自らの力を振るって他者を従わせようとしない。
ヤケクソで多少暴れてしまってもおかしくないのに。
それでも責めるのは自分ばかり、優しすぎるほどに……とても優しい人なのだろう。
こんな苦悩は、少しでも忘れてほしい。
そんな記憶は、この冷淡で薄情な、無慈悲な異界に置いていってほしい。
「今日くらい、飲んで忘れましょう?」
それは気休め程度かもしれないが、手軽で悪くない対処だと……女は考えている。
負った重荷も負い目も、たまには酔いの渦巻きに捨てて、忘れて、気楽に……
日頃から飲んでばかりの女だが……いや、だからこそ、少しは意義のある酒を勧められるのかもしれない。
「まあたいてい飲んでんだけどさ、今日は特別……だよな、今日は一人じゃないし、最後の晩餐か」
男は勢い良く転がってベッドから降り、『保食璧』を手に……様々な酒と珍味を続々取り出した。
「お姉さん、一緒に飲んで……くれる?」
「もちろん、喜んで」
最後の晩餐。
苦闘の末の裏切りを知りながら難を受け入れようとする者ではなく、
受け続けた苦難の果てで救いの手を受け入れようとする者のために、
酒を酌み交わす二人がいた。
いびきをかいて眠る男に、女が寄り添っている。
次に目覚めるときには、この異界のことなど忘れて、充実した日々を…………願わくば。
飲み過ぎたのか、ひどく感傷的になりながら。
女は銃口を腿の上で眠る男の脳天に当てて、空いた手を男の閉じた眼の上に添えて……
引き金を引いた。