第2話 法廷 Ⅰ
裁判は人定質問から始まる。
被告人の氏名や年齢などを改めて問いかけるのだ
迂遠なことではあるがこればかりは仕方がない。もし万が一にでも、ここにいるのが被告自身でなかったら、大変なことになってしまう。
ゆえに、きちんと本人であることを確認するところから始まるのである。
被告人は滝雄一。
二十七歳。
都内の中堅商社に勤務する会社員だ。
検察官が起訴状を読み上げる。
公訴事実は殺人。刑法第百九十九条に規定されている罪だ。
軽く頷いた裁判官が、被告人に対して黙秘権についての説明をおこなう。
ここまでが決まり事。
そして陳述が始まる。
「まずもって、これは殺人事件でもなんでもありません」
口火を切るのは秋城弁護士である。
百戦錬磨の強者、という印象のある凄腕の弁護士だ。
貧乏なので国選弁護人でかまわないという滝の主張を押しのけ、弁護費用など必要ないと、無理矢理に弁護人の席に座ってしまったという押しの強い人物でもある。
「十八人の武装した男たちに囲まれ、殺さずに無力化できるはずがないではありませんか。すなわち、正当防衛です」
これが秋城の主張である。
滝はといえば、かなり困った顔をしていた。
彼自身が、正当防衛でも何でもないことを知っているからだろう。
「しかし、被告は自分から攻撃したと認めています」
「寡をもって衆にあたるには奇襲を旨とする。当たり前のことでしょう。十八人に囲まれている状態で、相手に先制させるわけにはいきますまい」
志藤検察官の言葉に、すかさず秋城が反論する。
シナリオでもあるかのような、阿吽の呼吸だ。
「ですが被告には明確な殺意がありました」
「殺意をもって向かってくる相手を、殺さずに無力化するのは至難です。まして相手の方が数が多いのですから。手数をかけずに効率よく倒すしか、方法はありません」
「弁護人。被害者たちに殺意があったとは限らないのでは?」
「ありました」
きっぱりと断言する。
死人に口なしである。いまさら被害者どもが「殺す気はなかった」と主張できるはずもない。
「どうして断言できるのですか? 弁護人」
裁判長が問う。
当然の質問だろう。
「すでに死んでいる人間から話を聞くことはできません。しかし、被害者たちがどういう人間だったのかを知ることで、行動を類推することは容易です」
ここで秋城は一枚目のカードを切った。
それは、この事件の動機に関わる話だ。
被害者であるAを中心とした十八名の少年たちは、所謂札付きのワル、というわけではない。
補導歴もなく、一見するときれいな身体だ。
しかし、こいつらは大変なことをしていた。
通っている高校の教師、同級生、後輩、果てはその家族にいたるまで、目に付く女性を次々と暴行していたのである。
しかもその事実を使って脅迫し、ポルノビデオを撮影して裏ルートで販売したり、売春を強制までしていた。
下は十二歳から上は三十二歳まで、二十四名もの女性を。
そしてこれは判っているだけ。
名乗り出なかった女性はまだまだいるだろうし、おぞましいことだが、反社会的勢力の手に渡り、海外に売り飛ばされた女性もいるという噂だ。
とんでもないことである。
平和といわれる日本に、そんな犯罪組織が存在していたことも、その構成員が未成年だったことも、想像の限度を超えていた。
裁判員たちが息を呑む。
秋城弁護士の、あまりに攻撃的な口調に。
それは断罪と称しても大過ないほどだった。
「彼らが、自らのアジトに乗り込んできた男を、生かして帰してやろうなどと考えるような、慈愛にあふれた人間であるとは、とうてい私には思えませんな」
吐き捨てるように言う。
「しかし弁護人。憶測だけでは」
「そうおっしゃると思っていました。検察官。弁護側は証人の喚問を申請します」
秋城が唇を歪め、裁判長と検察官が頷く。
ここからが、本番なのである。
