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思い出のかくれんぼ

作者: 雨宮ヤスミ

 

 

 これは、わたしが大学生のころ経験した本当にあった話です。


 当時のわたしは教師になる夢を持っており、子どもに関わるアルバイトがしたい、と夏休み限定で地元の学童保育で働いていました。


 その学童保育は小学校の施設を使っていて、子どもたちは教室に集まって宿題をする時間のほかは、図書室で本を読んだり、校庭で遊んだり、わたし達職員の企画したレクリエーションに参加したりして過ごしていました。


 わたしは国文学科に在籍していたこともあり、子どもたちにお勧めの本を紹介したり、低学年の子たちに読み聞かせをしたりして、楽しく働いていました。


 ただ、一つだけ気になることがありました。それは、この学童保育の責任者のS先生から言われた言葉です。


(子どもたちは自由に遊ばせていいけれど、一つだけやらせてはいけない遊びがあるの)


 花火だろうか、それとも水遊びに気を付けろということだろうか。そんな風に考えていると、S先生の口から出たのは意外な遊びの名でした。


(かくれんぼだけは、絶対にさせないでね――)




 学童のアルバイトをしていた中で、一番よく話したのは翼くんという男の子でした。


 大学は違うけれど同学年で、どことなく馬が合ったのでした。


 わたしはあまり男の人と付き合ったりしたことがない方でしたけれど、翼くんとは何故だか緊張せずに話せました。


 少し痩せていて背の高い翼くんは、子どもたちからは「翼先生」と呼ばれていました。


 翼くん自身はあまり子どもが好きじゃないのか、あまり積極的に関わっていかず、専ら図書室に詰めて、事務作業に徹していました。


 国文学科のわたしとしては悲しいことに、図書室にはあまり子どもの姿がなかったのです。女の子がたまにぽつぽつといるぐらいで、男の子の姿は皆無と言っていいぐらいでした。


「俺、あんまり子ども好きじゃないンスよ」


 長い指で器用に飾り付けの折り紙を折りながら、翼くんはボソリとそう言いました。


「でも、大人はもっと好きじゃなくって。だからこのバイトにしたンス。ほぼ大人いないし」


 だから百村(ももむら)さん尊敬ッスよ、と彼に言われるのは、少しまぶしくも感じました。


「俺だったら、絶対教師とかなりたくないッスもん。ガキの相手ばっかして65まで働くなんて大変すぎッス」

「大人の相手よりマシなんじゃないの?」


 まあまあまあ、と翼くんは誤魔化す時いつもそうするように首を振りました。


「あと、ガッコって変なルール多いじゃないッスか」

「変なルール?」


 わたしが折ると、折り紙は翼くんがやるようにはうまくいきませんでした。どうしても、どちらかの辺がずれてしまいます。相槌を打ちながら、わたしは慎重に角を合わせ直します。


 話しながらも、翼くんの折り紙の制作ペースは早く、もう10個もお花ができていました。わたしなんてまだ1個目の途中だというのに。さすが芸術系の大学に通っているだけあるなあ、と密かに感心していました。


「例えば、シャーペンは小学生の間は禁止とか、髪の毛は何センチまでとか、そういう意味不なルールッスよ」

「確かにね……。まあでも、シャープペンシル禁止は筆圧のコントロールを覚えさせるためだったり、頭髪は自由過ぎるとやっぱり風紀の乱れを招いたりと、線引きにも理由がちゃんとあるんだよ」


 講義の受け売りみたいになっちゃったな、とわたしは内心後悔しました。翼くんは説教じみた話を嫌うので。


 嫌がるかな、とわたしが不安に思うのとは裏腹に、翼くんは「はー」と感心した様子でした。


「ちゃんと理由あるンスねェ……。そういうの、ちゃんと教えてくれる人ならいいンスけどねェ……」

「何か含みのある言い方」


 これでばっちりかな、とわたしは折った折り紙を持ち上げて角の合いを確かめました。少しズレているようにも見えましたが、さっきよりはマシだと判断して次の手順に目を落とします。


