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第5話 導火


 その日は、夜になってもあまり気温が下がらなかったため、滝は散歩がてら歩いて帰宅することにしたのだという。

 普通なら、十一月の夜半など、寒くて歩こうという気分にはならない。


 だから、本当に偶然だったのだ。

 滝雄一が赤坂楓花と出会ったのは。


 電柱にもたれかかるようにうずくまる人影を見つけた瞬間、彼は駆け寄っていた。


「どうしました? 大丈夫ですか?」


 と。

 そうせずにはいられない為人なのである。


 ただし、台詞の一字一句まで当時の状況を再現できているとは言い切れない。

 これは滝と赤坂女史の双方から聞き取った情報から私が構築した、推理に過ぎないから。

 事実からそう離れていない自信はあるけれども。


「触らないで!」


 差し伸べられた手を払いのけようとしたのは、すでに楓花は充分に絶望していたからだ。

 助けなど現れるわけがない、と。


 しかし、痛めつけられた彼女の身体は、意思のコントロールを受け付けなかった。

 空振りした腕の勢いで尻餅をついてしまう。


 全裸の上にまとっていたコートの前がはだけた。

 しっかりボタンを留めていなかったから。そうするだけの気持ちも、もう失ってしまっていたから。


 あらわになる裸身。

 野獣どもに蹂躙され尽くした姿。


「……誰にやられました?」


 楓花の耳に届いた滝の声は、押し殺してはいるものの激しい怒りに震えていた。


「助けて……お願い……助けて……」


 気がついたとき、彼女は彼にすがりついていた。


「大丈夫です。僕に任せて」


 かけられた声は、まるでテレビや映画のヒーローのように頼もしかった。






 堂々と、散歩にでも出かける以上の緊張感を示すことなく、滝は連中のアジトに乗り込んだ。


 状況を確認すれば、犯され続けている女が二人と、おそらくドラッグでもやっているであろう男が数人。


 いきなりの闖入者に、二人ほどが誰何の声を開けながら襲いかかってくる。


 右の掌底で一人、左の掌底でもう一人を屠った。

 下顎を打ち砕くよう放たれた攻撃で、首があらぬ方向に曲がったのである。

 何がおこったのか判らず、野獣どもが一瞬、自失する。


 動揺を逃さず突進する滝に続いてアジトに侵入した楓花が、女性たちを助けた。

 彼女は教師だから。

 教え子を助けたかったから。


 もしこの時点で、男どもが彼女たちを人質に取ったなら、滝は非常に苦しい戦いを強いられただろう。


 しかし、しょせんはか弱い女性たちを嬲ることしかできないようなクズどもである。

 自分より強い者と戦った経験もなければ、連携して戦うなどという高等技術が使えるわけもない。


 五人ほどが殺されると、算を乱して逃げようとするありさまだった。

 滝の両手には、いつの間にかナイフが握られていた。


 襲いかかってきた相手から奪ったものである。

 十八人がたったひとりの徒手空拳の男に対して武器を抜き、しかもそれを奪われているのだから、滑稽というしかない。


 ともあれ、この武器によって滝の戦闘効率はさらに高まった。

 いちいち頸骨を折る必要がなくなったから。


 喉笛を掻き斬るか、心臓を一突きすれば人間は死ぬ。

 瞬く間に死体が量産されていった。


 地獄のようなこの情景を、楓花は目をそらさずに見つめていた。

 喜びも沸かなかったし、悲しくもなかったという。

 助けられた少女二人も同様のことを言っている。


 情動を失い始めていた、というのが、診察した医師の見解だ。このとき、もうすでに彼女たちには鬱病の症状が現れていたのである。

 当たり前だ。

 これだけの虐待を受けて、精神が均衡を保っているとしたら、そちらの方が奇跡である。


 戦意を喪失して逃げようとする者も、滝は容赦しなかった。

 必ず追いつめ、背中から首を切るか胸に一突き入れる。


 ひどく徹底しているが、これにはもちろん理由がある。

 逃げ延びたからといいって、悔い改めて真人間になるような連中ではないからだ。

 恐怖が喉元を過ぎれば、怒り狂って復讐するだろう。


 そしてその対象は滝ではなく、女性たちだ。

 避けるためには皆殺しにするしかない。


