第4話 接見
取り調べは順調らしい。
というのも、滝容疑者が非常に協力的であり、自らを弁護するために嘘を吐くこともなかったからだ。
むろん、だからといって容疑者の話を鵜呑みにはできない。
細密な現場検証がおこなわれたし、動機や証拠品などについても、詳しく調べられた。
十八名の若者が殺された大量殺人である。
志藤検事に記事を書くよう依頼された私は、まずは警察の担当者と連絡を取った。
「英ちゃん。話はきいてるよ」
「無理を言ってもうしわけありません。安保さん」
待ち合わせの喫茶店に現れたのは、十年来の付き合いのある安保警部補だ。
角刈り頭にがっしりとした体型、警察官を絵に描いたようなタイプである。
「志藤検事からもお願いされてるからね。それにまあ、俺としてもやっこさんは助けたい」
アメリカンコーヒーを頼んだあと、声をひそめる。
取調室での出来事を話すのは、もちろん違法行為だ。しかし、滝容疑者の為人を知らなくては、どんな記事も書きようがない。
志藤検事と安保警部補。無能からはほど遠く、しかも法と正義を畏れることを知っている二人が、ルールをねじ曲げてまで救いたいと願う滝雄一とは、いかなる人物なのか。
「しかし、大量殺人の犯人ですよね。やはり頭のネジが緩んでいるのでは?」
私はあえて踏み込む。
帰ってきたのは苦笑だった。
「怒らせて本音を引き出そうなんてしなくていいよ。英ちゃん」
見通しである。
「やっこさんはいたってまともさ。自分がやったことも理解しているし、この先に待っているものにも納得している」
ため息をつく安保警部補。
いっそ精神鑑定にまわせるようなやつだったらな……と、呟きながら。
「しかしですね。安保さん。まともな精神の持ち主が十八人もの人間を殺しますか?」
「たとえば英ちゃんだったらどうする? 狂犬病に冒された犬が十八匹、街をうろついていたとしたら」
「それは、処分するしかありませんね」
可哀想だがそれしか方法がない。
狂犬病の致死率はほぼ百パーセント。治療法は存在しないのだ。そして咬まれたら当然のように人間にも感染し、かなり悲惨な末期症状の末に死ぬことになる。
予防ワクチンの接種が義務づけられているため、日本ではまず発生しないが、世界的に見れば毎年五万人くらいの人がこれで亡くなっているし、十数万匹に昇る動物たちが発病死している。
「つまり被害者たちは狂犬だと?」
「ああ。しかもすでにあちこちに咬みついてしまった狂犬だ」
吐き捨てるように言う。
被害者たちが女性たちを食い物にしていたという話は、私も志藤検事からも聞いている。
たいそう非紳士的な扱いをしていたとも。
「そんなレベルじゃないんだよ。英ちゃん。人としてやっちゃいけない領分にまで足を踏み入れてんだ。やつらは」
「ふむ……」
私は腕を組んだ。
どうにも警部補の言葉が大げさに思える。
「たぶんそう言うだろうと思って、押収品の一部を持ち出してきた。ここだけで見せてやる。貸すこともコピーすることもダメだけどな」
それでも、かなり危ない橋を渡っているだろう。
安保警部補が鞄から取り出したのは、小型のDVDプレイヤーだった。
ヘッドホンをジャックに差し込んだ状態で手渡される。
「先に行っておくぞ。吐くなよ」
「グロ画像なんですか?」
「ある意味な。そこに映ってる女の子は十四歳だ」
「…………」
覚悟を決め、私は再生ボタンに触れる。
そして三分後、再生装置を警部補に返して、私は席を立った。
洗面所に行って嘔吐するために。
それほどのものが映し出されていたから。
グロテスクというなら、これ以上グロテスクなものがあるだろうか。
十四歳、つまり中学生の少女が卑猥な芸をさせられている動画だった。
腹にはへそ踊りのような不格好な顔を描かれ、乳首には鈴を結びつけられ、歌い踊らされているのだ。
がに股で、自らの陰部を手で広げながら。
それを男たちがげらげら笑いながら囃したてる。
