第六話 狂戦士
「ルシファーさんのところには、僕とクロスの二人で行く」
「……」
そう言われて、アゼルスは黙り込んだ。
本音を言えば、ルシファーを説得したい。
だが今の状況的にそうはいかない。
アゼルスはフォーネと向き合わなければならないのだ。
助けを求めるフォーネに怯え、逃げ去ったことを償わなければならない。
今一番フォーネの側に行くべきなのはアゼルスなのだから、ルシファーの元へ行く暇はない。
おそらくフィクスも分かっているのだろう。
「…ルシファーがもし本当に…」
そう言いかけて、アゼルスは口を閉じた。
もし本当に闇に堕ちていたなら。
そんなことを言葉では言いたくなかった。
「ごめんなさい、まだ彼を信じたいの」
「…気持ちはわかります」
クロスは言った。
「俺だって兄貴を信じたい。だから説得しようって思ってます。でも万が一のことは想定しなくちゃいけません」
万が一のこととは、もちろんルシファーが救いようのない悪になっていた場合だろう。
そうなった場合、こちらも最悪の手段を取らなければならない。
「もしそうなった場合の…覚悟はしておいてください」
そう呟くクロスの表情は、見たことがないほど悲痛に歪んでいた。
※
首を振って、アゼルスは雑念を落とした。
ルシファーの元へは二人が行ってくれている。
自分より遥かにルシファーのことを分かっている二人だ。
だからアゼルスはアゼルスのやるべきことをする。
歪んだ通路を駆けぬけ、やがてアゼルスは中庭に出た。
中庭は、夕日で赤く染まっていた。
植物以外の生命が存在しないのにも関わらず、中庭は美しさを纏っている。
そしてその中央に、白髪の少女がいた。
遠くの空にかすかに見える月を眺めて、ぼうっとしている。
「…フォーネ」
妹の名を呼び、アゼルスは近くに歩み寄った。
するとフォーネはアゼルスの気配に気づいたのか、こちらに顔を向けた。
「…お姉ちゃん」
再び彼女の言葉が聞けるとは思わなかった。
だがその声色は、かつてと違って無機質なものだ。
溢れる感情を押し殺して、アゼルスは言った。
「…ごめんなさい、あなたに何て謝ればいいのか…」
「何を…?」
「何も食べさせて貰えずに苦しんでたあなたを見捨てたこと」
その言葉を聞いて、フォーネは首を傾げた。
「『月』を怖がるのはみんな同じ…、お姉ちゃんは普通」
「…ッ、普通じゃない!妹であるあなたを恐れるなんて、そんなの普通なわけないじゃない!」
フォーネは完全に自分のことを化け物だと思ってしまっている。
あの夜のアゼルスの行動、そしてヴァルタイユの教育のせいだろう。
もう自分が人間の世界に戻ることを望んでいないのだろうか。
「ごめんなさい、あなたをここまで追い詰めたのはきっと私…。私のことはどれだけ恨んでくれてもいいから、あなたには幸せになって欲しいの」
「幸せ…?」
「ええ、前みたいに、あなたには笑っていてほしい」
すると、フォーネは目を見開いて硬直した。
「笑うのが…幸せ?」
何が気に食わなかったのか、フォーネは魔力をたぎらせ始めた。
「感情はだめ…悲しみは…いや」
「え?」
「人が死んだら…辛くなる」
気づけばフォーネの目から、涙があふれていた。
「ジンが死んじゃって…私…、耐えられなくなった」
その言葉に、アゼルスは息を呑んだ。
(ジンが死んだ…?なんで…どこで?)
ジンは今クアランドにいるはずだ。
彼が死ぬなどありえない。
もしかすると、アラスタが本格的に動き出したのかもしれない。
「ジンは私の話を聞いてくれた…。それで、私を助けてくれるって…」
「……」
ジンがそんなことを言っていたとは思わなかった。
アゼルスが見たかぎり、ジンがフォーネを気にかけている様子はなかったからだ。
フォーネはジンのことを、最後の心の拠り所にしていたのかもしれない。
「…人の死を悲しみたくないから、感情を消すのね」
感情とは、恐ろしいものだ。
悲しめば、前に進めなくなる。
怒れば、周りが見えなくなる。
だがそれ以上に、良いことはたくさんあるのだ。
感情が存在しない世界など、成立するはずがない。
もしそれが確立された世界なら、世界が崩壊する寸前に起こりえないのだ。
感情は、世界が生み出したかけがえのないものであると、フォーネに伝えなければ。
「あなたに、もう一度笑って欲しい」
アゼルスの思いは変わらない。
だからアゼルスは剣を引き抜いた。
自分の思いをぶつけるために。
※
「よおウァルス、久しぶりに見るお前の顔が間抜け面だったらどうしようかと思ったぜ」
戯けてそう言うリオを、ウァルスは昏い瞳で見つめていた。
そんなウァルスの傍には、ガイナルも佇んでいる。
「それにしても、最後に俺に立ちはだかるのがお前らだとはなあ。もう一人いると思ったんだが…」
「…黙れよ、クソ野郎が」
「黙らねえよぉ」
にやにやと笑みを浮かべながら、リオは言った。
「あーあ、ローズもここにくると思ったんだけどなあ!」
「…ッ」
怒りに拳を振るわせて、ウァルスは歯を食いしばっている。
「…落ち着けウァルス。…俺の場合は憎悪を力に変えることができるが、お前の場合戦闘に支障が出る」
「あぁ?」
ウァルスの戦いにおいて、憎悪が戦闘を妨害したことはない。
憎悪は確実にウァルスの力となってくれる。
殺意は、殺し合いにおいて必須の感情だ。
「お前は黙って、あいつを殺せ」
それがガイナルの役目であり、ウァルスの役目だ。
長年二人は同じ目的を掲げてきた。それは今も変わらない。
リオを殺したという結果だけが、二人の目的なのだ。
「『エレメンタル』『難攻不落の領域』———ッッッ!!!」
ウァルスが叫ぶと同時に、ガイナルは駆け出した。
『力』の異能によって、ガイナルの筋力とスピードは大幅に強化されている。
憎むべき相手が目の前にいることで、その効果は過去最高だ。
流石のリオも、この二人の猛攻をそのまま捌き切ることはできないはず。
「フンッ!」
「『複合儀ハザード』ッ!」
異能士団幹部二人の攻撃が、同時にリオに襲いかかった。
やがてそれはリオの肉体に直撃し…
「弱え」
その直前に、リオの鈍の剣が二つの攻撃を切り裂いた。
そしてリオからは、今までに感じたことのない戦意量を感じる。
「貴様…その力はなんだ」
「俺の戦意の最高出力だ」
簡単にそう言ってのけるリオに、二人は僅かに目を見開いた。
つまりリオは、今の今まで一度も本気を見せていないことになる。
「ベルセルクの力は、ローズがよく使いこなせてた。俺はただ適当に戦意を使っていただけだ。そんで今初めて全力を出してみたってわけだ」
にんまりと笑って、リオは言った。
「『赤薔薇の狂戦士』、確かこの技はそんな名前だったか?」