「いやあ、世の中百村さんみたいな先生ばっかじゃないって話ッスよ」

「わたしまだ先生じゃないよ」


 苗字が百村なので、わたしは子どもたちから「モモちゃん」と呼ばれていました。


 子どもはあんまり好きじゃなくて別に教師になる気もない翼くんが「翼先生」で、教職課程のただなかにいる教師の卵のわたしが「モモちゃん」なのは、釈然としないものを感じますが、それだけ慕ってくれているのだと解釈することにしました。


「子どもたちにもそう呼ばれてないし」


 だから、少しだけ僻みが入っていましたが、翼くんは気付かないようでした。


「ほら、あるじゃないッスか。この学童の謎ルール」

「かくれんぼ禁止?」


 そッス、と翼くんはうなずきました。


「あれこそ謎ルールの極みッスよねー。禁止してる遊び、っていうからには、もっとこうイケない遊びかと思うじゃないッスか」


 シンナーとか、と教育上とてもよろしくない遊びの名前が出たので、わたしは問答無用で翼くんの頭をはたきました。もちろん、軽くですが。


「今の体罰じゃないンスか、百村先生……」

「露悪的な態度なんて時代遅れよ。だったら、わたしも前時代的な指導法を取るってだけ」


 まあまあまあ、と翼くんは笑って首を振りました。


「とはいえ、確かに謎のルールだよね。特に理由も教えてくれなかったし……」

「カマキリって、問答無用っぽいッスもんね。それこそ前時代的な」


 S先生のことをカマキリと陰で呼んでいるのは、わたしの知る限り翼くんだけです。


 逆3角形の顔にメガネをかけた人に「カマキリ」ってあだ名をつけるのも、よっぽど前時代的で使い古された記号だと思うのですが、そこを指摘しても仕方がないので、わたしは流すことにしました。


「なんで、この間俺問い詰めたンスよ」

「問い詰めたの? 責任者を?」


 芸術家は明日のことを考えないものなのかもしれません。


「そしたら、めっちゃ単純な理由だったンスよ」

「単純?」


 ウッス、とうなずいて翼くんは教えてくれました。


「どうもね、何年か前にこの学童でかくれんぼをやった時、隠れるのが上手すぎて見つかんなかった子がいたらしいンスよ」


 その子は結局、夜の20時ごろまで見つからず、大騒動になったということです。


「結局、校舎の中で隠れくたびれて寝てたのが見つかったンスけど、管理体制がどうので、こっぴどく怒られたらしくて……」

「あー、だからそういう事故が起こる可能性があるかくれんぼは全面禁止になった、と」

「そッスそッス」


 問題が起こるならば一律に規制してしまえ、というのは乱暴な論に見えますが、予算も時間もマンパワーも何もかも足りない教育現場では、よく行われる処置ではあります。


「横暴ッスよねェ……」

「子ども1人1人の理解力も違うし、説明するのは難しいから……」


 学童保育は、ただでさえ年齢に幅があります。しかも、子どもの1歳の差は大人が考えるよりもずっと大きいものです。低学年の子にまできちんと説明して理解してもらおうとすると、時間がかかってしまいます。


「高学年の子だったら、使う場所とか区切ってだったら全然できるんじゃないッスかね」

「翼くん、その考え子どもたちに言ったりしてない?」

「え、昨日言いましたけど、何か問題でも?」


 言ったの!? と思わずわたしは手にしていた折り紙を取り落としました。


「駄目だって、Kくんとか絶対やるじゃん!」


 Kくん、というのは学童に預けられている子たちの中で、一番やんちゃな男の子でした。小学5年生で、小さい子の面倒見もいいのでそこは助かるのですが、「ダメ」と言われたことほどやりたがってしまう性質でもありました。