第三回公判。
証拠調べへと移行した審議で、まず証言台に立ったのは滝が助けた女性である。
つまり、事件のきっかけとなった人物だ。
大変な勇気と、覚悟をともなった行動である。
彼女は私の取材に対しても、名を明かすことを承諾してくれた。
滝を助けるための一助となれるならば、と。
赤坂楓花、二十四歳。被害者たちの通っていた高校の教師である。
彼女は毎日のように被害者たちのアジトに呼び出され、陵辱されていた。
その日も同様に。
ありえないほど非人道的な方法で。
「つらくて、かなしくて、くやしくて、私は泣きながら帰宅していました」
一年近くに及んだ暴行で、少年たちは普通に犯すだけでは飽き足らなくなっていたという。
卑猥な芸や、人間の尊厳を奪うような行為をさせられていた。
そしてそれを録画され、売られていたのである。
売春も当然のように強要されていたし、少年たちの手慰みに暴力も振るわれていた。
地獄である。
死のう。
家に帰ったら首を吊ろう、そう思っていたときに、滝と出会った。
夜道、前方から歩いてきた彼に、彼女は救いを求めた。
たすけて、と。
期待していたわけではない。そんなもの、抱いた数だけ打ち砕かれてきたから。
しかし滝は力強く頷き、少年たちのアジトの場所を訊ねた。
これが事件のきっかけである。
「待ってください。証人の境遇には深い同情を禁じえませんが、その話から被告人が殺される可能性には結びつかないのですが」
志藤検察官が指摘する。
「結びつかない? どうしてです?」
反論したのは証人ではなく秋城弁護士だった。
「彼らに人道的な配慮などありませんよ。そもそも禁忌を持っているなら、恩師たる高校の教師を陵辱などするものですか」
挑みかかるような口調だ。
「ですから、それが憶測と……」
言いかける検事を右手を挙げて制する。
「判っています。証拠ですよね。私はこれを提出するか否か、大変に悩みました。正視に耐えるようなものではないからです。しかし、証人は勇気をもって頷いてくれました」
弁護士の視線を受け、赤坂証人が頷く。
「あいつらは人間ではありません。悪魔です。悪魔から私たちを救ってくれた英雄が、なぜ裁かれなくてはならないのでしょうか」
彼女の言葉とともに、プロジェクターに映し出された映像。
それを見た瞬間、多くの者は目を覆った。
あまりにも無残な、赤坂証人の裸身。
両乳首にはピアスを打たれ、全身に淫語や卑猥な絵を書き殴られた哀れな姿である。
映っているのはへそより上だけだが、下半身も推して知るべしだろう。
裁判員の中には、こらえきれず片手で口を押さえる人もいた。
「私が、こんな厚着な理由がわかりますか? 冬だからではありません」
微笑む。
怒りよりもなお凄みのある笑いがあるとすれば、まさにこれのことだろう。
「その落書き、マジックとかじゃなくて刺青なんですよ。しかもあいつらが適当にやったものだから、皮膚科でも簡単には消せないそうです」
ぽろぽろと涙があふれ出した。
「胸にも、陰部もピアスだらけ。身体は落書きだらけ。もう水着にもなれません」
「もういい! 赤坂証人! もう充分だ!」
制止の声は検察からあがった。
握りしめた拳が震えるのは、奴らに対する怒りのためだろう。
秋城が係員に指示して映像を消す。
法廷のそこここでほっと息を吐く音がきこえた。
「さて、もう一度問いますね。検察官。被害者たちはアジトに乗り込んできた男をちょっと痛めつけただけで帰すような、そんな心優しい人間でしょうか?」
充分な皮肉を込めた言葉である。
降参だ、とでもいうように、志藤検察官が軽く両手をあげた。
「……いや。弁護人の言うことはもっともだ。被害者たちが殺意をもって被告人と争ったであろうと推測されることを、検察も認めます」
双方のやりとりに、裁判長が大きく頷く。
他の裁判員たちと同じく、蒼白な顔で。