 また、適度なダメージを与えて命だけは助けてやる、という選択肢も存在しない。


 たとえば両目を潰すとか腕をもぐとか、死ぬ直前まで追いつめたとする。

 そこまですれば彼らは自分の行いを反省するだろうか。

 そんなはずはない。


 今後の社会生活に支障をきたすようなダメージを与えたとしたら、障害を負ったことを幸い、喜んで障害年金なり生活保護をむしり取ろうとするだけだ。

 当然の権利だといわんばかりに。


 結果、生活保護を担当する部署の職員が猜疑の目を受給者に向けることとなり、本当に支援が必要な人に届かなくなっている。

 それがこの国の現状だ。


「助けてくれ……殺さないで……」


 腰を抜かし、アンモニア臭を漂わせながら、尻で這って逃げようとしているボス格のAを見たとき、楓花も女性たちもさすがに失笑したという。

 だいぶ乾いた笑いだったが。


 悪魔のような恐ろしさで手下どもを支配し、彼女たちを散々慰み者にしてきた男が、小便まで漏らして命乞いである。

 ある意味で、失いかけた感情を取り戻す出来事だった。


「きみを最後にしたのは、べつに助けるためじゃない。ものには順番があるからだよ」


 ゆっくりと滝が歩み寄る。

 すでに生きているのはAただ一人となっていた。


 滝の全身は返り血で真っ赤である。

 そしてもちろん無傷ではない。


 彼はこの日、三ヶ所を刺されているし、切り傷や打撲などはダースで数えた方が早いほど負っている。

 それでも鍛えられた鋼のような彼の筋肉を貫くには、腐れ外道どもは非力すぎたわけだが。


「お願いします。許してください。助けてください」


 今度は両手をすりあわせて拝み始めた。

 何の感銘を受けた様子もなく、滝が近づいてゆく。


 次の瞬間、ガバッと起き上がったAが隠し持っていたナイフを構えて突き進む。


 突然の行動だが滝は驚かなかった。

 冷静に右足を跳ね上げる。

 骨の折れる音が響き、あらぬ方向に曲がったAの腕からナイフがこぼれ落ちた。


 そしてそれを滝が拾う。

 右腕を抱えて、自分が汚した床の上を転げ回るAを踏みつけた。


「一応ね。反撃の機会は与えたよ。これで満足かい?」


 つまり彼は、Aからの攻撃を待っていたのである。


「助けて……俺が悪かったから……殺さないで……」

「これまで犯し、辱めてきた女性たちもそう頼んだはずだよね。そのとき、きみたちはどうしたのかな?」


 優しげに問いかける。

 許してあげたのかい? と。


 Aは応えられない。

 沈黙こそが罪の証だ。


 女たちが哀願すればするほど、野獣どもは嗜虐心ををくすぐられて、より酷い仕打ちをしてきただろうから。


「だから、僕もきみを助けない」


 微笑んだ滝が右手を前に出す。

 Aの脇腹にナイフが突き刺さった。

 肝臓である。


 ぐり、と、刃を半回転させてから滝はナイフを抜き、その場に捨てた。

 そして、激痛に絶叫をあげて転げ回るAを思い切り蹴り飛ばす。


「死ね。クソやろう」


 壁際まで吹き飛んだ男がビクビクと痙攣し、やがて動かなくなった。

 戦闘開始から、わずか三十分である。


「これで全員ですか?」


 大きく息を吐いた後、滝は女性たちを振り返って訊ねた。

 逃げた者はいないか、最初からこの場にいなかった野獣は存在しているか、という意味の問いだ。


 楓花がゆっくりと首を振る。


「おそらくはいないはず」


 と、応える。

 職業柄、人の顔を憶えるのは得意なのだと付け加えながら。


「では警察を呼びます。あなたたちは逃げてください。そして知らぬ存ぜぬを通すように」


 笑いかけ、滝は血で真っ赤に染まった白いロングコートから、携帯端末を取り出した。


 その後、駆けつけた警察によって滝は逮捕されるのだが、楓花も助けられた二人も約束を破った。


 翌日には警察に出頭し、滝の無罪を訴えたのである。

 彼はなにも悪くない、と。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 今ではほとんど適用されなくなっている尊属殺の法令のようにはならなかったのですね…。 裁判では大体において判例(以前に出た判決の事例)が適用されることがほとんどです。…
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