「何で禁止なの、って聞かれたんで言ったンスけど、まずかったッスかね?」

「まずいって、絶対今やってるでしょ、それ……。S先生が見たら怒るよ?」

「カマキリ、今日は来ないって話じゃないッスか。バレなきゃいいンスよ。それに場所を区切ってるんなら、8時まで見つかんないってことはないでしょう」


 そんなルール守るかな、とわたしはKくんの顔を思い浮かべました。


 大学で出会った関西出身の子が、「ごんた」という言葉を教えてくれました。向こうの言葉で「聞かんぼう」とか「いたずらっ子」という意味だそうです。


 Kくんのスポーツ刈りによく日焼けしたはしっこそうな顔は、「ごんた」そのもののようでした。


「見つけたら注意しておくわ」

「でも、職員側の言ってることが割れたら、子ども混乱しません?」

「あんたが混乱させてんでしょうが」


 もう一度、わたしが教育的指導を見舞った時でした。


 図書室のドアが開いて、「モモちゃーん」と声がかかりました。


 ドアのところに立っていたのは、Tちゃんという女の子でした。


 Kくんと同学年で、真面目な女の子です。彼らからは告げ口屋と言われていましたが、わたしも昔はTちゃんみたいな小学生だったので、勝手にシンパシーを覚えていました。


「聞いてよ、Kくんたちがかくれんぼしてて!」

「ほらー」


 まあまあまあ、と翼くんは両手を挙げました。


「ちょっとわたし注意してくるから」


 本当はそんな必要ないのかもしれません。Kくんたちが翼くんの言うように範囲を決めて遊んでいるのなら。だけど、「かくれんぼをしてはいけない」というのはこの学童のルールです。ルールを破らせて放置するのは、全体の秩序を考えるとよくないことだと思います。


「ああ、そうッスか。じゃあ俺留守番してるんで」


 本当は翼くんに責任を取らせないといけない場面でしたが、彼がそういうことをしてくれる人じゃないのは短い付き合いの中で分かっていたので、その押し問答をする労力を省いて、わたしが行くことにしました。




 Tちゃんに先導される形で、わたしは学校の校門の方へ向かいました。


 校門の真ん前には大きなフェニックスの木が植えられていて、その傍に池がありました。


 どうやらKくんたちは、その辺りでかくれんぼをしている様子でした。4、5人の男の子たちがたむろしています。


「こらっ!」


 そう声を掛けたのはわたしではなくTちゃんでした。わたしはそのせいで声を掛けるタイミングを失ってしまいました。


「あんたたち、ルール破って遊んで! モモちゃん連れてきたからね!」


 Tちゃんは勝ち誇った様子でした。ただ、S先生ならともかく、わたしに彼女に貸せるほどの「威」があるとは自分でも思えないのですが。


「かくれんぼしてるって聞いたけど、そうなの?」


 Tちゃんがエキサイトしているので、わたしは逆に冷静に尋ねました。


 男の子らはバツが悪いのか顔を見合わせたりしていましたが、代表するようにAくんが進み出てきました。彼はKくんの親しい友人の1人です。


「Kが、別にやっていいって聞いたからってはじめて……」

「じゃあKくんが人を殺していいって言ったら殺すんですかー?」


 Tちゃんにちょっと下がっているように言ってから、わたしはAくんに尋ねました。


「そのKくんはどこ?」

「今隠れてる。Eが鬼で探してる。俺らは見つかったからここにいる感じ」


 Aくんが言うには、このフェニックスの木がかくれんぼのスタート地点で、「校門は出ない」「校舎の周辺はいいが中には入らない」「運動場にも行かない」など、細かくルールを決めてあるようでした。


