4 帰る
彼女は起き上がった。
俺も起き上がった。
「ごめん」
と女子高生が言った。
「いいよ」
と俺は答えた。
一応念のため、って感じで俺はスマホを出し、ニュースサイトやSNSをチェックしてみた。
しかし「時間止まってて草」みたいな投稿がある訳もなく、ネットは一切変動がなかった。
俺はスマホをポケットにしまった。
その時、ちょっと違和感を覚えた。
けど、それが何なのかは分からなかった。
九月の穏やかな日差しが線路を浸している。
今いる線路は高架上にあってここから下へは降りれない。
つまり、線路を歩いて駅まで歩かなければならないという事。
電車が進行していた方向を見ると、次の駅がかすかに見える。
「うちの最寄り駅、あと三駅あんだよな……三駅ぶん歩くの大変そうだな」
「家に帰るの?」
「えっ、うん。帰るよ。家族がどうなってるか気になるでしょ」
「そっか」
と言って彼女はスッと俺の脇を通った。
「えっ、帰んないの?」
当たり前に俺は家に帰るものだと思ってた。
人ってこういう時まず最初、帰宅する、っていう発想になるもんだと思い込んでいた。
彼女は背中を向けたまま立ち止まり言った。
「まだいい」
「え、じゃどうすんの?」
女子高生は振り返った。
「一緒に行く」
「は?」
「あたしもついてく」
「ついてくって、俺んち来るって事?」
「うん」
「なんで?」
「行くとこないし」
「家帰んないの?」
「まだいい」
まだいい、って、いや待って、それおかしくない?
あれ? おかしいよな?
おかしくないのか?
初対面でいきなり家来るっていうのは変じゃない? あれ、そうでもない? そんな事もある?
いやいやそういう事じゃなくて、停止してないのは二人だけなんだから、これはやっぱ一緒に行動した方がいいのか。だからいいのか。
でもでも、一旦解散して各自帰宅、その後にもう一回集合、みたいにしたっていい訳で、そう提案しようと思ったけど本人が家に帰らなくていい、つったからこれはやっぱ、この人の言う通り、別にうちに来てもいいのか。
そうか、一緒にうちに帰ってもいいのか。
「あっそう。じゃ、うち来る?」
「うん」
俺は女子高生を改めて眺めた。
金髪みたいな髪色に、無駄に開いたシャツの襟。腕時計やらバンドやらネイルやらでカラフルな手元。リュックを背負ってルーズソックスを履いている。でもメイクは控えめで、清潔感がある。
普通にタメ口で話してたけど、何年生なんだろう。
あれか、このタイミングで自己紹介した方がいいのか。
なんて言おう。
「俺の名前は宇田川リョウイチ、二年生。そちらは?」とか言うのか。なんか不自然じゃね、その言い方。なんか自然に言えないかな。「俺、宇田川。一応二年生なんだけど」みたいな言い方するか。それでいっか。
よし、じゃ言うか。
息を飲んだ瞬間、
「ありがとね、電車から出してくれて」
と女子高生が言った。
不意を突かれて俺は固まってしまった。
返事に窮していると、女子高生は続けて言った。
「宇田川」
くもりのない瞳で、まっすぐ俺の事を見据えている。
うだがわ。
最後に女子の声で苗字を呼ばれたのはいつだっただろう。
確か一年生の時、日直がどう、とかで、クラスの女子に「宇田川くん、黒板消しやってくれる?」的な事を言われたのが最後だった気がする。
俺の名前を呼ぶ高校生がいるなんて。
それも、こんな時に出会った人が。
「ええっ!? な、なななななんで俺の名前知ってんの???」
めちゃくちゃ動揺して俺は大声を出した。
そんな俺とは対照的に、彼女は冷静だった。
「知ってるよ」
「なななな、なんで?」
「隣の席じゃん」
言われて俺は心臓が止まるかと思った。
隣の席?
隣の席って、隣の席って事は何? 同じクラスって事?
いや同じクラスどころか、え、毎日隣にいたって事?
え、嘘じゃん。
隣の席の人、俺、知らないの?
俺って、そんな近くにいる人認識してないの?
ぼっちすげー。
いや、凄くねえよ。
「うえええええええええ!!?!?」
「うっさ」
「ごめん! えっ、まじで!? まじで隣の席!?」
「そーだよ」
「うっそまじで、それはごめんまじで。嘘じゃん、まじ?」
っていうばっかで俺はあと何を言えばいいのか分かんなくなってしまった。
向こうは知ってるのにこっちは知らないという気まずさがある中、「へー、そんで名前、何?」とか訊く事は出来ない。
って事は彼女の名前を知る事が出来ないという事で、めっちゃ気まずい。
って事はこれ以上何を言えばいいのか分からない。
何を言えばいいのか分からない俺が「いやーそっかー、それは失礼だったなー、いやーごめんねまじで」とか意味の薄い言葉しか出て来ず困っていると、
「サキ」
と女子高生が言った。
「へ?」
俺は女子高生を見た。たぶん間抜けな顔をしていたと思う。
「サキ。円山サキ。あたしの名前」
「まるやま、さき」
「そ」
と言って円山サキは踵を返して歩き出した。
俺が立ち尽くしていると、円山は振り向いて言った。
「行かないの?」
問われて俺は「あ、ああ、あはっ、ああ、うん、行く行く」とか焦った感じになって、彼女の後に続いた。