5 線路の上で
もしかしたら停止しているのはあの電車だけで他の世界は動いているのかもしれない。
という疑いは次の駅に到着して消えた。
さらに次の駅を通過して完全に消えた。
線路から見上げる駅のホームにいる人達が皆、動かず固まり、停止してたからだ。
電車が通る事も当然なかった。
車内で異変に気付いた時、スマホの時計は16時過ぎだった。今時計を確認すると18時02分。もう二時間近く経ってる事になる。
太陽は変わらず、柔らかい光を地上に注いでいる。
たぶん、おそらく、ほぼ間違いなく、時間が止まっている。
スマホの時計は動いてるから「時間が止まっている」って言い方でいいのか分かんないけど、とにかく、本来活動しているべき事象が停止している。
それまでお互いほとんど喋らずに歩き、自分の最寄り駅が近付いて来た頃に俺は円山に話し掛けた。
「やっぱさあ、時間、止まってるよね」
「うん」
「風も吹かない」
「うん」
「いいんかな」
「ん?」
「大丈夫なんかな」
「大丈夫、って?」
「いやほら、風が吹く、とかさ、水が流れる、とか、太陽が動く、とか、そういうのがあるからこそ、自然は保ててるっていうかさ、調和してるっていうか。風が吹かないとかだと、何かこう、すげーまずい事になりそうじゃない?」
自分でもまとまってないような考えが、急に口をついて出て来た。
何で俺こんな事言ってんだ?
俺のそんな話を聞くと円山は言った。
「知らん」
そらそうだ。そら「知らん」だわ。
「うん、知らんよね」
別に何か話さなきゃ、と思った訳でもないし、そんな考えも元々あった訳じゃない。
何でそんな事を言ったのかまじで分からん。
人と雑談するのが久しぶり過ぎて、会話の間合いが読めない。
だめだな、俺。
だめだけど、まあいっか。
とそれきり黙ったら、ととと、って円山が俺のとこに寄って来て、俺の頬に向け手の平を、ぱたぱた、と振った。
「何?」
と俺は軽く驚いて訊いた。
「風、来た?」
と円山は上目遣いになった。
言われてみれば、ふぁふぁっと微妙に頬を風で扇がれた感触があった。
「え、うん。来た」
俺がそう答えると、今度は、円山は自分で自分の顔を扇いだ。
そして顔を上げ、
「ほんとだ」
と言った。
彼女の輪郭をなぞるように光が反射して、きらめいていた。
その様を見ていると、また、自然と言葉が口をついて出て来た。
「あのさあ、聞きたい事があって」
「何?」
「電車の中で、円山さん歩いてたじゃん? あれってさ、何で歩いてたの?」
「歩いてたって……ああ、動いてる人いないか探してた時?」
「あ、やっぱあれ、動いてる人探してたんだ」
「うん」
「え、それじゃさあ」
「うん」
「俺と会ったじゃん? あん時さあ、なんか、リアクションなかったよね」
「リアクション」
「うん。いや、俺動いてたじゃん。動いてる人探してて、動いてる人見つけた訳じゃん。そしたらその、もっとなんか、驚くとかすんのかなって、普通」
「だって動くのは当たり前じゃん」
と円山は即答した。
「いや、うん。ん? え、いや違う、そうだけど、あの電車にいた人達は動かない訳じゃん。そしたら動かないのが普通っていうか、動かない方が多数派で、動いてる方が珍しい訳じゃん。で、しかも円山さんはそれを探してた訳じゃん。そしたらそれ見つけた時、もっと驚くんじゃね? っていう風に思ったんだけど」
と俺が言うと、少し先んじて歩いていた円山は軽く振り向いて首をかしげ、
「理屈っぽい」
と言って前を向き、そのまま歩みを続けた。
いや、理屈っぽいて。
そんな話してないんだけど。受け答えになってないんだけど。
あまりに意外な返事を食らって俺は「なんかごめん」とだけ言って話を切り上げた。
あの時、円山が俺を見て驚かなかったのは、円山が何らかの事情を知っているからかもしれない、と俺は思っていた。
でも、違った。
円山も俺と同様何も分からず、ただ全員停止したかどうかを確認していただけだった。
やってる事は同じだけど、仕組みというか、システムというかそんなのが俺とは根本的に違う。
俺は家に帰るため、電車から出たいと思った。
円山は、出たいから出たい、と思ったんだ、たぶん。
高校生になって友達が出来ず、いつも一人だった。
それが嫌だとか、辛いという事はなかったけど、自分の中の世界と他の世界に隔たりが生じて、俺の自意識は外の刺激を受ける事なく俺の中で育っていった。
俺はまず家に帰るものだと思ってたのに、円山はあとでいいと言った。
風を例えに自然の調和について話そうとしたら、手で扇いできた。
何故車内を歩いていたのか尋ねたら、理屈っぽいと言われた。
少し先を歩く円山の、ワイシャツに照る太陽の光がまぶしい。
その後ろ姿を眺めていると、少しめまいを覚えたような気がした。