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前編

[1]

 彼女はいつも鶴を折っていた。

 私はそんな彼女の背中を見るのが好きだった。

 いつだって一人の、彼女の背中を。


[2]

「また折ってたよね、あいつ」

「なんなんだろうね、あれ。ちょっと気味悪くない」

 用もなかったトイレの個室を出ると、鏡の前で友達Aと友達Bがそんな話をしていた。

「まあ、趣味なんて人それぞれじゃん?」

 こんな風に彼女を庇うの私の仕事だった。

 彼女がいつまでも安全に鶴を折り続けられるように。

 私がいつまでも安心してあの背中を見守っていられるように。

「アオっていつもあいつのこと庇うよね?」

「体育のときも、いつもペア組んであげてるし」

「それは、ほら、内申点貰えるじゃん? ぼっち構ってたらさ」

「何それ。利用してるってこと?」

「ある意味一番ひどくない、それ」

「あはは、そうかも」

「アオって、普段自分から喋ったりしないのに、そういうとこ案外ちゃっかりしてるよね」

 本当は内申点なんかにも興味はなかった。

 私にはまだ自分のために何をすればいいのかさえわかっていなかったから。

 そう、彼女とは違って。


[3]

「誰のために折ってるの?」

 私が初めて彼女に声をかけたのは、2年の終わり頃、二者面談の待ち時間に放課後の図書室を訪れた時のことだった。

「…………」

 聞こえているのかいないのか、紙を折る手を止める様子もなかった。

「無視ですか、そうですか」

 仕方なく隣に座り、再提出するよう言われた進路希望用紙を取り出す。

 空欄のままになっている部分を、なにか出てこないかとシャーペンの先でつついてみる。

「あ、わかった! 言えないような人のためなんでしょ?」

「…………自分のためです」

 彼女は顔もあげずにそう答えた。

「……私が折りたいから折るんです。それだけです。誰にも渡しません」

 本当に口から発せられたのかと疑ってしまうような、そよ風のように澄んだ声。そして何より彼女が鶴を折る理由の不可解さに、私は妙な胸の疼きを覚えた。

「な、なにそれ? どういう」

「図書室では静かに!」

 司書の先生に注意され、彼女の答えの続きは訊きそびれてしまった。

 その時は不思議と、これ以上彼女の空気にじかに触れずに済んで、どこか安堵さえしていた。


[4]

 けれど、3年のクラス替えで私たちはすぐに再開することになる。

 私の目の前の席で、彼女は新学期早々、朝から鶴を折っていた。

 最初のホームルームの時間、彼女は私にしか聞こえないぐらい小さな声で、蛹美(さなみ)スズとだけ自己紹介した。

 私が人の名前を覚えるのは久しぶりのことだった。


[5]

 一人標的がいると、多数側として結束できるのが集団生活のお決まりみたいだった。

「ぼっちで寂しいから、『誰かのためにがんばってますぅ〜』っていい子ちゃんぶってんでしょ? きしょ」

 いつのまにか友達になっていた2人組の片方(判別がつくようAと心の中で呼ぶようになった方)は、よく蛹美さんの陰口で同意を求めた。

「だよねぇー、あたしもそう思うわぁ」

 もう片方(Bの方)も賛同するようなので、私も表向きはそうしておくようにした。

 変わり者の蛹美さんはめでたく一人となり、私はクラスの一部として社会へ出荷されるまでの猶予期間をすり減らしていった。

 蛹美さんはぼっちであることを気にしている様子もなく、昼休みは何も食べずにせっせと紙を折り、授業中も教科書を盾に鶴を折った。

 だから私は今日も先生の声をBGMに彼女の背を眺めた。

 きっと、何も喉にモノを通さないから、あんなに澄んだ声になるのだと思う。

 お腹の音も聞いた試しがない。

 きっと彼女は何も食べなくてもいいタイプの人なのだ。ブレサリアンとかいうやつ。

 もしかしたら将来、食べるために働く必要もないのかもしれない。

「……うらやましい」

 私は依然として、進路も決まらないままだった。

 私も蛹美さんみたいに、自分のしたいことを、誰の目も気にすることなく、ただ続けていられたらいいのに。

 そんなふうに死ねたらって思う。

 そうしたら本当の意味で、生きたってことに、なるのかなって。


[6]

