第3話 取材
私が赤坂楓花と知遇を得たのは、秋城弁護士の紹介があったからだ。
事件のことを私が記事にするときいたから、という理由である。
なんのことはない、志藤検事と秋城弁護士は水面下でちゃんと連絡を取り合っているということだ。
それほどに、今回の事件は重い。
もちろん軽い事件などというものは存在しないが、そういう原則的な意味ではなく、この裁判は問われているのである。
法とはなにか、正義とはなにかを。
法律に携わる者すべてが、一度は考えるテーマだ。
どこの誰が見ても正義なのに、それが法律と背反してしまった場合、どちらを是とするのか。
「はじめまして。朝毎新聞の英田といいます」
「よろしくお願いします」
微笑とともに私の名刺を受け取った赤坂女史は、ひどく儚げな印象だった。
それは、あるいは先入観によるものだったかもしれない。
彼女はAたちの死によって生き地獄から解放された後、務めていた高校を辞職した。
酷い心的外傷を負い、まともに働ける状態ではなくなってしまったからである。
皮肉なものだが、外道どもに脅されていた頃は物事をじっくり考えることすらできなかった。学校をやめるなと命じられれば、続けるしかなかったのだ。
やつらが死んだいまになって、傷の痛みが彼女を襲っている。
日常生活を送るのが困難なほどに。
彼女を含めた二十四人の女性たちすべてが同様の状態だ。
全員に精神的・肉体的なケアが必要なのである。
それらは検察が用意した。精神科医、婦人科医、美容皮膚科医、内科医など、必要と思われる医師は可能な限り高水準で。
もちろんカウンセラーやセラピストなども。
しかもそうまでして、何人がまともに社会復帰できるか判らない、と、志藤検事は語っていた。
「あいださん、と、お読みするんですね。秋城先生はがエイちゃんエイちゃんといってらしたので」
「ニックネームですよ。元ネタはロック歌手でしょうが」
笑いながら、私は勧められたソファに座る。
金はかかっているのだろうが、やはり病院という特性上、無機質な感じは否めない。
完全個室で完全看護の病院への入院措置。
とにもかくにも、彼女たちの心と体が落ち着くまでのあいだ、国が保護する。
大変に不吉な言いようだが、不用意に家に帰すと自殺してしまうかもしれないからである。
「まだおつらい時期でしょうに、取材に応じてくださって感謝に堪えません」
「いえ。あの方を救うためでしたら、私は何でもします」
あの方、と、言った彼女の目には覚悟の炎が灯っていた。
命がけで自分を助けてくれた滝のために、自分もまた命を賭けるという覚悟だ。
私は軽く頷き、いくつかの質問をする。
Aたちがいかに下劣で、恥知らずで、卑怯者か、世間に知らしめるため、彼女の証言が必要になるのだ。
正直、私の中では多少の誇張をしてもかまわないと思っていたほどである。
一切の同情がやつらに注がれないように。
しかし、赤坂女史の話を聴き進むうち、誇張など必要ないことがはっきりとわかった。
やつらは人間ではない。
人間が、同じ人間に対してこんな振る舞いをできるわけがない。
彼女の身に起きたことをそのまま書いた方が、かえってリアリティがないと思えてしまえるほど、それは非道のかぎりだった。
取材の途中、私は幾度も呆然と口を開き、幾度も涙を拭った。
間違いない。
もし私がその場にいたなら、滝容疑者と同じ行動を取るだろう。
自分自身の命などどうでも良い、この暴挙を見過ごしてしまったなら、私という人間の価値は無である。
「とても信じられないでしょう? 秋城先生も、志藤さんも同じ反応でした」
疲れたような笑みだ。
「正直、どういう記事を書こうかと悩んでいます。赤坂さんの話をそのまま書いてしまった場合、かえってリアリティがなくなるかも、と」
肩をすくめてみせる。
三流のSMポルノ小説のような真似を、現実におこなう輩がいるなど、誰が信じるというのか。
「証拠なら、私の身体を使ってください」
「いや……それは……」
ためらう私に、赤坂女史が決然と立ち上がる。
「滝さんを助けるためならなんでもすると申し上げました」
自己犠牲か、それとも連中への復讐なのか。
瞳を燃やす彼女に、それでも私は再度確認する。
「非常につらい仕事になりますよ?」
「かまいません。幸いというか、なんというか、まだピアスの除去手術の日程が決まっていませんから」
ベッドへと移動し、カーテンを引く。
そして彼女は服を脱ぎ始めた。
彼女の裸身を見たとき、私は、呆然と立ちすくんでしまった。
まるで悪餓鬼の落書きのような卑猥なマークが体中に書かれ、乳首にはピアス、下腹部には男性用トイレのマーク、他にもバカとか便所とか。
「陰核と大陰唇にもピアスをされています。そこも撮りますか?」
赤坂女史の言葉ではっと我に返る。
怒りのあまりに握りしめた私の拳、爪が手のひらに突き刺さっていた。
「……いえ、大丈夫です。そこは掲載できませんので」
「ピアスの除去は問題なくできるそうです。穴もいずれ塞がると。でも入れ墨の方は完全に消せるか微妙だと言われました」
適当な知識で適当に施されたものである。
むしろ深刻な皮膚炎を引き起こしていないか、そちらの方が心配されているらしい。
手早く撮影する。
時間をかけるようなものでもないから。
「背中も撮ってください。あいつらに言わされた言葉が彫ってあるはずです」
後ろを向いた彼女。
「……ふざけるなよ……クソやろうども……」
そこに書かれた文言を見たとき、私は、ぎり、と奥歯を噛みしめて呟いた。
私の書いた記事が掲載された週刊誌は飛ぶように売れた。
記録的な大ヒットといっても良い。
赤坂女史の裸身もまた、売り上げに貢献したのだろうと思う。同情しつつも、怒りをおぼえつつも、彼女の無残な肉体に性的な興奮を憶えた人間もいるということだ。
やつらだって、あの姿に興奮していたのだろうし。
そして多くの人々が、この事件に関心を持ってくれた。
なかには赤坂女史を売名行為と非難する人間もいたが、だからといって、Aたちの行為を素晴らしいと称揚したわけではない。
そもそも彼女は非難される覚悟などとっくに定めていた。
二十四名の女性たちには、未成年者が十四名も含まれているのである。
最年少は十二歳だ。
彼女たちを守るために、赤坂女史は自分が矢面に立った。
命がけで女性たちを救った滝容疑者と同様に。
「英ちゃん。読んだよ」
一日、秋城弁護士に声をかけられた。
上機嫌だ。
「きみの怒りを感じる良い記事だった。古来、怒りのないところ正義はないからね」
「恐縮です」
正義とは怒りの象徴である。
そして人間の怒りが届かない場所に正義は存在しない。
簡単にいうと、自然災害そのものや、地球という惑星を裁くことはできないということだ。
「楓花嬢だけでなく、他の女性たちも証言台に立つと言っている。十四歳の女の子までね。さすがにご遠慮願ったが」
肩をすくめる弁護士。
未成年者を衆目に晒してしまっては、赤坂女史が勇気を振り絞った意味がなくなってしまう。
しかし、その思いは充分に伝わったという。
「この裁判、必ず勝つよ。英ちゃん」
ぽんと肩を叩かれた。
「はい。秋城さん」
私は大きく頷いた。
勝たなくてはならない。
あの外道どもを殺したことが罪であるなどと、絶対に言わせない。