「あと、S先生がいる時はやらないし、来たらやめる」


 確かに懸命だな、とわたしは内心で感心しました。Kくんもわたしが思うほど馬鹿ではないようです。


「だからって禁止は禁止でしょ?」


 Tちゃんが口を挟んできます。


「お前、関係ないだろ! 俺らがモモちゃんと話してんだよ!」

「そうだよ、T黙れよ!」


 ちょっと落ち着いて、とわたしは何とかどちらもなだめました。


 それに苦労している間に、ひょっこりと鬼のEくんが顔を見せました。


「あれ!?」


 Eくんは辺りを見回してひどく意外そうな顔をしました。


「Tのヤツがモモちゃんに言い付けやがったんだよ」

「注意してもらうために呼んできたの!」


 じゃなくて、とEくんは後ろ頭をかきました。


「K、こっち来てないの?」


 え、と子どもたちが顔を見合わせました。


「どういうことだよ?」

「いや、俺全部の茂みとか木の裏とか見たんだけどさ、全然いないんだよ。だから、Kにタッチされたかと思ってさ……」


 かくれんぼのスタート地点に隠れる側がタッチすると、見つかった子たちが解放されるルールのようです。かくれんぼというよりも缶蹴りのような感じでしょうか。


「え、じゃあKまだ見つかってないってこと?」

「あいつ、校舎の中行ったんじゃない?」

「そんなヤツじゃないよ」


 Aくんがそう強く言いました。


 何だかわたしは嫌な予感がして、男の子たちに尋ねました。


「Kくんを、かくれんぼ中に見た人いる?」

「何? モモちゃんもやる?」


 じゃないでしょ、とAくんが一言言ってから応じました。


「校舎裏の方に行くのは見たけど、俺はその手前の茂みに隠れたから……」


 それが合図になったように、子どもたちは口々に自分の隠れていた場所を発表し始めました。


「俺はそこの池の陰」

「校門の柱のとこ」

「向こうの花壇の後ろ」

「僕はスタート地点の裏。すぐ見つかった」

「俺は鬼」


 知ってる、とEくんの言葉にみんな少し笑いましたが、何となく不穏な空気が子どもたちの間に流れていました。


「じゃあ、Kを見たのはAだけってこと?」

「多分。裏に回ったのは俺だけから……」


 確かにそうです。


 子どもたちの自己申告を信じるなら、みんなスタート地点からそう離れた場所には隠れていないのです。離れたところに行ったのはAくんとKくんで、その内Aくんは比較的スタート地点から近いところに潜んでいました。


「でも、今全部見てきていなかったんだけど……」


 動き回ってるんなら分かるよ、と鬼のEくんは言います。それはそうでしょう、わたしも校舎裏のことは知っていますが、せいぜい校舎から突き出た柱の陰以外には、完全に身を隠せるような場所はないからです。