あまりの屈辱と惨めさに少女が涙ぐむと、容赦なく殴り、蹴り飛ばす。
「ありえねえだろ……」
洗面所の鏡に映る自分の顔に、私は話しかけた。
「さて英ちゃん。このクソ外道どもを殺した男を、あんたは悪だと思うかい?」
席に戻った私に、警部補が人の悪い笑みを浮かべる。
奴らに脅されてた女性というのは二十人近くいるらしい。
「いま判ってるいるだけの数だ。おそらくまだ増えるだろう。もしかしたら海外に売り飛ばされた娘もいるかもしれねえ」
「どこのマフィアかシンジケートですか……」
「驚くよな。十八、十九の餓鬼どもがこんなことをやってたんだから」
すえ恐ろしいぜ、生きてたらな、と付け加える。
私は軽く頷いた。
この時点で殺さなくては、被害はもっとずっと増えていただろう。
「安保さん。滝容疑者に会えませんか」
無理なお願いをしてみた。
容疑者との接見は時間が決まっているし、急にねじ込めるものでもない。
「これも、そう言うと思って、ちゃんと手続き済みだ。明日の午後二時から三十分間」
「お見通しですね」
降参だというように、私は肩をすくめて見せる。
「あの映像を見て、それでも十八人もの少年を殺したのは許せない、なんてすかしたことを抜かすような男だったら、俺はとっくに友達づきあいなんてやめてるさ」
不器用に片目をつぶる警部補だった。
どこにでもいるような普通の青年、というのが第一印象である。
整えない前髪は爽やかだし、優しげなまなざしも好印象だが、希少価値を主張するほどのものでもない。
「はじめまして。滝くん。朝毎新聞の英田といます」
名刺を渡すこともできないが、私は頭を下げた。
「よろしくお願いします。滝雄一です。名乗るべき肩書きはもうありませんが」
滝容疑者が微笑する。
精神鑑定が必要になるような不安定さなど欠片も感じさせない、落ち着いた笑みだった。
逮捕後、彼が最初にやったのは務めていた会社に退職願を送ることである。
それが唯一の社会とのつながりだったから。
十五年前に母を、六年前に父を亡くして天涯孤独となった彼にとって。
「いいや。きみはまだ白咲商事の社員だよ。滝くん。辞表は受理されなかった」
「そんな馬鹿な。殺人犯ですよ。僕は」
「滝が非道をおこなうはずがない。殺されたものがいるとするなら、それは殺された側に非があるのだろう。だそうだよ。きみの会社の社長の言葉だ」
帰ってくるのをいつまでも待っている、という言伝とともに滝に告げる。
困ったような笑みが返ってきた。
「そのお言葉だけで充分です、と、お伝えいただけたら幸いです。もう二度と会うことはないでしょうから」
彼は自分の罪をちゃんと認識している。
認識していてなお、この選択しかなかったと確信しているのだ。
一人でも二人ども逃がしてしまったら、奴らは必ず復讐に走る。
そしてその対象は自分ではなく女性たち。
強い者と戦うのではなく弱い者をいたぶる。それが連中のアイデンティティだと、彼も知っているのだろう。
だから、女性たちを助けるためには、完全に息の根を止めるしかない。
それがどういう罪になるのか判った上で。
なんという剛毅さか。
なにが彼にそこまでの強さを与えたのか。
「きみのことをもっと知りたい」
滝という人物について湧き上がる興味を抑えることができず、私は身を乗り出していた。
拘置所を出たところで秋城弁護士と出会った。
偶然、ではないだろう。
待ち構えていたにちがいあるまい。
「滝くんの印象はどうだった? 英ちゃん」
横に立って歩きながら、初老の敏腕弁護士が訊ねる。
「このように生きたい、という憧憬を体現してくれている人物にみえました」
どこまでもまっすぐに、自己犠牲をいとわず。
「そういう人物を、英雄というんだと思います」
「その英雄を助けるため、きみに会って欲しいひとがいるんだよ」
足を止める秋城。
振り向いた私に、に、と笑ってみせる。