第28話 ダンテ
ダンテは床に直接寝転がってぼんやりと星空を眺めていた。
周りには誰もおらず、たった一人きり。
ダンテが今居る場所は、校舎の屋根に設けられた整備用の高台で、この場所を知っているのはほとんど居ない。
確実に知っている少女はダンテが別れを告げたため、恐らく来ないだろうとダンテは踏んでいた。
「なんなんだ、いったい」
ダンテは自身の内で渦巻く正体不明の感情にいら立ちを覚え、本日なん度目かの悪態をつく。
聞いていた夜空の星は瞬くだけで、意味のある言葉は何も返してはくれない。
「あいつは、ただカワイソウだっただけだ。同情して助けてやっただけだ」
それこそダンテが求めている答え。
しかし、いくら言葉に出して自分自身を説得しようと試みても、心のどこかでそれは違うと騒ぐ声があった。
「そうだろ? そうなんだよ……!」
ダンテは、ベアトリーチェと同じ琥珀色をした左目を手で覆い隠し、サファイアの如き蒼眼だけで夜空を睨みつける。
――答えは相変わらず返ってこなかった。
「やーっと見つけた。んなところに居やがったか、うちの若様は」
少し疲れの混じった声が響く。
ダンテが重たい頭を持ち上げて視線を向けると、高台の手すりに両手をつき、ダンテを覗き込んでいるアルの姿があった。
「……校舎には鍵がかかってるはずだが」
星が見えるほどの夜中ともなれば、校舎には鍵がかけられ、窓も全て閉ざされる。
その上校舎の中を時折衛兵が巡回することになっていた。
今日一日、外で情報集めに奔走していたアルが、単独で校舎へと入るのには、多少どころではない難易度のはずなのだが、
「んなもんあったっけ」
当の本人はそううそぶいてみせる。
それもこれも、アルのとんでもない鍵開けや盗みの技術のたまものだ。
見た目にも派手なダンテが気を引き、アルが仕掛けを施す。
だからこそ二人は優秀な詐欺師としていくつもの修羅場を潜り抜けてきたのだ。
「ったく……」
ダンテはひとりになりたかったからこの場所を選んだのだが、相棒はその気持ちを汲んでくれなかったようだ。
不貞腐れたダンテは体を起こすと、そのままその場に胡坐をかく。
「いいからほっとけよ」
ダンテがしっしっと手で追い払ったのも構わず、アルは手すりを乗り越え、ダンテの真正面に腰を下ろす。
アルはそのままダンテの顔を見て、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「なあ、お前の今の顔、どんな顔か教えてやろうか?」
「いらねえ」
「それは許さねえ。っつーか、こんなおもしれーこと言わずにいられっか」
面白いと言いつつも、アルの目に加虐的な光はない。
どちらかと言えば、ダンテがテッドたちストリートチルドレンを見るような目だった。
「お前、恋してんだよ」
「はぁっ!?」
ダンテは今までどんな美人を前にしても心動かされることはなかった。
それは、ダンテが娼婦たちに育てられ、着飾った貴族たちが裏で汚物よりも汚い事をやっているのを見たせいで人間不信に近くなってしまったことが原因だ。
「俺が? あの女に?」
「ああ。今のお前、お前に惚れた女どもとおんなじ顔してやがるぜ」
「ふざけるなっ。チビで地味で金も無くて体も貧相なあの女のどこに惚れる要素がある」
惚れた女としてまっさきにベアトリーチェのことが思い浮かぶ時点で語るに落ちているのだが、そのことにダンテは気づいていなかった。
気づけないほどに、ダンテはベアトリーチェの事を想ってしまっていた。
「自分で言ってんじゃねえか」
ダンテが言ったのは全て外的な因子である。
それ以外、つまり内面について、ダンテは一言も触れてはいなかった。
「お前、いつもは守ってあげたくなる感じだけど、心の底にはしっかりとした芯の強さを持ってるって女が好みだったんだな」
「……なんだそりゃ。訳分かんねえよ」
そう言いつつも、ダンテはアルの言うことをしっかりと理解していた。
ベアトリーチェは、弱いけど強い。
嫌がらせを受けていたというのに恨み言ひとつ言わなかったし、優しさも失っていなかった。
笑顔だって失っていなかったし、ダンテの見た目に惑わされたりもしなかった。
ベアトリーチェは間違いなく、ダンテが求めて止まなかった心の在り方を備えている稀有な存在だったのだ。
だから、好きになって――。
「俺はあんな奴に惚れてねえ!」
まるで、幼子が好きな女の子に対して激しく否定するような態度であり、アルは思わず肩をすくめてしまう。
とはいえこの恋は、ダンテにとっての初恋なのだから、そんな風になってしまっても仕方がないのかもしれなかった。
「はいはい」
「だから、聞けよっ」
「分かったって」
ダンテの見せた過剰なまでの反応が答えであるのだが、それでもダンテは認めなかった。
「……なあ、もう止めてもいいんだぞ」
突然アルの表情が真剣なものに変わる。
「急になんだよ」
アルの言っていることは理解できる。
ブルームバーグ伯爵家から金を搾り取る計画から手を引けと言っているのだ。
しかし、そんなことをすればアルもモーリスも大損してしまう。
ダンテの一存で止められるはずがなかった。