「祟りだ!」


 だしぬけにTちゃんが大きな声を上げました。あまりにも突然だったので、わたしは思わず「わっ!?」と言ってしまいました。


「昔、この学童でかくれんぼ中に行方不明になった子の祟りだ! Kくんは幽霊に連れ去られたんだ! だからS先生は禁止って言ったんだ!」


 そうでしょ、とTちゃんはまくしたててきて、わたしは怯みましたが何とか「落ち着いて」と彼女の肩を叩きました。


 真面目過ぎる学級委員長タイプかと思っていましたが、まさか霊感少女も兼任していたとは。感じていたシンパシーが大きく減りました。


「確かに行方不明になった子はいたけど、ちゃんと見つかってるから……」

「ほら、行方不明になった子がいたんだ! やっぱり祟りだ! Kくんは死んだんだ! あんたらがかくれんぼなんてやるから!」


 Tちゃんはほとんど狂乱していて、話を聞いてくれません。そうして泣きわめくから、その不安が伝染したのでしょう、男の子たちも動揺しています。


「え、どうする? マジだったら……」

「でも、言い始めたのKだしさ……」

「いや、Kは心配だけど、責任の方はモモちゃんとかの監督責任になるだけだから」


 こまっしゃくれたことを……。でも、確かにそうなのです。Eくんの言葉がずきりとわたしの胸を刺しました。


「こんなところに集まって、どうかしたの?」


 そこへS先生が帰ってきました。最悪のタイミングでした。


 すぐにTちゃんが駆け寄って「先生!」とすがったのですから。




「2人への注意と叱責は後にするわ」


 学童で預かっている子どもらをひとまず図書室に集めた後、バックヤードに使っている隣の準備室で、S先生はわたしと翼くんにそう言いました。


「とにかく、Kくんを探しましょう。わたしはここに残って子どもたちを見ています。2人で探しに行って!」


 ほら早く、と急かされるようにしてわたしと翼くんは準備室を出ました。


「申し訳ないッスね、ホント。俺のせいで百村さんまで怒られちゃって」


 流石に翼くんも堪えたようで、そう謝ってくれました。


「いいよ、そんなの。今はKくん探さないと……」


 ていうかさ、とわたしは翼くんを横目で見ます。申し訳なさそうなことは言っていましたが、さりとて普段と表情はあまり変わらないようでした。


「翼くん、Kくんに言ったんだね。かくれんぼのこと」

「あの、ちょっと百村さん怒らないでほしいンスけど……」

「いや、怒ってないよ。ただ、ちょっと珍しいなと思って」


 図書室によくこもっている「翼先生」に話しかける子は少ないのです。特にKくんは、翼くんが彼の好むタイプの男の人ではないので、露骨に避けているところがありました。


「いや、あのね、そういうことじゃなくて、これから怒るのをちょっと控えてほしい、って話で……」

「何それ? まだわたしを怒らせるようなことをしてるの?」


 まあまあまあ、と翼くんは首をふりふり、こう言いました。


「あの、Kくんって、どんな顔してたッスかね……?」

「え……?」


 ぴたり、とわたしは足を止めてしまいました。


「翼くん、覚えてないの?」

「ええ、まあ……。ガキ……じゃないや、子どもに限らず人の顔覚えるの苦手なンスよね……」


 暴言が聞こえた気もしましたが、それにかかずらっている場合ではないので、話を進めます。


「でも、昨日話したんじゃないの?」

「誰と?」

「Kくんと、かくれんぼを何でしちゃいけないかって話をさ……」


 いや? と翼くんは首を傾げました。


「ほら、あの子ッスよ。図書室の片隅にいつもいる、痩せた背の低い男の子……」


 Kくんは小学5年生にしては体格がいい方です。それに、彼のことを言うならば、まずスポーツ刈りで日焼けしていることに言及するでしょう。


 そもそも、図書室に男の子が来ることはほぼないのです。もし、いつも図書室にいるのであれば、わたしの記憶にも留まっているはずでした。


「そんな子、わたしも知らないんだけど……」

「え、百村さんが名前覚えてないンスか。じゃあ、俺が覚えてなくてもしょうがないッスね」


 いや、そうじゃなくて。言いかけて、わたしはその打消しの言葉を飲み込みました。


 今、頭に浮かんだ考えは、さっきのTちゃんが叫んだ言葉とオーバーラップして、わたしの心の中に反響していきました。


(祟りだ――)

(幽霊に連れて行かれたんだ――)


