標的の人と、いつものおんな
ちょっと風味が違うけど、これはこれで……美味しい!
香りも味わいも後味のキレも、何にしても……街で飲んだ酒とはレベルが違う!
『礎界』の炭酸ワインに近いレベルかも? 癒やされる!
「あの、できたら……お代わりくださいな」
女は逸る心を必死に抑えて、少し遠慮がちに空の杯を差し出した。
「ああ、それは構わねえけど……」
男は片手で杯を差し戻してから円盤を操作し、片手では持て余しそうな大きさのピッチャーを出した。
そうか、この円盤? が……あの人達が言ってた『保食璧』か。
何か粒子が集って、それらの一部が高く励起されて……
そのエナジーを基にして、原子が造られたのか、他次元から物質が移送されてきたのか……傍目には原理が分からないけど、これは確かに便利そう。
持って帰りたくなっちゃう。けど我慢。
「で、飲みながらでいいんだけどさ……結局お姉さんは何しに来たの?」
男は話しつつ、ピッチャーから女に酒を注いでやる。
あの人達にとってはこの『保食璧』こそが重要で、これを壊さずに彼だけを除きたいのだろう。
話しぶりからすると、あの人達はおそらく……戦略兵器クラスの破壊力を持つ武具を隠している。周囲の被害を承知の上でそれを使えば、彼を殺害できると踏んでいるのだろう。
ただ、そうすると彼の持つこの道具も壊れてしまうから……それは避けたいのだろう。
それで、彼の命に関係なく、ただこの宝具さえ取り返せれば良い、と…………
「そうですね、詳しく状況を話すと長くなります……簡潔な話がお好みですか?」
そこまで言って、女はまた杯を空けた。とても満足そうに。
胸の内はまだ明かさない。
そして、私にとっては……そんな宝具よりも、彼……この『遣体』こそが重要。
彼ほどの……高レベルでの素養付与を受けたにもかかわらず、未調整でこれだけ穏やかな気質を有している『遣体』……
彼のような『遣体』は……もっと危機的な、その能力と人格を活かせる、そして……もう少し当人の活躍が報われる異界へ……派遣されるべきだと思う。
「まかせるよ……長く話したいなら、全部聞いてもいい。あ、お代わりいる?」
そう答えた男の目に光は無く、顔には諦めの色が濃く……その背中はまた煤けていて。
このレベルの『遣体』をこんなところで雑に使われて、傷物にされるのは惜しい。
レアモノをこんな異界で壊されたら、もったいない。
もう壊れてるんでなければいいけど。
「心という器は、ひとたび…………ぇ?」
追加の酒を注いでもらいながら、女は妙なことを呟きかけた。
それは本人にも不可解な言葉だったのか、女は首をかしげながら口を止める。
「あん、どうかしたか?」
「いえ、ごめんなさい何でもないの」
女は物言いを誤魔化すかのように勢い良く酒を呷った。
ああ、あれが出ちゃった……のかな。
「なあ、さっきから飲んでばかりだけど、つまみはいらないのか?」
「喉が乾いてたからまだ大丈夫、お気遣いありがとう」
「あんまし飲みすぎんなよ……まあ俺が言えたことじゃねえけどさ」
見栄えのしない男が、少し赤い顔で力なく笑う。
取り繕った様子も見えない。下心もまるで無いらしい。
本来、本当に根の穏やかな、優しく正しい人なのだろう。
こんな人が現地の人々に疎まれて過ごしているのを実感するのは、あまり気分の良いものじゃない。
依頼の出所や行動についての要望はともかく、この異界から彼……この『遣体』を回収すること自体は、とても意義深いように感じる。
「さて、喉も潤いました……私の話を聞いてくれますか?」
そう言いながら、女はようやく杯を手放した。
「うん、で……Youは何しにここへ?」
「お前を殺す」
まるで売り言葉に買い言葉……男の言い回しに釣られたように、女の過激な台詞が口をついて出ていた。
「あっいえ、まあ間違ってはないのですが……」
女は、そんな乱暴な言葉をかけるつもりではなかった。
どうやら、男の妙な言い回しがその一言を引き出してしまったらしい。
少しきまり悪そうに苦笑する。
また……今日は、そういう日か。
「……そっか、どうしようかな」
しかしそんな強い言葉を向けられた男の反応は、淡々としていた。
「それは、復讐というか……拷問とか、苦しめる系?」
「そんなつもりはありません。これ以上貴方に苦しんでほしくないので……」
まるで生への執着を感じさせない男の声と、これから人を殺そうという意思を感じられない女の声。
「苦しんでほしくない、か……それなら、いいかな」
「いい、とは? 遠慮しておく、ということですか?」
「いや……もう未練もないし、本当に苦しまないなら……殺してくれていいよ」
男は乾いた笑みを女に向ける。
「あっごめんなさい、その前に一つだけ……あの姉妹はどこに?」
「ああ……あいつらなら、うるさかったから縛って地下の牢に閉じ込めたよ」
「殺さなかったのですね、やはり貴方は」
優しい人。そこまでは口にせず、女は微笑む。
地下なら、大声を出さなければここでの話し声も漏れ聞こえないだろう。
ある程度、こちらの素性を明かして……平和裏に事を済ませようかな。
女はリボルバー式の銃器……おそらくこの異界では、銃の原型となる火砲が発明された頃……ここにはまだ存在しない形状の銃を手にして男に見せた。
「これは……この世界の人間じゃないってことか?」
男は女の素性と、銃器を見せた意図をすぐに理解した。
「簡単に言えばそういうことです。それが分かるなら、これなら苦しまないこともおそらく分かる……でなくても、なんとなく想像はできますね?」
男が『遣体』である以上、それが示す女の能力の程度はよく分かるはずである。
「ああ、信じられそうだ……最期に一つだけ、頼んでいいか?」
「私にできることなら。誰かへの言伝ですか?」
常識的な範囲のことなら、叶えてやろうと女は考えている。
「俺にそんな相手はいないよ」
男は自嘲的に笑ってみせた。
「お姉さんに膝枕してもらって、できたらそのまま殺してほしい」
「は?」
ベッドに腰掛けた女の太腿を枕にして、男は横になった。
女は男の安らかな顔を見下ろして、安らかでない心地でいる。
顔近……やっぱこれ若干やだな…………早めに殺ろっかな……
と、銃器を手に取り……処理用の弾丸『六柱緑弾』を装填しようとしたところで、下から嗚咽が聞こえてきた。
もちろんそれは、腿に乗せた男の頭から発せられたもの。
「あったけえ……ぐッ、グヒ…………あったけえよ……」
あからさまなほど、まさしく感極まったという表情。声。
ぼろぼろと零れる涙。
精神的にかなり参っているのだろうか。
話くらいはもう少し聞いてやってから、優しくしてやってから殺ったほうがいいか。
不安定な状態で『霊体』だけ切り離すのは、リスク高いし。