「お前さ、やっぱ悪事に向いてねえんだよ」
「はぁ? お前とどんだけ一緒に働いてきたと思ってんだ」
ダンテとアル。
ふたりが組むことで、目が眩むほどの大金を騙し取ってきた。
詐欺師としては超一流どころか歴史を振り返っても並ぶ者が居ないほどだろう。
「お前さ、悪党しか騙さねえだろ?」
「そりゃあ、そういう奴の方が金持ってるし、騙し取ったとしてもおおやけにできないからな」
ダンテの理由は確かに納得のいくものだ。
しかし、その裏にはダンテ自身も気づいていない理由があり、アルはそれに気づいていた。
「……お前さ、そういう悪徳貴族の連中を正したかったんだよ、きっと」
「はぁ?」
「だってお前、相手が破産するほどは追い込まなかっただろ」
ダンテは多くの相手を騙し、金を奪ってきた。
しかし、立ち直れないほどの損害は与えず、悪いことをしたら痛い目にあうぞ、という教訓程度で許してきた。
憎いはずの貴族なのに、とどめを刺さずに見逃したのだ。
これは甘さだとダンテはずっと考えていたのだが、真実は違う。
「お前はさ、本当は貴族の連中に失望したくなかったんだよ。だからずっと悪徳貴族をやり込めて来た。やり直す機会を与えてきた」
「それは……そうした方が恨まれにくいからだろ」
アルはゆっくりと首を横に振る。
「お前の父親、ガルヴァス・ジェラルド・アスターって名前なんだと」
「は?」
ダンテすら知らなかった、血のつながりを持つ実父の名前が突然アルの口から飛び出してきて、ダンテは思わず間抜けな返事をしてしまった。
「それとさっきの事になんの関係――」
「現皇帝ヨハン・ホルスト・フォン・ガイザルの、腹違いの弟だってよ」
「はぁ?」
「だいぶ歳は離れてたらしい」
ダンテは開いた口が塞がらなかった。
それも当然だろう。
この国で一番偉い人間の血を引いている、なんてことをいきなり言われたら、普通は酔っ払いのたわ言としか思わない。
今のアルは酒を飲んでなどいないし、冗談を言っているような雰囲気でもないのだが。
「お前の血がなせる業なんじゃねえかな。俺はそう思うぜ」
「いやいやいやいや。待てって。は? は?」
「ちなみに母親はエリザベート・フランソワ・アスターで、お前はジュナスで、双子の妹はミシェーリって名前らしい」
「だから待てって!」
いくらダンテの頭の出来がいいからといって、限度はある。
初恋がどうのと今まで考えもしなかったことを言われ、更には意図的に避けてきた自身の過去を突き付けられ、もはや熱暴走寸前の状態であった。
「なんか偉い人だったらしいぞ」
「それは端折りすぎだ」
ダンテは突っ込みつつも処理しきれない情報のオンパレードに頭を抱える。
そんなダンテに、アルはいつも通り変わらない態度で、変わらない笑顔を向けた。
「ま、ちょいと話がそれたから戻すとな。お前は貴族に対して失望したくなかった」
それが血のなせる業だと説明するためにアルは顔も知らないダンテの家族の名前を出したのだ。
「でも失望しなくていいどころか、理想とする性根を持った女が現れた。それで一気に惚れちまったってわけだ」
「だから惚れてねえ!」
相変わらず認めようとしないがためにバレバレなダンテの過剰すぎる反応を見て、アルは楽しそうに笑う。
「つーわけでお前は安心してベアトリーチェ嬢とくっついてもいいんだぜ」
「論外だ。金が巻き上げられねえだろ」
「んなことねえさ。親父はいくつもたかる方法を考えてたんだぜ。例えばお前を売る」
「おい」
「もちろんブルームバーグにじゃねえよ」
確かに家が潰れてしまったとはいえ、ダンテはまだ生きている。
アルが見たであろう証拠を持って、ブルームバーグ伯爵家と権力争いをしている勢力にでも接触すれば、とんでもない高値で買い取ってくれることだろう。
「それから、お前をダンテ・エドモン・ブラウンで居続けさせる、とかな」
ダンテが本来の姿である皇帝の甥ジュナスに戻れば、ブルームバーグ伯爵家としてはとてつもなく邪魔になる。
それを防げるのならば、確かに金はいくらでも払うだろう。
アルの父親、モーリスは、そんなことまで考えていたのだ。
さすがは帝都の荒くれどもを取り仕切る男。したたかすぎるほどにしたたかであった。
「まったく、んな事考えてやがったのかよ、クソったれ」
ダンテは一言そう吐き捨てると、ガシガシと頭を掻きむしる。
「最終手段だって。お前をジュナスとして使ったら、本格的にブルームバーグ伯爵家とコトを構えなきゃならねえからな」
「じゃあやっぱ答えは決まってんじゃねえか」
ダンテは立ち上がると、アルの瞳を見つめ、
「俺は下りない。だから、ベアトリーチェに惚れてようが惚れてなかろうが、関係ない」
そうきっぱりと告げた。
「ま、この前フラれたしな」
「知るかっ」
「おごってやってもいいぞ、フラれ」
「だから、俺の知ったこっちゃねえんだよ!」
「涙目だぞ」
「んなわけあるかっ」
アルとダンテはいつも通りにふざけあう。
血、というこの時代における絶対的な観点から見るならば、こんな口をきくことなど決して許されはしない。
そのことが分かっても、ダンテはダンテのまま、変わらずアルと向き合っていた。