 百村さん、と名前を呼ばれて、わたしは我に返りました。大丈夫スか、と翼くんがわたしの顔を覗き込んでいます。


「……ううん、何でもない。」


 とにかく今はKくんを探さないと、とわたしは彼の先に立って歩き始めました。


 ただ、心の中ではKくんはもう見つからないのではないか、という予感がしていました。




 学童保育が終わる時間になっても、Kくんは見つかりませんでした。


 わたしと翼くん、更に夏休みでも学校に詰めていた事務員さんや警備員さん、先生方の手も借りましたが、全く見つかりませんでした。


 とにかく子どもたちを帰したころ、一本の電話が鳴りました。


「……はい?」


 電話を受けたS先生は、訝し気に眉をしかめました。


「いえ、来ていましたけれど……。はい、お話しできますか……? はい……」


 そこからS先生はしばらく話し込み、そして受話器を置いてこちらに向き直りました。


「Kくんのお母さまからでした」


 職員室に集まっていたわたしたちや、事務員さん、先生方の間に言葉にならない動揺が走ったのが分かりました。


「Kくん、お家のベッドで寝ていたそうです。でも、百村さん。今日、来ていたのよね?」

「あ、はい……。出欠簿にも名前があると思います。子どもたちも、一緒に遊んでたって何人もが……」


 確認すると、筆圧の濃い強烈なクセ字でKくんの名前が記されていました。


「え、つまり、その、かくれんぼの最中に飽きて家に帰っただけ……?」

「……どうやら、そのようです」


 学校の先生の質問に一瞬考えた後、S先生がうなずくと、今度は安どの空気が流れました。


「いやあ、何事もなくてよかったよかった!」


 誰かがそう言って、ようやくわたしは安心できました。とは言え、一度は預かっていた子どもを見失ってしまった責任はあるので、こっぴどく怒られはしましたが。


 翌日、何事もなかったように学童にやってきたKくんに、わたしは尋ねました。


「昨日、どうしてかくれんぼの途中に帰ったの?」


 え、とKくんは一瞬首を傾げて、「帰りたくて帰ったんじゃない」と謎のようなことを言いました。


「校舎の裏の柱の影にさ、ずっと2人で隠れてたんだよ。そしたら何か眠くなって……」


 気がついたら自宅のベッドの上で寝ており、仕事から戻ってきたお母さんに「学童サボったの!?」と怒られたそうです。


「サボるわけないじゃん、って話でしょ。家にいるよかいんだからさ」


 ったくオカンはよお、と子どもながらに愚痴るKくんに、わたしは「もう一つ聞いていい?」と尋ねました。


「2人で隠れてたって言ってたけど、誰と……?」

「誰って……」


 眉間にいっぱいにしわを寄せて、Kくんは首を傾げました。


「誰だっけ、あれ……。ほら、いっつも図書室にいる、痩せたやつ……。何て名前だっけ……」


 ああそうだ、と手を打ってKくんは顔を上げました。


「S先生に言っとかないと。かくれんぼやろうって言い出したの俺じゃなくてそいつだ、って!」


 めっちゃ怒られるだろー、ちゃんと言っとかないと。屈託なく言うKくんに、わたしは曖昧に笑い返すしかできませんでした。


 図書室にいつもいる、痩せた少年。翼くんが、かくれんぼについて話したと言っていた子と特徴が一致しています。


 でも、そんな子はこの学童保育にはいないのです。


 その後、この学童保育ではかくれんぼで遊ぶ子は出てこず、Kくんが一瞬行方不明になった事件も、一夏のエピソードとして過ぎ去って行きました。


 けれども、あの日かくれんぼをやろうと言い出した男の子の正体は、全く分からないままでした。


 あれから5年以上が経ち、わたしも社会人になりました。


 教員として勤務する今でも、どこか心の隅に引っかかり続けています――。




  ◆ ◇ ◆




 スマホの画面から顔を上げると、キャビネットの上に置いた鏡が目に入った。


 ベッドの上からは、角度的に自分の姿は映らないが、きっと青ざめていることだろう。


 まあまあまあ、とかぶりを振って花井ツバサはスマホをベッドの上に放り出し、自分もその体を投げ出した。


 ――どういうつもりだ。


 ツバサのスマホに映っていたのは、小説投稿サイトだった。誰も投稿できるこのサイトに掲載されている作品は、ほとんどが石ばかりの玉石混交であったが、それ故にたまに「当たり」を見つけると嬉しくなるので、ツバサは暇な時によく閲覧していた。


