異能記『節制』
兄は優しい人だった。
決して心は強くはなかったが、ローズのために日々頑張っていた。
限りなく続く、父からの暴力に耐え続けていた。
涙に目を腫らしながらも、兄はローズに笑いかけていた。
※
「ベルセルク家には近づかんほうが良い」
それがこの村の戒めだ。
ベルセルク、それは王都にすら名を轟かせる凄腕の傭兵の名だ。
狂ったように戦い、血を求める。まさに狂戦士といった傭兵である。
傭兵ベルセルクの強さは、間違いなくウエラルド王国のトップクラスだ。
しかしその残虐性を人々は恐れ、彼に依頼する人間はごく一部となってしまった。
そして依頼が少なくなり、ストレスが発散できなくなった父は、リオとローズに手を出した。
父の目的はあくまでストレス発散、ローズの代わりにリオがサンドバックを受け持った。
リオは体も心も強い方ではなかった。
それでもリオは、泣きながらローズを守った。
「なんでお兄ちゃんは、そうまでして私を守ってくれるの?」
そう聞いたことがあった。
だがリオは、
「俺がお兄ちゃんだから」
としか答えてくれなかった。
父はほぼ毎晩、子供たちの世話をほったらかして出かけていた。
騒ぎを起こした盗賊を、片っ端から殺して回っているのだとか。
だからリオとローズは、自分たちで生き残るしかない。
幸い父は自分の金のことをあまり大切にしていないため、食費には問題なかった。
そしてリオの傷を見ると、村の人たちも気をつかってくれた。
ウァルスという名の少年もよく一緒に遊んでくれた。
しかし、誰も助けてはくれなかった。
残虐性で名高いベルセルクだ。
よほど正義感が強くなければ、ローズたちを助けてやれるはずがない。
だからローズは我慢の限界だった。
「逃げよう、お兄ちゃん」
「え…?」
これ以上、自分の兄が自分のために傷つくのは。
※
暗い夜道を、二人はただひたすらに走っていた。
王都に行けば騎士団がいる。
彼らなら、自分たちを救ってくれるはずだ。
だがこんな時に、彼らに不幸が舞い降りた。
「どこ行く、お前ら」
見慣れた赤髪が、二人の前に現れた。
その人物の瞳は虚で、何か別のものを見ているようだ。
「まさか逃げ出そうってんじゃないだろうな」
「あ…」
恐ろしくて、二人の足はすくんでしまった。
父が自分たちを生かしておいたのは、サンドバックとして家に置いておくためだ。
逃げたサンドバックを、この男が生かしておくわけがない。
「お前ら、前から逃げ道用意してたろ。子供の浅知恵なんざなあ…」
父は拳を大きく振りかぶり、リオの顔面を思い切り殴った。
その勢いで、リオの体は吹き飛んでしまった。
「お兄ちゃん!」
「そういや、お前の顔面を殴ったことはなかったなあ。ローズ」
ゆっくりと自分の元に歩み寄る父を前に、ローズは何もできなかった。
ただ、これからくる痛みに恐怖するだけで…
「おらぁッ!!!」
頭が吹き飛んだのではないかと思った。
それほどまでに、彼の拳は殺傷力のあるものだったのだ。
これほどの痛みを、リオは今まで受けてきたというのか。
自分が兄だからというだけで。
「お前は見てな、兄貴が死ぬところをよ」
そういって、父は剣を二本引き抜いた。
それは剣と呼ぶにはあまりにもボロボロで、刃には大量の血痕がこびりついている。
彼が今までどれだけ残虐に人を殺してきたか、剣を見ただけでわかる。
その剣を見て、リオは恐怖に顔を引き攣らせた。
ボロボロの刃、すぐには殺してくれないだろう。
切れ味の悪い剣で、無理やりにゆっくりと首を刎ねるのだろう。
その痛みに、自分は耐えねばならぬのだろう。
「い、いやだ…」
後退りするリオを見て、父は口元を歪めた。
残虐なベルセルクの血が、彼を高揚させる。
だが、ローズの中の同じ血は別の意思で昂った。
守らなければ。
今まで助けてくれた兄を。
その瞬間、視界が真っ赤に染まった。
※
「はぁ…ッ、はぁ…ッ」
父を殺した自分の手を見ながら、ローズは呼吸を荒げていた。
先程の一瞬、ローズは何か不思議な感覚を覚えた。
それはどこかで見たような、快楽。
「ぐっ…」
だめだ。
その快感を思い出してはいけない。
思い出して仕舞えば、自分は父と同じになってしまう。
「ローズ…?」
ふと声がかかり、ローズは振り向いた。
リオだ。
先程までの怯えた表情はもうなくなっていたが、代わりに別の感情があった。
「お前…そんな力があるんだったらさあ…初めからさあ…!」
這うようにして近づき、リオはローズの足を掴んだ。
「俺を守ってくれよぉぉぉ!もう痛いのは嫌なんだよぉぉぉぉぉぉ!!!」
涙で腫らした顔は、今までと変わらない。
だが彼の目は、これから起こる恐怖に揺れていた。
「わ、分かった。今まで助けてもらった分私が…」
「不可能だ」
不意に、周囲の空気が下がった。
そして嗤いを浮かべた青年が、二人の前に現れた。
「初めまして、僕の名前はヴァルタイユ・ミラ・バルザイド。最初の幹部を迎えにきた」
※
どうしようもなかったリオは、すぐさまヴァルタイユについていった。
一体何が怖かったのか、ローズには分からなかった。
再び見えた彼は、父のように殺戮を繰り返しては、それに快感を覚えていた。
そこで、ローズは分かった。
リオは常に、死を恐れていると。
一度、彼はエルドに殺されかけた。
その時のリオの取り乱しようは、かつて父に殺されかけた時と同じものだった。
何かとてつもない恐怖、それに駆られてリオは動いている。
父になぶられていた時の恐怖が、現在進行形でリオの心を支配している。
だからローズは取り除かなければならないのだ。
今までずっと自分を助けてくれた兄を、取り戻すために。
《キャラクター紹介》
○ローズ・ベルセルク
ベルセルク家に生まれた、水魔法が得意な少女。
体はあまり強く無いため、ベルセルクの血を使うとかなり消耗する。
剣型は『純水』(主属性:水、副属性:水)。
○リオ・ベルセルク
ベルセルク家の長男。
死に対する極度の恐怖を抱えている。