 蛹美さんが唯一折り紙から手を離すのは体育の時間だった。

 このクラスを担当する体育教師は何かとペアを作らせたがるので、今日も今日とてドッジボールのチェストパスの練習をするように指示された。

「どうする?」

「いいよ、二人で組んで」

「いつもごめーん」

 普段は三人組でやっている私と友達AとBだか、この時だけは私だけその輪から抜けることが許された。

「一緒にやる?」

 そして、ぽつんと取り残された蛹美さんに、いつものように声をかける。

「…………」

 こくんと小さく頷く彼女にボールを渡す。初めの頃は気にした様子もなく壁に向かって一人でやっていたこともあったが、この頃は私が来るのを少し待ってくれている様子も伺えた。

「…………んっ」

 紙しか折れなそうな小さな手からは、印象通りの弱々しい玉のバウンドパスがきた。

「よっと」

 だから私も何となく、加減した強さの玉でバウンドパスを返した。

 そんな単調なやり取りを繰り返す。

「…………んっ」

「とゃ」

「…………んっ」

「ほっ」

 私と蛹美さんのボールが跳ねる音だけが体育館に何度も反響して、なんだかそれが無闇に楽しくなってくる。

 私には自分のために望む未来なんてなかった。

 なのに、どうしてだろう。

 この時間ならいつまでも続いてくれてもいいのになんて思った。


[7]

 友達Bが風邪をひいて休んだ。

 よりにもよって、体育のある日に。

「やりぃ、やっとアオと組めるしぃ」

 含みのある満面の笑みの友達Aが、私に駆け寄ってくる。

「う、うん。そだね」

 私は蛹美さんのことを気にしてる素振りを見せないよう、渡されたボールを手元で数回撫でる。

「今日はそうだな、バウンドパスを練習してくれ」

 先生も今日に限ってどうしてと、心の中で悪態をつく。

 私はいつもと違う相手との距離感が掴めずに、ワンバウンドではパスが届かなかった。

「あはは、アオの玉弱すぎぃ」

 今日は友達Bの他に欠席者はいないはずだから、きっと蛹美さん一人だけ余ってしまうに違いなかった。

 うるさいほど跳ねて行き交ういくつものボールに紛れて、どこかで壁に向かっているのだろうか。

 いつだって一人の蛹美さん。

 私だって、そんな彼女だから気になっていただけなのだ。

 ただ、戻っただけ。

 そう思うことにした。

「…………あの」

 騒がしい体育館で、不思議とそのか細い声だけが鮮明に私の鼓膜を揺らした。

 振り向くと、そこにはボールを持った蛹美さんが、瞳に私を映して立っていた。

「…………私と…………その…………一緒に」

「え」

 どれだけのあいだ世界に音がなかっただろうか。

 もし私が失明していれば、私はきっともっと早く彼女に出会えていたのかもしれない。いずれ彼女の中に私を見つけられずに、出会わなければよかったなんて、思っていたかもしれない。

「うん、喜んで」

 けれど、私は後先のことも考えずにそう答えていた。

 だって、ずるい。

 こんなの、どうしても、思ってしまう。

 あなたも、私と、あの無闇な時間を永遠にしたかったのかなって。

 ああ、まただ。

 また、あの日感じた妙な胸の疼きを覚えた。

 鼓動さえ届かない距離で、不思議な近さを覚える。

 なぜか、普段なら考えもしないことを思ってしまう。

 あのまっすくで、綺麗な指がほしい。

 意味なんていらない。

 私を1ミリのずれもなく、迷いなく、折りたたんでみてほしい。

 そうすればきっと飛び立てるのに。

 その記憶だけで一生分、信じ続けていられるのに。


【つづく】

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