 この作品に行き着いたのは偶然だった。


 ツバサはホラー作品は避けていたのだが、これは検索避けがされていなかったのだ。


 書き出しから避けるべきであったが――、ついつい読んでしまい、そしてみるみるうちに顔を青くした。


 作者は「百村」、投稿作品も去年に書かれたこの1作品だけ。この投稿サイトにはブログのような機能を持つ「近況報告」があったが、そこの投稿は0。その他の痕跡もなく、完全にこの作品のためだけに作られたアカウントのようだ。


 ――今更こんな話を、ネットになんか投稿して。


 ツバサはスマホから顔をそむけるように、寝返りを打った。


 作者の「百村」にも、書かれたこの物語にも、ツバサは心当たりがあった。


 フェイクは混ざっているが、5年前、あの学童保育のバイトであった出来事じゃないか。


 伏せ名で書かれているすべての人物に、ツバサは心当たりがあった。


 というか、自分なんて実名で出ている。


 ――モモコのヤツめ。


 性別を変えるぐらいなら名前を変えろよ。それとも、ああいう俗世間から離れたような美大生とひと夏の恋でも楽しみたかったのか?


 そう思い、同時にそんなことを考えられるぐらい余裕がある自分に安心もした。


 だってあの事件は、何の被害もなくハッピーエンドでなんて終わっていないのだ。


 あの作品に含まれている「フェイク」は、ツバサの性別や学童保育のバイトの人数など、細かいところを省けば大きく2つあると言える。


 まず、Kくんに当たる少年が発見された状況だ。


 物語の中では当日に自宅で無事に見つかったとされていたが、本当は違う。


 行方不明になった翌日、夏休み中施錠されていた運動場の倉庫の中で、土まみれになってぐったりしているところを発見されたのだ。


 生きてはいたが、結局意識は戻らず、あの少年は今もそのまま入院していると聞く。


 もう一つは、S先生に当たる人物――学童の責任者のことだ。


 元小学校教員だという、子どもにもバイトにも指導の厳しいあの老婦人がたどった顛末だ。


 Kくんに当たる少年が行方不明になった知らせを受けて、学校にやってきたS先生は、ツバサたちアルバイトと職員を呼び集め、こう言った。


(すぐに見つかります。すぐに見つかりますから、どうか動揺しないで)


 どこかこわばった顔でそう繰り返すと、自分の携帯電話でどこかに電話をしていた。


 しばらく経った後、黒い自動車が3台、学校の校門に乗り付けてきた。


 中からできた男たちと言葉を交わすと、S先生は車に乗り込み、行ってしまった。


 そして、そのまま戻ってこなかった。


 ずっと、戻っていないのである。


 あの学童保育は夏休みを残して解散となり、ツバサたちは働いた日数分のバイト代は入ったものの、なんとも整理のつかない気持ちで以降過ごすことになった。


 ――あの時。


 ツバサは軽く目を閉じると、脳裏に焼き付いた映像を思い返す。


 黒い車がやった来た時、ツバサはこっそりとS先生の後ろをついて行った。そして、車に乗っていた男たちとS先生の会話を断片的ながら盗み聞きしたのである。


(出てしまいましたか……)


 上役らしい男の1人は、溜息と共にそう言った。サングラスで隠されているのに、その表情が悲嘆に暮れていることが分かるほどに、意気消沈していた。


(ええ。最早、起こってしまったことは仕方がありません――)


 強張っていたS先生の顔は、逆に穏やかにさえ見えた。それとは反対に、車の男たちは皆俯いたり首を振ったり、どこか無念そうな態度であった。


(先生が、なさる必要があるんですか?)

(何を言いますか。これも担任の、教師の務めです)


 ぴしゃりとS先生は言い切った。


(それに、この老婆の命で未来ある子どもが助かるならば、それが一番です)


 それが、一番なのです。


 S先生のその言葉は、今もツバサの耳の奥に残っている。


 ――そして。


 学童保育が解散した後も、ツバサは一番仲の良かった岩村モモコとは連絡を取っていた。


 教員志望のモモコは、S先生によく懐いていたから、事件には大きなショックを受けていた。


 一時期は塞ぎ込んでしまって、心配したツバサは何度か彼女の下宿を訪ねた。


(あんなことがあったのは、わたしのせいなんだよ……)


 事件から1年ほど経った頃、モモコはこんなことを言った。


(わたしが、『アレ』と話してしまったから……)


 アレ。


 モモコが悔し気に話したのは、物語でいう「図書室の痩せた少年」のことだ。


 物語ではツバサが会ったことになっていたが、本当はモモコが出くわしていたのだ。


 そして、「かくれんぼはしてもいい」と言ってしまっていた。


(わたしが許可したから、アレはかくれんぼを始めたんだ。そしてあの子は寝たきりになって、先生は――)


 あの事件以来、S先生の痕跡が全く消えてしまったわけではない。


 その年の8月31日、夏休みの終わる日に、学童保育の行われていたあの小学校に、1通の封筒が届いたそうだ。


(その中に、入っていたのよ。爪と歯が――)


 血まみれで少し変色し、微量の土がついていたその6つの爪と4本の歯は、鑑定の結果S先生のものに間違いないと分かった。


 ――モモコ。


 ツバサはベッドの上で身をよじり、投げ出したスマホを手に取った。


 画面はブラックアウトしている。スリープ状態になったのだろう。


 あのサイトは、作者にメールを送ることができる。もう一度、あの物語を読む気にはなれないが、モモコに連絡を取るべきかもしれない、と思ったのだ。


 あの事件から1年半ほど経った冬のある日、それがモモコと会った最後の機会だった。


 事件からずっと暗い顔のままのモモコは、あの時ぽつりと言った。


(教員になるの、やめようと思うんだ。わたしには、先生みたいにはなれないから――)


 教職課程の単位を取るどころか、大学も休みがちになっているとモモコは言った。


(もう駄目なんだよ、わたし。どうしたってあの時のこと考えて、辛くて――)


 カフェで泣き出したモモコを、ツバサは慰めることができなかった。どう扱っていいのか分からず、やがて連絡も取らなくなってしまっていた。


 そのモモコが、こうしてあの出来事を題材に物語を書き、ネットに公開している。


 きっと、向き合い始めたのだろう。心の奥底に隠してしまおうとしていた、恐ろしくて奇妙な、そして辛い記憶と。


 リンクからメールフォームを立ち上げて、ツバサはしばらくスマホに向かった。


 また会おうよ、モモコ。わたし達は次に進まなきゃならない。今、何してるか分からないけれど、多分子どもに教えたりするのあんた向いてるんだから――。




 長文をつい打ち込んでしまった。モモコは見てくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。


 スマホを傍らに置いて、ツバサは大きく息を吐いた。


 ――そんなに早く返信が来るわけないけど。


 そう思っていると、不意にスマホが震えた。


 メールが来ている。かつてのモモコのアドレスからだった。


 まさか。


 急いでそれを開き、そしてツバサは息を呑んだ。


 メールには、一言だけこう書かれていた。




 「まあだだよ」




 たった5文字の言葉であったが、そこに込められたものは分厚く重たく、それが手の中に滑り込んできたようで、ツバサは思わずスマホを取り落としそうになった。


 終わっていないのか、モモコ。


 お前の中で、あの事件は終わっていないのか。それとも、あのかくれんぼをする「何か」は、どこかでまた同じようなことをしているとでもいうのか。


 スマホの画面から顔を上げると、またキャビネットの上の鏡に目が行った。


 部屋の白い壁を映しているその鏡面に、ぼんやりと人の顔のようなものが浮かんでいる気がした。




〈思い出のかくれんぼ  了〉

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